「奇跡をもう一度!」
奇跡がもう一度起きること自体が奇跡なので
奇跡カウント2必要となりこの願いは叶わない
「奇跡をもう二度ほど!」
響きがダサいがつまりこれが最適
鉄棒はジャングルジムの氷山の一角バージョンだと勘違いしてわくわくしていた頃の自分は無敵に近かったと思う
静かであったはずの隣の部屋から話し声が聴こえる。格安アパートの薄壁。学生の頃の隣人はどんどん様子がおかしくなっていった。
最初はおそらく通話の会話音。それまでは余りに静かであったのでそこで初めて壁が薄いことに気付いた。察するに友達とどのアニメのキャラクターが最強かを議論しているようで思わず笑ってしまった。
その段階ではまだ微笑ましかったのだが次第にこちらが僅かでも音を立てると壁を殴ってくるようになってきた。どうしようもない生活音にすら反応して殴ってくる。その当時の自分もおかしくなっていてそれに慣れていた。
今思えば即引っ越し安定なのだが怠惰の自分はずるずるとしばらく居座ってから流石にと管理会社に報告と質問をした。以前は静かだったので新しく住んだ人なのかと。
そう聞くとなんと入れ替わったのではなくずっと同じ人が住んでいるのだといると答えられた。驚き。どうやら何かをきっかけに隣人は豹変したらしい。
謎が増えてからある日の夜。また隣人の会話音が聴こえてきてどうやら酒を飲みながら友達に君も読むべきだと本を勧めているようだ。
「これを読んでマジで俺は変わった。」
「マジで深い。ほんとに読むべき。」
なんだその本は。何だなんだと思わず聞き耳を立てると、
「嫌われる勇気。」と聴こえてきて僕は笑った。
いや、勇気出すとこ履き違え過ぎやろ。隣人が豹変したきっかけを解明できたと同時にそのしょうもなさにある種の感動まで芽生えたことを未だに憶えている。
※その後撮った音声を証拠に報告して解決しました
大事にしたいは大事にしたい。
読みはだいじとおおごと。人が何に価値を見出すかは各々に違っていて、自分の大事(だいじ)も他人からすれば大事(おおごと)にすることと同じで大袈裟であり得るのが常だ。
至極当たり前のことしか書かないがその各人の価値観の差異が世の中の大きな差異に繋がっていると考えると感慨深くなる。細かなカテゴリーの差異がより上位の差異へ。
世界中の理解不能と思える慣習と自分の身の周りにある常識はただの文化の差であることに面白さを感じる。
この面白さを感じることも自分の価値観でそれ自体にもまた面白さを感じる。他人からすればどうでもいいことに自分が興味を示して偏っている。
この偏りはどこから来たか究極には解明不可能で、言い換えればランダムに振られたパラメーターのような偏りだ。
その偶然性による偏りによっていわゆるアイデンティティや自分ができている。例えば好きな食べ物でもいい。何でもいいが何かに価値を見出すこの偏りは唯一無二のものであると思う。だからこそ自分は
大事にしたいを大事にしたい。
読みはだいじとだいじ。他人からすれば大袈裟な偏りも自分固有のものであるとして大事にしたい。
時間を止められる能力を使って学校で好き放題している主人公が身に覚えのない快感にいきなり襲われて同じ能力者の存在を確信するエロ漫画の名シーンを君はまだ知らない
※実在します