家主のいなくなって久しい邸宅の書斎の隅に、背もたれの破けた、燻んだ朱色のロココ長の椅子が主人の代わりに埃を座らせていた。かつては賑やかな食卓に温かみを与えていたシェードランプは数年前にチカチカと火花を散らして以来、魂が抜け落ちたように音沙汰がなくなった。そこに一人の人物が月夜に紛れるように現れた。華奢な身体を際立たせるスーツのような艶のあるモノトーンの服装、男装の麗人のように見えるが黒いベレー帽を目深く被っており確信はない。手にはヴァイオリンを持っており、部屋の隅へまっすぐに向かうと埃を払うこともなく座って弾き始めた。すると湿っていた暖炉の薪に灯火が灯り、かつての家主や使用人達が青白いシルエットでワルツを踊り出した。反刻ほどの演奏が終わると来た時と同じように闇の中へと消えていった。その数日後、邸宅は取り壊されることとなり、家財は軒並み処分された。私は運良く気に入られて処分されず、今は別の家でアンティークとして置かれている。いつかまた灯火を囲む日が来るだろうか。
題『灯火を囲んで』
11/7/2025, 7:44:32 PM