アダムとイヴが生きているなら
日本へ無理やり連れ出して
ここが真の楽園だと教えてやる
行き先は青森
実存は本質に先立つ
生きることは無意味もしくはだからこそ意味付けできる
そんなふうに実存主義的な考えに辿り着く人は多い
あるいは科学的に生きることをドライに見て
DNAを運ぶただの乗り物の動向として見なしたり
動物として捉え生存することこそが意味だとする人もいる
だが思うに生きる意味を問うことで浮き彫りになるのは
人の目的が何かではなく人が目的を求めていることだ
意味概念自体が目的を前提としているものであり
何か目的を求めていることは確かなものであると思える
実存主義者はそれに従い目的を立てていると言えるし
生物学的には意味概念を持つ目的を生存と答えるだろう
しかし生存から逸脱した目的も次々と人は立てる
この脱目的性も人にある確かなものであると感じる
これは神経科学のドーパミンの作用によっても語られる
人はいかなる目的にも飽きて逸脱する可能性がある
それはドゥルーズがベルクソンを援用して肯定した
生成変化をし続ける人の原理のひとつとも言える
常に逸脱し続けていて「在る」ではなく「成る」もの
人の生きる意味はわからないが形而上の何かを
無根拠に肯定できればそれは幸運と言えるだろう
善悪は立場によって変わるもの
ニーチェがまさにそうだが
それは結論ではなく前提だと思う
人によるとか人それぞれとか
否定してはいけない押し付けてはいけないとか
道徳的な人間になる為の呪文に疲れた
均一的なものよりも偏ったものに惹かれる
どうしても持ってしまう人間の偏りを
自覚して引き受けている人に魅力を感じる
善悪などの超自我的なものよりも
好き嫌いという手前の価値観で感情を動かしたい
善悪の彼岸ではなく目の前の価値観で
68+57=5
「規則は行為の仕方を決定できない、なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させられ得るから」
ウィトゲンシュタイン 哲学探求 第201節
工場勤務の人に今日の心模様を聞いてみたら
地図が示す通りに晴れだと答えてくれるのだろうか
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