世界で起きた悲惨な出来事を箇条書きしたノートを、
タイムマシンに乗せて過去へ飛ばした。
過去で誰かがノートを読むだろうか
と期待をしたが、「過去の未来」である現在には
何の変化も起こらなかった。
なんだ、タイムマシンなんてインチキじゃないか。
とはいえタイムマシンの発車ボタンを押した瞬間
目の前からフッと消えたのは事実だ。
諦めきれなかったので、
「予言 ノート」
とスマホで検索した。
あった。
あのノートがWikipediaに載っていた。
そこには箇条書きした出来事も全て記されていた。
予言書として活用されていたようだ。
予言ノートで天災は防げたが、
人間は新たな過ちを犯し続けていたらしい。
だから、現在が劇的に変化することはなかったようだ。
せめてノートに自分の名前を書いておけば、
「世を救う予言者」として自分の人生だけでも
大きく変わっていたかもしれない。
しかし、誰ひとり乗せなかったタイムマシンは
もう帰ってこない。
「ああ、もしもタイムマシンがあったらなあ」
今一番欲しいのはお金。
お金さえあれば、と思うことが沢山ある。
こんなことを言うと、
「お前は愛より金なのか」
と思われるかもしれない。
お生憎様、愛は満ち足りている。
私の名前は、珍しい。
お名前スタンプやキーホルダー、
占いの類には絶対出てこないからはなから探さない。
誰とも被らなくて、
みんなと同じになれなくて、
好きじゃなかった私の名前。
一発で漢字を読んでもらえた試しががなくて、
新年度の1日目は毎年憂鬱だった。
それでも、両親が一文字一文字意味を考えて
つけてくれた名前だったから、
嫌いにはなりきれなかった。
就職活動の面接で、名前について聞かれた。
集団面接で、私だけ。
面接官には、私の名前はいわゆる「キラキラネーム」
だと判定されたのだろう。
他の子が「志望動機」や「ガクチカ」を聞かれている
ときに、私は名前の由来を聞かれた。
聞いてきたときの、
「どうせ大したことない当て字なんだろ」
みたいな顔は今でも忘れられない。
私はそのときに、
自分の名前は唯一無二で大切で大好きなものなのだと
はっきり分かった。
一文字一文字の由来を答えているときの面接官の
興味のなさそうな顔は今でも忘れられない。
ある日突然、
「人々の視線が目に見えるようになる現象」が
発生した。
二つの瞳孔から出る、ピンと張った糸のような
細い光の筋。これが「視線」だった。
愛し合う恋人たちは、ゆらゆら光るピンク色の太い光で
互いの顔を照らし合っている。
睨みつけるような鋭い視線からはチリチリと火花のようなものが走っていた。
ぼんやりと一点を眺めると、
視線は「もや」のようなものに変わっていった。
しかし目をパッと見開くと、その「もや」は視線の
軌道を描くようにさっと集まってきた。
あらゆる視線が見えるようになったことで、
最初は世界中が困惑と混乱に満ちていたが、
やがてそれは日常になり、誰も他人からの視線を
気にしなくなった。
いや、
「他人は自分が思っているよりも
自分のことなど見てもいないし気にしてもいない」
ということに人々は気づいたのだ。
もちろん、誰の視線の先にも、私はいないのだ。
どうして私だけこんな目に
どうして私だけが辛いのか
どうして私だけが不幸なのか
と考えてしまうことがある。
自分は辛い
自分は不幸だ
と自身で定義づけることで、自分からさらに
苦しくなりに行っている気がするのに。
いつも笑ってるあの子にも
キラキラ輝いているあの人にも
何の苦労もしていなさそうなあの方にも
きっと自分だけが持っている地獄があるはずだ。
そう考えると、不思議と少し前向きになれた。
「人には人の地獄がある」
この言葉を胸に、今日も私は
誰にも見えない私だけの地獄を睨んでいる。