秋雀(あすず)

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1/13/2024, 1:15:34 PM

彼を凄いと思う間、必然的に私は彼を越すなんて事は叶わない。何故なら、彼を尊敬し続ける限り、私の到着点が彼の隣であり続けるからだ。

私が凄いと認める彼もまた、私と同じく何かを尊敬しては見据えて居る。また、彼の見据えるその先はきっと私にとっても見据えなければならない地点であり、それと同時に到底追い付けないものなのだろう。

過去の目標を振り返ってみれば、今では大した事がなく感ぜられ、尊敬という物の価値は薄まって仕舞う。故に、その人をずっと尊敬し続けたいのならば、尊敬し続ければいい。けれど、その人を目標にするのならば、その人よりも上を目指さ無い事には、目標であるその人の足元にさえも辿り着けないと断言しよう。

1/7/2024, 12:12:41 PM

【 証明と矛盾 】

勉学には大きくわけて文系や理系の二種類がある。

私はどちらかと云うと、文系の者である。特に文学の哲学が好きで、良く思考吟味をしては友人と話し合って居るのだが、私はふと疑問に思った。「感情や証明されざるもの達は、どうして理学的に理論立てて表す事が叶わないのか。」そして、「どうして矛盾が出来て仕舞うのか。」の二点だ。

皆様はお気付きかも知れない。現段階で矛盾が生じて居る事を。そう、私は哲学を愛する身で有りながらも、「理学的」に証明したがって居るのだ。

哲学の良さは、曖昧に広がる認識に対して、自発的に疑問を感じ取りら自分なりに思考定義して、議論出来る所だろう。これは考えた事が無かった、これは自分的に少しお門違いかも知れない。議論と云う段階を踏んでから、新たな思考が生まれたり、自分なりの信念が生まれる。これこそが哲学の良さなのでは無いかと私は定義するのだ。

けれど、どうして感情や証明されざる物達を理学的に証明したいのか。私が考えるに、感情は、理論には叶わない物を持ち合わせて居る為なのだろう。理論は如何に筋が通って居るかを重視されるのに対し、感情と云う物は如何にその思いが強いのかが重視されるのだ。

文系では有るが、私は理論が好きだ。けれど、感情論についてはこれっぽっちも理解出来やしない。故に私は哲学に走る。けれど困った事に、感情の定義は皆の各々の感覚で決まる物でしか無く、哲学的に言い表そうにも抽象的過ぎるのだ。感情や心理、その他証されざる物が有る限り、人々は永遠に彷徨い続ける運命なのだと云える。

そして私は「どうして矛盾が出来て仕舞うのか」。これについても丸っきり判らないままである。しかも、矛盾が生じて居たとしてもどちらも正しい場合が有るのだ。それこそ感情や証明されざる物を筆頭に矛盾は生じる未知なのだろうか。私達はその未知に触れ続けながら今を生きて居るのか。

1/5/2024, 5:43:15 PM

【 言葉依存症 】

人間と纏めても、果たしてそれは人間なのか。
私は人間同士で対話をした事がない。
確かに身の回りには人間が多数存在している。
けれど、私は人間とは対話した事がない。

言葉とは便利で有る。
それ故、言葉に頼り過ぎて仕舞う。

犬や猫、その他動物と接する時、
私達は人間で有ると言えるのだろう。
けれど、人間と人間が接する時、
それはただの動物で有る。

言葉で全て伝えなくては、
相手には何にも伝わってはくれないのだ。

犬や猫、その他動物と接する時は
その言葉すら通用しない。
だからその子自体の仕草や鳴き声の強弱から、
感情を汲み取ってお互いが接する。

私はこれが対話なのだと思っている。
私の一方的な対話は有れど、
同じ人間と対話した事はまだ無い。


┈┈┈✄┈┈┈キリトリ線┈┈┈✄┈┈┈


いつか気が向いたら続きを書きたい為、メモ。


1/4/2024, 1:22:14 AM

「酔えない酒は酒じゃねえ!」
そう云う父は、急性アルコール中毒になった。
もし酔えなかったとしても、酒なんだよね。うん。

1/3/2024, 5:52:11 AM

早く全部忘れたくて、通常じゃなくなってしまいたくて浴びる程の酒を飲む。それでも、酔いが強くなる代わりに、酒に強くなるばかりで。

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