色鮮やかで綺麗な花、美味しそう。でも無農薬のものがいいみたい。沸騰処理すれば大体のものは食べれると思う。僕は昔から、他の人が食べない部分が好きなんだ。魚の頭や骨、皮の方が身より魅力的に見える。だから秋刀魚やホッケの開きも捨てる部分がない。でもほとんど量は食べれないから、一輪のコスモスは一食分としてちょうどよい。
題『一輪のコスモス』
秋の夜空に恋をする。
夜の3時半に5分程度のジョギングをする。昨日のストレスや葛藤、崩壊しそうな精神が意識から消える。誰もいない、街頭だけが照らす道を走っている間は、生きている意味や未来への絶望を家に置き去りにして無心になれた。そんな秋の夜空に恋をする。
題『秋恋』
勝手に限界を決めつけて「絶対にやめた方がいい」と見切り発車する気持ちにサイドブレーキをかける。やる気を削がれ、家で飼い殺しにされる。普段チロチロとしか燃えずに生活しているから、たまに急激に燃え上がると冷や水を浴びせられる。あーあ、せっかく動けるタイミングだったのに。僕がやりたいって言うものを愛する、
それ故に「常識的で一般的な幸福」に束縛しようとする。内面よりも外面的に幸福そうに見える事を優先する。その結果、周囲からは何も辛い事がない成功者のように見える自殺念慮に囚われたマリオネットが誕生する。
無表情な笑顔で手には出刃包丁を持っている。
題『愛する、それ故に』
冒険者ギルドが発表した研究結果によると、〈ダンジョンラット〉に癒し系BGM(セイレーンの歌声をサンプリングしたもの)を聴かせると危機的状況下における運動能力が低下した。ダンジョンの魔物や魔法生物は本能によりこれを理解しており巧みに利用する。そのため冒険者は張り詰めた緊張の糸を絶対に途切れさせてはいけない。さもなければ弛緩した精神の間隙に鋭い爪と牙が襲いかかる。
静寂の中心は穏やかな死へと繋がっている。
題『静寂の中心で』
秋風が住宅街の街角の家に置き土産のように枯れ葉を置いていく。何度もゴミ袋に入れて処理するのも面倒だ。そもそも自分の家の紅葉ではないではないか。ならば燃やしてしまいたいが色々と面倒くさい。
(話は変わるが、かつての自転車は良かった。ふらっと乗って何処かへ向かい、気が向いたらサクッと帰れた。だが今はヘルメットの装着や走る場所の指定、傘さし運転の禁止など意識しないといけない事が多くなり過ぎて乗る気も失せてしまった)
そうしている間に枯れ葉は自然発火を起こして家は全焼した。煩わしい決まり事さえなければ風のない日にチャッカマンで燃やせば済んだ話だ。安全のためのルールが結果として被害を拡大させた。
題『燃える葉』