スミキ

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2/20/2023, 5:19:15 AM

「枯葉」

かしゅ、と枯葉を踏む音を想像すると、幼稚園児くらいの小さな人間だったころを思い出します。

どうしてかと考えてみたのですが、今よりもはるかに背が低く、ひしゃげる枯葉の音がずっと大きく聞こえていたからかな、と。
枯葉の山を蹴り上げ、目の前に地味すぎる色のシャワーを降らせていたことなど、紐づいてたくさんの景色が浮かびます。

と、同時に少し寂しい感じもします。
大きな人間になって、枯葉はいつしかただの地面の一部になってしまった気がするのです。

かしゅ、という音を去年は聞いたかしら。
いや確実に聞いてはいるのですが、覚えていないかも。

数十センチ離れるだけで、こんなに解像度が下がってしまうものか、それとも距離以外の原因なのか。
全部が新しかったころの感性をふとうらやましく思ってしまう、そんな季節外れのお題でした。

2/19/2023, 9:40:12 AM

「今日にさよなら」

一日の中では、どの時間が一番好きですか。
眠っている間がもっとも幸せなのは言うまでもないですが、私はまさにさよならの時間、目をつぶる少し前のときかな、と思います。

怖くて押しつぶされそうな日も、眠るのがもったいないくらいワクワクする日も、私にとって終わりの時間は優しくそこにあります。

とはいえ、ぼんやりとした不安、沸き起こる心配を抱いたままとりあえずお布団に入ることはよくあります。たしかにその時間はとても苦しくて、目を閉じるとたくさんの声が自分の中から聞こえてくるようです。

でも、もういいのです。
明日の私にもう丸投げです。
この気持ちも、困った課題も、明日の私がなんとかしてくれます。
今の私はもう、バトン渡せばおしごと終了です。

だから、私がやるべきことはとにかくどうやって眠りに落ちるかなのです。
眠くなる動画をみたり、少しお酒をなめてみたり。
そういう工夫は、ある意味前進でもあります。
思いきり眠ることがいちばん頑張ってることなのです。

と、思えるようになってからは、寝る時間はとっても楽しくなりました。

明日の自分はきっと頼れる奴だ、そう思える私は幸せな日々を過ごしているのかもしれませんね。

さ、明日の私におまかせして、今日の私にさよなら、おつかれさまです。

2/18/2023, 3:07:18 AM

「お気に入り」

一度、私と「お気に入り」という言葉との距離感を改めて考えてみましょうか。
なぜだか、日常で「私のお気に入り」と発言するのは非常にためらわれます。

「お」がついていて自分が偉くなったような感じがするし、気に入っているものをどや!とさらけ出してしまうのもちょっと恥ずかしい、とかそんな理由だと思うのですが。

「これ、あの人のお気に入りなんだよ」とかも、なーーーーーーーんだか、ちょっとちょっとなんか含みがある感じがして、もはや「お気に入り」という言葉に接触するのは、楽天市場のアプリくらいな気がします。

いまはそういうweb上の「お気に入り」も多様になってきて、「欲しいもの」「スキ」「いいね」「保存」「pick」とか、もう少しライトな表現が増えたように感じますね。

でもだからこそ、「お気に入り」という言葉がレトロな魅力とか雰囲気を帯びてきているようにも思います。
ちょっとハマってるものに使う言葉、からは外れてきているというか。

それを踏まえて、どういうものと「お気に入り」が親和性が高いか、完全に主観で考えてみたのですが、子供の頃からそばにいるくまちゃんとか、お母さんの編んでくれたマフラーとか、こう、あるじゃないですか。
見るだけで胸を鷲掴みにされるようなもの。
言い換えれば「大切なもの」になるかもしれません。

ああそういうものなら、私も自信を持って「お気に入り」って呼べそうかもな、と。
となると、今度は思い出だらけの宝物たちから「お気に入り」を選ぶのが難しくなってしまいますね。

「お気に入り」ってなかなか難儀な言葉です。

2/17/2023, 2:22:15 AM

「誰よりも」

初日のテーマの重さに困惑しつつ、「誰よりも」という言葉の重さに捉われる人生だった(し、多くの方もそうではないですか?)と振り返っています。

ナンバーワンよりもオンリーワンだよ、などと名曲は囁いてくれるわけですが、困ったことに「自分は何のオンリーワンなのか」を見つけることほど難しいことはありません。誰よりも何かであることは分かった、でも一体「何の?」と。

この沼の深さは、世に溢れる自己啓発本の多さに比例しているような気もします。結果、セルフプロデュースやマーケティングといった知識の海に漕ぎ出して、必死に探し物の旅に出るわけです。いや、真剣にお仕事にされている方を否定するつもりはありませんが、凡人の旅路の先にあるのは「なんかはちゃめちゃ論理のこじつけで自分を力で納得させた定義」であることが多いように思います。

そんな旅はこの間卒業したのですが、旅の終盤、ぼろぼろになりながら、なんか、虚しいな、そもそも私ってなにもないな、まあ、ええか、ご飯はおいしいし、散歩は気持ちいいし、と楽しく生きるわんこのような心になってから、ふと突然自分らしさみたいなものに出会う日が来ました。自分を定義しようとしてるうちは、なかなか誰よりも私はこれを持っている!とはなりにくいのかもしれないですね。

そんな今の私は、誰よりも幸せかもしれないな、と晴れた外を部屋から眺めて思います。