沈む夕日の移ろいよりも
電子機器に並ぶ数字で
今日の終わりを感じる
オレンジじゃなくてブルーのライトで
遠くから見ているときは青ざめていたはずなのに
近くに行った私に見つめられるとあなたはすぐに赤くなる
情緒が不安定で照れ屋なあなたを私はじっと見つめ続ける
いつもそう 私が近づくときに限ってあなたは照れてしまう
なんでいつもあなたはそうなの 私が近づくとなぜいつも
横断歩道を間にして私はあなたを見つめ続ける
見つめ続ければまたあなたが青ざめていくことを祈って
○○が"ある" や ○○で"ある" のように
何かを表すときには在るという存在概念を経由する
そして存在とは何かを記述しようとすれば
存在とは○○で"ある" と存在について語る文そのものに
存在概念が使われてしまうというほど根源的な概念である
この問題はとある哲学者が存在概念そのものが存在(が表そうとしているもの)について語るうえで思考を狭めるものだとして「存在」という文字の上に☓印を付けたほどのものである
思えば当たり前過ぎるほどに存在は我々の前に存在する
身近でなくてはならないもののことの喩えで
「空気のような存在」といった表現があるが空気よりも
まず先に存在自体が身近でなくてはならないものである
最も身近で欠かせないが故に透明であるもの
存在は特別である
宅飲みをしているとお調子者の友人が
着ていた黒いTシャツを脱ぎ捨てて急に踊り出した
「いいよいいよー!バカみたいな踊りいいよー!」
体を叩き上げるその踊りに皆が笑いながら煽った
運動音痴の癖に踊りたがりな友人は面白い
すると友人はしゅんとして踊るのをやめてしまった
「皆を驚かせるために今日は練習してきた踊りだったのに
それを"バカみたい"って言われるとすごいツラい」
酔っぱらった友人の気難しさは最大級だと知っている
すぐに皆でなだめた後でちなみに何の踊りだったのか
おそるおそる聞いてみると友人はボソッと答えた
「数年前のニュージーランド代表の踊り」
しょうもないその響きの近さにバカみたいに笑った
カミュと弱めのキルケゴールのハイブリッド
それが自分の不条理についての考え方
人間の意味欲と世界の無意味さのズレを大前提として
カミュのように意味欲それ自体の無意味さをメタに見て
弱めのキルケゴールのように何かを少しだけ盲信する
結局人間である以上は仮のルールを作ってはそれをドグマ的に信じるしかないのだから、せめてその行為自体をメタに見ることでそのドグマの強度を調整可能な状態にしておくのがベターな処世術だと思う
サンタの存在を信じられなくなっても別に生きていけるようにゆるく不条理と向き合い続けるのがいい塩梅のはず
もしかして話が抽象的過ぎる?
ごめんよ そんなに意味を求めないで