理論神経科学者によると
人の肌は色とりどりに変化しているらしい
血液の状態で赤青黃緑を基本として肌は変化し
それによって感情や体調を伝達しているという
怒ってる人は赤く 体調不良の人は青く
当たり前に理解していたが確かに色が伝達している
しかもどうやら人の色を見分ける機能が
そもそも顔色の変化範囲に対して
敏感に反応するかのようにできているらしい
それを踏まえれば人が色の概念を獲得したのは
言う通りコミュニケーションの為なのではと思えてきた
目は口ほどに物を言う というがそれ以前に
顔そのものが情報の発信者だったということになる
顔は色ごとに物を言う
美しい抽象に汚れた具体が混ざった現実が好き
例えば雪という言葉をイメージしたとき
最初に真っ白な粒が頭の中に降り積もる
実際の体験では跳ね飛んだ泥や
ここに書きたくもない理由で付いた色が
混ざり合った雪を散々目にしてきた
にも関わらず詩的な言葉は潔癖症で
生々しい汚れた記憶を後に押し込む
表に出るのは研ぎ澄まされた美麗な抽象風景
しかしこうして汚れの部分を書き残すのは
清濁併せたものこそが現実だと感じるからだ
人の審美観とは無関係に
ただ存在するそんな現実を感じたい
文章は一度書くと書き手の思考から離れ
可視化されることで他者性を帯びる
また人の行為は純粋な能動性を持つことは困難で
どこか他者からの影響を受けている受動性がある
そしてこの場の文章は出題者という
明確に書き手とは別の存在を前提としてつくられる
客観視された文章の書き手自身という他者を指す「君」
思考の中で意識される読み手という他者を指す「君」
読み手とは別に意識される出題者という他者を指す「君」
三人の君と一緒にこの場の文章は作られている
暖冬で冬晴れ
その調子で毎年お願いします
あ、でもお気に入りのアウターを買った年だけ
ちょっと寒めの冬にしてください
あと冬が暑いぶん夏を涼しくするってのはどうですか?
わりと名案だと思うんですけどいかがですか
幸せとはラカンの言う対象aに
折り合いを付けること何じゃないかな?
抽象度の高い概念って何か深淵なものとして
価値があると漠然と感じるけど
それをあえて一旦おいといて
より具体的なものに目を向ける方が
なんかいい気がするよ たぶんだけどね