学校にとって私はかつて存在していただけの老廃物にすぎないのだろう。教室の奥には「希望」と書かれた習字に金賞のシールが貼られており、窓から見える満月はよくできた贋作のようにベッタリと空に張りついていた。誰もいない教室は休眠状態の胃袋のように静まりかえっており、あと数時間もすれば再び活動を再開するだろう。学校は一部のものしか受けつけない偏食的な摂食障害のようであり、社会から完全に鎖国しており、開放的に見せかけた窓のない研究施設のようであった。ならばここにいる私はアニサキスのような寄生虫なのだろうか。それに関しては黒板にチョークで文字を書いているだけだから痛みはないと思う。
時間も無限にあるわけではないので作業を続行する。一人ひとりの机の上に花言葉を添えた紙と一輪の花を置いていく。黒板には「卒業おめでとう」という言葉を三年間の想いと共に描き込んだ。
さらば諸君!私の初めての生徒たち!
題『誰もいない教室』
Go down this street and turn right at the second traffic light.
不思議と覚えていた会話表現。
でも今はイタリア語が好きだから。
Come si dice in italiano?
題『信号』
精神科医「つまり〇〇ってことでしょ?」
相談者「ええ、まあ、はい、そうです。分かりました。ありがとうございました。(あっ、この人ダメだ、なにも分かってない)」
抑揚のない声で礼を言う。早々に話を切り上げたかった。
精神科の仕事は解決策を明示することではない。
また会って話したいなと思ってもらうことだ。
題『言い出せなかった「」』
何気ない毎日。明日がくると信じて疑わない人達。体重計に乗る時、テレビを見る時、そして入浴して寝る時。唐突に日常が終わりを告げる予感がする。
私がいなくなったらsecret love は永遠に見つけてもらえない。だから愛情は隠したくない。明日が来るとは限らないから。
題『secret love』
気になったタイトルや表紙の本を手に取る。目立つ場所に置かれていたからであり、特にジャンルに拘りはない。パラパラと数ページめくり、躓くような文体でないか確認する。読んでいて苦痛なものは避けたい。この点でいうと電子書籍よりもスムーズなため有難い。
ページをめくる事は、点滴を一滴ずつ身体に浸透させるような行為だ。すぐには効果は出ないが癒してくれる。そして自分のことを少しだけ好きになれる。
題『ページをめくる』