大事にしたいは大事にしたい。
読みはだいじとおおごと。人が何に価値を見出すかは各々に違っていて、自分の大事(だいじ)も他人からすれば大事(おおごと)にすることと同じで大袈裟であり得るのが常だ。
至極当たり前のことしか書かないがその各人の価値観の差異が世の中の大きな差異に繋がっていると考えると感慨深くなる。細かなカテゴリーの差異がより上位の差異へ。
世界中の理解不能と思える慣習と自分の身の周りにある常識はただの文化の差であることに面白さを感じる。
この面白さを感じることも自分の価値観でそれ自体にもまた面白さを感じる。他人からすればどうでもいいことに自分が興味を示して偏っている。
この偏りはどこから来たか究極には解明不可能で、言い換えればランダムに振られたパラメーターのような偏りだ。
その偶然性による偏りによっていわゆるアイデンティティや自分ができている。例えば好きな食べ物でもいい。何でもいいが何かに価値を見出すこの偏りは唯一無二のものであると思う。だからこそ自分は
大事にしたいを大事にしたい。
読みはだいじとだいじ。他人からすれば大袈裟な偏りも自分固有のものであるとして大事にしたい。
9/20/2024, 11:00:18 PM