家主のいなくなって久しい邸宅の書斎の隅に、背もたれの破けた、燻んだ朱色のロココ長の椅子が主人の代わりに埃を座らせていた。かつては賑やかな食卓に温かみを与えていたシェードランプは数年前にチカチカと火花を散らして以来、魂が抜け落ちたように音沙汰がなくなった。そこに一人の人物が月夜に紛れるように現れた。華奢な身体を際立たせるスーツのような艶のあるモノトーンの服装、男装の麗人のように見えるが黒いベレー帽を目深く被っており確信はない。手にはヴァイオリンを持っており、部屋の隅へまっすぐに向かうと埃を払うこともなく座って弾き始めた。すると湿っていた暖炉の薪に灯火が灯り、かつての家主や使用人達が青白いシルエットでワルツを踊り出した。反刻ほどの演奏が終わると来た時と同じように闇の中へと消えていった。その数日後、邸宅は取り壊されることとなり、家財は軒並み処分された。私は運良く気に入られて処分されず、今は別の家でアンティークとして置かれている。いつかまた灯火を囲む日が来るだろうか。
題『灯火を囲んで』
冬って可愛くするのが難しい。「防寒対策に着てるんだな」って思われないようにしたいのに田舎の冬は寒すぎる。3枚重ね着してもまだ寒い。ストールやニット帽を合わせても寒い。かと言って上下がどちらもモコモコだと締まりがなくて可愛くない。ここまでくると冬のオシャレは根性で乗り切るしかない。可愛さへの欲求は寒さに負けないくらい強いのだ。ただ、色のアクセントとして小物にお金がかかるため懐はどうしても寒くなる。髪色も垢抜けた感じにしたいな。お金がどんどん飛んでいくよ。冬って好きだけど嫌い。
題『冬支度』
料理の音って結構響くんだよ。だから気分的には誰も起きてこない深夜の時間帯に作りたいんだけど、ボウルを出す際のカチャカチャ音や換気扇の音、他にも普段なら気にならないような細かな音が、睡眠中には鮮明に聞こえてしまう。だから時を止めて。喜んでもらいたくて料理をするのに、「やかましい!」と言われたら悲しくなっちゃう。今日はまだ始まったばかりなのに。
題『時を止めて』
入浴中にふと思った。
金木犀の名は橙色の花弁を金に例え、犀の皮膚のような見た目が由来らしい。ならば空に浮かぶ、あのまんまるがキンモクセイだろうか。
そういえば以前、"馬油×キンモクセイ"のシャンプーとコンディショナーが売られていた。猫吸いされても良さそうな香り。だが大事なのは周りが良い香りだと思うかどうかだ。一度買えば3ヶ月は持つため悩まされる。結局は椿オイルのような香りの無臭タイプを買った。髪がキシキシにならないか心配だったが、むしろサラサラになった感じだ。何十年も同じものを使い続けていたが、入浴商品を物色するのは思いの外楽しかった。お互いに香りを嗅ぎあって、なんだか仔犬がじゃれあっているみたいに笑った。共通の話題を提供してくれたお礼に、今度の入浴剤はキンモクセイの香りのものを買ってこよう。
題『キンモクセイ』
死体となり一層凹んだ頬肉を、魂だけの存在となって見下ろす。俯いて泣いている母に、言葉を空気に乗せることができないからアイコンタクトを送った。だが気づいてもらえなかった。手を伸ばす。この手を掴んで。お願いだから一人にしないで。この場所は寒すぎる。
身体が炎に包まれる。
"ああ、温かい。火葬で良かった"
死んだら身体は冷たくなるけど心は暖かな場所、祖母のいる場所に行けるといいなと願ってる。いつか母もやってくるだろう。その時は昔みたいに一緒に女子会しようね。
題『行かないでと、願ったのに』