忘れたいことは忘れたくても忘れられない。
忘れたいことがあることすら忘れたときに忘れる。
その逆もまた然り。
ネットでたまたま見たどうでもいい知識とかは
案外忘れていなかったりして変に溜まっている。
例えば「本質的に副産物である状態」とか。
へーこんな概念もあるんだと反応したのも憶えている。
眠ろうとして眠れない、無心を目指すが考えてしまう。
こういうもどかしい状態に関連するのがこの概念だ。
何かをしている内に眠くなったり考えるのを止める。
そうやって求めなければ訪れてくれる"おまけ"的な状態を
表したのが「本質的に副産物である状態」だ。
忘却に睡眠に無心。これらの大切なものも"おまけ"。
人の安らぎに必要なものがそこには詰まっている。
しかし"おまけ"は偶然性と無意識によって訪れるもので
思うに人にとってそれは遠い存在だ。
必然性を求めるし何かを求めるときには意識的になる。
人の性質は"おまけ"とすこぶる相性が悪い。
いったいこのミスマッチはどこからくるのだろう?
社会形態と人体機能の乖離?だとしたらその転換期は?
こうやってどうでもいいことを考えていく内に
僕は忘れてはいけないことを忘れてしまっていた。
カレーってこんなに黒かったっけ?
くっそ暇だったから空にある点に名前を付けた
神話オタク古代人のネーミングセンスが俺にまで降り注ぐ
助けに入った瞬間主人公に踏みつけられて即死んだ蟹が
あなたの星座の由来ですって言われてどう受け取ればいい
「奇跡をもう一度!」
奇跡がもう一度起きること自体が奇跡なので
奇跡カウント2必要となりこの願いは叶わない
「奇跡をもう二度ほど!」
響きがダサいがつまりこれが最適
鉄棒はジャングルジムの氷山の一角バージョンだと勘違いしてわくわくしていた頃の自分は無敵に近かったと思う
静かであったはずの隣の部屋から話し声が聴こえる。格安アパートの薄壁。学生の頃の隣人はどんどん様子がおかしくなっていった。
最初はおそらく通話の会話音。それまでは余りに静かであったのでそこで初めて壁が薄いことに気付いた。察するに友達とどのアニメのキャラクターが最強かを議論しているようで思わず笑ってしまった。
その段階ではまだ微笑ましかったのだが次第にこちらが僅かでも音を立てると壁を殴ってくるようになってきた。どうしようもない生活音にすら反応して殴ってくる。その当時の自分もおかしくなっていてそれに慣れていた。
今思えば即引っ越し安定なのだが怠惰の自分はずるずるとしばらく居座ってから流石にと管理会社に報告と質問をした。以前は静かだったので新しく住んだ人なのかと。
そう聞くとなんと入れ替わったのではなくずっと同じ人が住んでいるのだといると答えられた。驚き。どうやら何かをきっかけに隣人は豹変したらしい。
謎が増えてからある日の夜。また隣人の会話音が聴こえてきてどうやら酒を飲みながら友達に君も読むべきだと本を勧めているようだ。
「これを読んでマジで俺は変わった。」
「マジで深い。ほんとに読むべき。」
なんだその本は。何だなんだと思わず聞き耳を立てると、
「嫌われる勇気。」と聴こえてきて僕は笑った。
いや、勇気出すとこ履き違え過ぎやろ。隣人が豹変したきっかけを解明できたと同時にそのしょうもなさにある種の感動まで芽生えたことを未だに憶えている。
※その後撮った音声を証拠に報告して解決しました