蓮池

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半袖

通学のためにバスに乗る。
真ん中辺りの席の前に立つ彼を一瞬見つめて、気付かれないように人の間に隠れる。
こっそり覗くと、彼は外の景色を眺めている。
紺色の制服から白い半袖に変わっていた。
袖から伸びる腕は日焼けしているから、運動部かもしれない。
春からバス通学になって、いつも見かける彼が気になっていた。
きっかけはお婆さんに席を譲る所を見てから。
こんなに自分が単純だなんて思わなかった。
声をかける勇気はなくて、毎日こうやって彼を見つめるだけで精一杯だった。
『次は☓☓☓前…』
「わっ」
バスのアナウンスが流れ、扉が開くとドッと人が乗り込んできてどんどん押し流されていく。
いつもならこんなに多くないのに。
人に押されて倒れかけると、腕を掴まれて誰かに支えられた。
「大丈夫?」
「…あ、はい!あ、ありがとぅ、ございます!」
引っくり返った声が恥ずかしい。
赤くなる顔を見られたくなくて俯いた。
逃げる隙間もないから、そのまま彼の隣に立つことになった。
「たまに人が多いんだ、このバス」
「そうなんですね…」
恥ずかしがる私に気を遣ってくれたみたいで、彼から話しかけてくれた。
どうしよう、どうしよう。
変な汗かいてるけどニオイとか大丈夫かな。
寝癖直したはずだけどまだ跳ねてたかな。
髪が跳ねてないか確かめるために上げた右腕が、彼の左腕にぶつかる。
「ご、ごめんなさい!」
「こっちこそごめんね。痛くなかった?」
また声が引っくり返るのが嫌で、何度も頷いた。
彼は良かった、と言った。
それから何も言わなくなった彼をまたこっそりと見上げた。
いつもよりずっと近い距離だから顔を見られなくて、半袖辺りを見ることになったけれど。
(もし彼と一緒に歩けたら、こんな感じなんだ…)
そんな青い夏を一人空想する。
残り時間はあと十分くらい。
私には、まだ半袖分だけ足りない。

5/28/2023, 12:57:49 PM