秋雀(あすず)

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【 証明と矛盾 】

勉学には大きくわけて文系や理系の二種類がある。

私はどちらかと云うと、文系の者である。特に文学の哲学が好きで、良く思考吟味をしては友人と話し合って居るのだが、私はふと疑問に思った。「感情や証明されざるもの達は、どうして理学的に理論立てて表す事が叶わないのか。」そして、「どうして矛盾が出来て仕舞うのか。」の二点だ。

皆様はお気付きかも知れない。現段階で矛盾が生じて居る事を。そう、私は哲学を愛する身で有りながらも、「理学的」に証明したがって居るのだ。

哲学の良さは、曖昧に広がる認識に対して、自発的に疑問を感じ取りら自分なりに思考定義して、議論出来る所だろう。これは考えた事が無かった、これは自分的に少しお門違いかも知れない。議論と云う段階を踏んでから、新たな思考が生まれたり、自分なりの信念が生まれる。これこそが哲学の良さなのでは無いかと私は定義するのだ。

けれど、どうして感情や証明されざる物達を理学的に証明したいのか。私が考えるに、感情は、理論には叶わない物を持ち合わせて居る為なのだろう。理論は如何に筋が通って居るかを重視されるのに対し、感情と云う物は如何にその思いが強いのかが重視されるのだ。

文系では有るが、私は理論が好きだ。けれど、感情論についてはこれっぽっちも理解出来やしない。故に私は哲学に走る。けれど困った事に、感情の定義は皆の各々の感覚で決まる物でしか無く、哲学的に言い表そうにも抽象的過ぎるのだ。感情や心理、その他証されざる物が有る限り、人々は永遠に彷徨い続ける運命なのだと云える。

そして私は「どうして矛盾が出来て仕舞うのか」。これについても丸っきり判らないままである。しかも、矛盾が生じて居たとしてもどちらも正しい場合が有るのだ。それこそ感情や証明されざる物を筆頭に矛盾は生じる未知なのだろうか。私達はその未知に触れ続けながら今を生きて居るのか。

1/7/2024, 12:12:41 PM