眠りにつく前に眠りについて考える
数年前の記事で生物は起きている状態よりも眠っていることの方がデフォルトであるという言説を見たことがある
信憑性は定かではないが感覚としてその言説に共感した
起きていることが異常事態と捉える感覚
物言わぬ貝のような状態が普通であるというイメージ
意識を獲得するよりも以前の静的なイメージ
眠りにつく前にそう想像する
何かを常に捉える意識がある前の状態を意識する
その矛盾的な意識が何かに溶け込む感覚を与える
個体以前の未分類の身体をイメージする
枠のない枠のような矛盾した身体を
眠りの形而上学
どこかへ還るように私は眠る
永遠に生きれば誓ったものにも飽きる
第一のアンチノミーに含まれたテーゼ
それは世界を無価値にするもの
私は有限性に誓う
理想郷であるイデアは人の欲望の形をしていると思う
現実を説明し尽くしたいという人の欲望がイデアを創った
そして現実の否定である非現実に真理があるとした
人の欲望の原理として否定性は常に潜んでいる
望むということは現状のままではいられないことを指す
そのように欲望の裏返しとして現実の否定性がある
では現実を肯定する為の完全なる理論はどこにあるのか?
そのような欲望が無自覚にイデアを創り出していった
当時は心底どうでもよかった昔の流行を目にすると気分が上向きになる ただ あったな というだけの懐かしさで
ただのその流行がある時代の文化社会を受動的な姿勢で体験してきただけでもその感情が芽生えてくる
通り過ぎただけのものにわずかに親しみを感じる
むしろその時代の最中よりも通り過ぎた方が近さを感じる
目にした何かに対してどうでもいいと無関係を感じたとき
それは既に無ではなく遠さを持った関係を結んでいる
そして後に知りもしなかった過去の出来事と比べたとき
その無関係という関係性に相対的な近さを感じる
無関係性にでさえ遠ざかる時が心を近づけていく
時間的距離に反比例するように心的距離が縮まる
時計の針が示さないものが左回りに渦巻いていく
懐かしさは反時計回りの力を持っている
ストーリーとは別のもう一つの物語の英訳
ナラティブ 人はストーリーではなくその中にいる
ナラティブには語り手の恣意的切断が常に含まれる
有限である人間は認識の段階で恣意性が働く
超越者の持つ究極の客観性に対する語り手の主観
それを通して保存される記憶にはさらなる恣意性が働く
ナラティブには何重にもそんな編集が行われている
有限である存在が故にありのままの現実を直観はできない