父親の娘に対する下手くそなコミュニケーションのおかげで、今日はもう、何も書く気になれない…。
一年前って父の日だけどなにしてたかな 今日みたいなこんな空気ではなかった気がするな おばあちゃんも元気で猫も元気でわたしもみらいのことなんて考えなくてよくてずっとずっとずっとずっとずっとぬるま湯みたいなまどろみみたいな呪いのなかに浸かってることに気づかずにいたんだろうな
けれどカレーライスをすくうのにはあまりにも小さすぎる子ども用のスプーンを差し出されてようやっとこの呪いの気配に気づき始めた初夏だったかもしれないな。疲労
。。。
うーやだ 寝れません まあいっか こんな日も、ある
たった一言でこんなに調子が狂ってしまう人間はやはり変
そして言葉とはほんとうに怖いものだ 、とほほ〜ん
一年後、この文章を書いたことなど忘れてるくらいにさまざまな事がやわらかくほぐれていますように。
木漏れ日、オレンジ、にゃんこ、おひるね、シール、ポトフ、ジジ、そよ風、おふとん、お絵描き、風鈴、もうふ、
詩、夕暮れ、冬の朝、刺繍、ビーズ、歌詞、いろいろと。
愛はかける
風にあそばれて
青空の手紙
大丈夫、だいじょうぶ。きっとよ!
らくだい寸前のおてんば魔女っ子みならい
銀河を走る列車でずぶ濡れの親友を失った猫
もしくは砂漠に不時着した王子思いの飛行士
ふかふかのベッドを大事にしているそらまめ
大きなパンケーキたべてねたい
アツアツのハッシュドポテトをかじる
ワイパーがはじくあまつぶを追う
向こうで天使がはしごをかけている
さまを伝える曇天のドライブ
色えんぴつでいちど描いたことがあって、そのまま
月ごとの花々を担当することになって、
6月のスケッチはあじさいだったのですわ
複雑に集まったカタチがイヤなぁと思って、
ちいさなしかくの集合体に再解釈することにした
『あじさいは小さなしかくの集合体である』
そのあとで微々調整しては、花らしくまとめてやればいいんだよと、それらしい色も手に取って水紫青紺…。
以来視界には入っても見えなくなって今日この日、また!
ひらがな4文字でちょこんと座っていらっしゃる
あんなに見つめあって久しいが変わらずに、
どこの花よりも雨と結びついて離れずに、
寒色の、ともだちはカタツムリと思っている
ほんとうにあじさいをみたことはないのかも
ほんとうにあじさいをみたことはないのかも
きっとしかくい集合体なんかでも、本当はないだろう
晴れるような、きいろい紫陽花ってあるかしらぁ。
最後に残った花びらに、限りなき一滴の不満でもあるのなら、それはもうちぎってむしゃむしゃ食べて、茎は放り投げてしまえばいいという、ほんの少しの運命の変更。