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7/2/2024, 2:27:51 AM

窓越しに見えるのは窓。その窓越しに見えるのも窓。無限にも思えるほど乱立する窓が増殖し続ける。

ウイルス対策のソフトウェアの警告をガン無視したせいだ。アダルトサイトの古典的な地雷を見事にクリック一発で踏み抜いた結果、目の前で永遠の窓が製造されていく。

令和の世にこんなものに引っかかるやつがまさか自分だとは。充電の切れたスマホ代わりにと久々に引っ張り出したノートパソコンが熱と音を発し続けている。

幸い、事件の現場は一階のリビングで起きており家族たちは二階の各々の部屋でもうかなり前から寝ている。かなりの音はなっているが二階までには届かないほどの音量だ。猶予は明日の朝まで。それまでに何とかしてこの暴走を抑え込まなければならない。

しかし今日は日曜の部活があった日でそれに夜更かしが重なり疲れ切っている。辛うじて性欲によって意識を保っていたがそれが叶わないとなると急激に疲労感が増してきた。非常に眠い。このままリビングで寝てしまいそうだ。

それでもこれだけは何とかしなければ…熱と音を何とか…パソコンを持ちながら意識がどんどん遠くなっていく…

次に気が付くと家族が活動し始めて今がもう朝だと悟った。当然、リビングで寝るなんてと母親に叱られる。しかしそれだけでパソコンについての言及はされなかった。力尽きたせいで昨日の記憶は断片的にしかないがあの後の自分が何とかしてくれていたらしい。

完全犯罪で大勝利。母親に謝りながら内心ほっとしていた。パソコンをどこにやったか知らないが昨日の自分を英雄と呼ぼう。記憶が飛ぶほどのヘトヘトの中あんなに荒ぶる熱と音を片付けてしまうなんて。もしかしたら自分は潜在的には天才なのかもしれない。

母親が朝食を作る為に冷蔵庫を開けるその時まではそう思っていた。今はどんな言い訳にするか考えているところだ。

6/30/2024, 12:54:51 PM

もしも運命の赤い糸が本当にあるとしたら補強して極太のパイプにしたい。糸じゃ脆過ぎる。もうこちとら三十手前だ。相手まで辿りやすいように運命を強固にさせてくれ。

もう橋。赤い橋レベル。お互いが歩いて近づき合うことができるまでの幅と安全性が欲しい。赤い糸の観点からすれば恋愛に必要なのは心理学ではなく建設業。突貫工事でお願いしたい。あとリアルの方で一軒家も無料でお願いします。できるだけいい土地で。赤い糸とかどうでもいいので。

6/30/2024, 1:48:40 AM

ムキムキマッチョなお坊さん。

それが入道雲の「入道」の意味。
これを知ったせいで私にはある呪いがかかってしまった。

ソフトクリームみたい〜。そんなふうに夏の空に見かける度に内心はしゃいでいた私を過去のものにする呪いだ。

入道雲を見たときに頭の中でふわふわと浮かび上がっていたソフトクリームの中心部から、筋肉ハゲが雄叫びを上げながら爆誕するようになってしまったのだ。入道の持つ意味が呪いとなって脳内ソフトクリームを弾き飛ばしてしまう。夏の風物詩を台無しにするとんでもない呪いだ。

知らぬが仏とはこの為にある言葉なのだろう。知ってしまったが故に私のファンシーな想像力にツルピカマッチョが乱入するようになってしまった。さよなら愛しのソフトクリーム。私は入道雲と名付けた昔のあほうを許さない。

そしてそれと同じようにあなたも私を許さないだろう。

あなたも入道の意味を知ってしまったのだから。

6/28/2024, 11:48:36 PM

いつか滅びるんだなと感じるここ数年の夏。
銀色の日傘を買った。未来の色で光を弾く。
紫外線は老いの源。太陽は死をゆっくり進める。

ビタミンDもサプリメントで摂れる。
セロトニンも日光以外で確保できる。
科学で便利に若さに延命を重ねる。

美意識がそうさせたわけじゃない。
健康意識がそうさせたわけでもない。
やることがないから日焼け止めを塗っている。

美しく長く生きることは良いことらしい。
それがなぜ良いかはわからず従ってみている。
空虚な目的に意志なくなんとなく従ってみている。

夏の光は凶暴で焦らせてくる。
滲む汗がこのままではいけないような気にさせる。
拭ってもまたすぐに流れる汗が不条理を感じさせる。

いつか滅びる。不可逆に。
そう感じながらクーラーを作動させる。
精神が夏バテしている。

6/26/2024, 12:26:31 AM

「花を見た時は即ち自己が花となって居るのである。」

西田幾多郎のこの一節は花よりも繊細に人の感性を表していると思う。何かを美しいと感じた瞬間は人は主客未分の状態で見惚れているというものだ。

花を見て綺麗だと感じたことを正確に表すならば普通は「私(主体)が花(客体)に見惚れた。」となるだろう。

しかし純粋な経験というのはその誰が何にといったような主客に分かれる前の状態であると西田は語った。つまり「美しい」と言葉になる以前の情動がまず先にありそこでは自分と花の境界線がなくなるということだ。

だから花を見たときに自己も花となる。主語を忘れたような瞬間の情動を西田はこの世の純粋な経験であると定義した。これは哲学的主張であることとは別に美しい詩であると思う。

花を見たときに人は花となる。

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