「優しくしないでって言ってんだろうが。」
目の前で全裸の大人が私へ怒鳴っている。私が優しさを履き違えたせいだ。表裏を履き違えているパンツを気にせず怒鳴り声の主は急いで着替え部屋を出ていった。
オプションで注文されていた「豚野郎」と呼ぶのを躊躇して「ぶたさん」呼びを3回してしまったこと。要求されたビンタをする度にすみませんとつい謝ってしまったこと。その他もろもろを含め私がこの事態を引き起こした原因だ。
初めての夜職だから怖い人が少なさそうなこの店を選べばまだ安心と思っていたのが甘かった。人には優しくしなさいと言われ続けて育った私にはこの仕事は過酷だった。
しかし、早々にもう辞めてしまいたいとまでは思わなかった。私に染み付いた優しさによって誰かを不快にさせたままで終わるのは自分を許せないと思ったからだ。
まだきっと間に合うはず。ドアを開け姿を探すと廊下で店長さんとお互い大人の顔をしながら大人の話をしようとしているところを見つけた。今この瞬間にやるしかない。
「帰ってこい豚野郎、続きをしてやる。」
信じてきた優しさを反転させて私は叫んだ、いや罵った。覚悟を決めた声は震えておらず廊下を真っ直ぐ通過した。
「すみません、実はこれもプレイの一環なんです。あの子のまま延長でお願いします。」
私の声を聞いた豚野郎は少し笑みを含めながら店長さんにそう伝え体をこちら側に向けた。
私は今日、もっと優しくなれた気がする。
幼子が はしゃいで遊ぶ ドリンクバー
混ざるカラフル マズさすこぶる
アダムとイヴが生きているなら
日本へ無理やり連れ出して
ここが真の楽園だと教えてやる
行き先は青森
実存は本質に先立つ
生きることは無意味もしくはだからこそ意味付けできる
そんなふうに実存主義的な考えに辿り着く人は多い
あるいは科学的に生きることをドライに見て
DNAを運ぶただの乗り物の動向として見なしたり
動物として捉え生存することこそが意味だとする人もいる
だが思うに生きる意味を問うことで浮き彫りになるのは
人の目的が何かではなく人が目的を求めていることだ
意味概念自体が目的を前提としているものであり
何か目的を求めていることは確かなものであると思える
実存主義者はそれに従い目的を立てていると言えるし
生物学的には意味概念を持つ目的を生存と答えるだろう
しかし生存から逸脱した目的も次々と人は立てる
この脱目的性も人にある確かなものであると感じる
これは神経科学のドーパミンの作用によっても語られる
人はいかなる目的にも飽きて逸脱する可能性がある
それはドゥルーズがベルクソンを援用して肯定した
生成変化をし続ける人の原理のひとつとも言える
常に逸脱し続けていて「在る」ではなく「成る」もの
人の生きる意味はわからないが形而上の何かを
無根拠に肯定できればそれは幸運と言えるだろう
善悪は立場によって変わるもの
ニーチェがまさにそうだが
それは結論ではなく前提だと思う
人によるとか人それぞれとか
否定してはいけない押し付けてはいけないとか
道徳的な人間になる為の呪文に疲れた
均一的なものよりも偏ったものに惹かれる
どうしても持ってしまう人間の偏りを
自覚して引き受けている人に魅力を感じる
善悪などの超自我的なものよりも
好き嫌いという手前の価値観で感情を動かしたい
善悪の彼岸ではなく目の前の価値観で