左様なら

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8/17/2024, 4:43:58 PM

たまには単純に想いを伝えてみようと思うのです。
貴方への憧憬と愛情。
どうしようね。
貴方が居亡くなったって、こればっかりは捨てられないのだろうね。
いついつまでも永遠に、私は貴方への感情の一片だって捨てられないのだろうね。

8/5/2024, 2:25:49 PM

村唯一の寺が鳴らす釣鐘の音は、春夏秋冬変わらず六時と十八時に鳴る。時報の名残りであるその鐘は三度だけ突かれるのだが、音は何度も村に鳴り響く。この村は四方を高い山々に囲まれているので、鐘の音は反響してボワワンと鈍く低く残るのだ。
私はそんな鐘の音を聴くのが好きだった。特に好きなのは、真冬の昏鐘だ。黄昏時をとっくに過ぎ、自分の手の平でさえ見えない真っ暗な夜。遥かに高く遠い空を見上げながら、低く響く鐘の音で、何度だってあの日に想いを馳せるのだ。
私には一つ歳下の幼馴染みが居る。この山間の村から海岸の街へと飛び出して行った、海に魅入られた男だ。
私と同じく山で生まれ育ったのに何故、とも思ったりしたが、何のことは無かった。高校生の時に彼が付き合っていた隣町の女の子。その子の趣味であったスキューバダイビングに感化されたのだ。その彼女とは一ヶ月と持たず別れていたが、海とスキューバとは十年経った今でも懇ろな間柄が続いている。
そんな幼馴染みに連れられて、私も海に潜った事がある。隣町や海岸の街の海などではない。同じ日本だが、ずっと遠くにある南の海だ。私の最初で最後の旅行先として、彼と行く唯一の旅行先として。山間の村からとびきり離れたその南の島を、私は自分の意志で選んだ。
二月でも殆ど冷たくない海に、私は彼に手を引かれて潜った。美しい世界だった。圧迫感のある緑しか知らなかった世界が、紺碧に塗り替えられていく。嬉しくて胸が熱くなって、ちょっとだけ彼の手を引っ張ったつもりだった。本当にちょっとだけだったのに、海の中では思いの外強かったらしい。私達は二人でクルリと回ったのだ。それがとても、とても楽しかった。
顔を見合せて、同時に吹き出して。そうしてめちゃくちゃに笑い合っていたその時。私は確かにその音を聞いた。
身体が振動する鈍く低い音と、遅れて気付いたその大きな影。彼に指さされて見下ろした海の底から、その大きな大きな鯨は悠々と泳いで来たのだ。
一瞬だった様にも、一時間だった様にも思えた。鯨はそれ以上私達に近付いて来なかったが、三度その鳴き声を響かせた。
あの時に私が抱いた感動と喜びを、きっと、彼だって真に理解していなかっただろう。今度こそ踊るつもりで手を引っ張った私に、彼は先程と同じぐらいの笑顔で応じてくれていたから。
釣鐘の音を鯨音とも呼ぶのだと、そう教えてくれたのは高校生の時の彼だった。隣町の、セミロングが良く似合う穏やかな女の子。その子と付き合い始めた彼が、学校からの帰り道に教えてくれた。
黄昏の中で響く鐘の音と彼の言葉を聴いてから、私はいつかきっと、彼と一緒に鯨の鳴き声を聴きたいと思っていた。山間の村で生涯を終える私にとって、海岸の街に行ってしまうだろう彼を思い出す縁になると思ったから。
山に響く釣鐘の音に、私は今日も彼と2人だけの海を見る。

8/3/2024, 9:37:42 PM

彼女の目が覚めるまでにできる事はまだある。それならばと、みっともなく足掻く事にした。
「みっともなく」。その形容詞だけで、僕がどれだけ追い詰められているかなんて、どうせこの独白を盗み聞いている諸兄らには察せられているのだろう。まあ、それで良いのだ。彼女だって、いずれのどこかで知ったって笑ってくれたら良い。
ビロードのドレスを洗おう。純白を取り戻したそれは、彼女の痩躯にこそ相応しい。
青い薔薇を1本添えよう。幸せを願うそれは、彼女の門出にこそ相応しい。
山ほどの苺を用意しよう。ケーキを彩るそれは、彼女の笑顔にこそ相応しい。
望んでた指輪を持ってこよう。サイズを直したそれは、彼女の薬指にも相応しい。
そうしてできるだけ整えた世界の中で、屈託なく笑う彼女を思い描く。幸せそうな彼女に思いを馳せる。たったそれだけで喜びが全身を包み込んで、まだ上を向いて歩んで行こうと思える。良きパートナーに巡り会えた彼女の明るい未来を、僕は僕の全てで祝福したいのだ。
「バージンロードは、一緒に歩けないけれど」
娘の目が覚めてまた歩き出せるのなら、僕は喜んで「足」を差し出そう。

7/29/2024, 7:09:12 PM

嵐が来ようとも、凪が訪れようとも、箱庭に在る彼女は変わりない。天候に弄ばれている俺をひと笑いもしない。確かに窓辺の安楽椅子に腰掛け、外を眺めているのに。
であれば、あの丁寧に磨かれたエメラルドの如き瞳は、一体外の何を眺めていると言うのだろう。今の庭で一等目立っている俺を眺めないで、一体何に心を動かすと言うのだろう。そう考えれば考えるほど、俺は彼女の事が好きになって行ってしまう。
…………という所まで想像して、僕は目の前の現実に意識を戻した。左手に持った鎌で、目の前の葦を刈り取る。僕が作り上げた薔薇の園庭で悪目立ちしていた雑草は、あっという間にその存在感を失せてしまった。
死んだ葦を掴んで立ち上がる。屋敷を振り返れば、窓辺の彼女と目が合った。エメラルドの如き瞳を持つ、美しい少女。そんな彼女に、僕は右手を振った。葦は死んだと告げるように。
上等な白いレースカーテン越し。彼女は絶対に、僕の為にひと笑いしてくれているに違いない!!

7/28/2024, 6:09:19 PM

何せわたくしは人混みが嫌いなものですから、お祭りという人がわらわらと集まるというものには行った事がありません。西南に在る硝子戸を開けて、漂って来るお囃子を盗み聴くだけで十分なのでした。それだけで十分、『お祭り』を楽しめていたのでございます。
ですが、今になって思い知ったのです。わざわざ重い硝子戸を開ける程には好きなのなら、いっぺん行ってみたのなら良かったのだと。
お囃子はもう殆ど聴こえません。だんだんと小さくなってゆきます。お祭りはじきに終わるのだそうです。最早人混みと呼べるほどの人が、お祭りにやって来ないから。
わたくしにはもう知る手立てはございません。嫌いという思いが、好きという思いに軽々と塗り替えられていく鮮やかな感情を。今更硝子戸から飛び降りた所で、お祭りにはもう間に合わないのですから。
ああ、ずっと好きだったのに。行けば良かったなあ。
そう思うこの気持ちも、お祭りが終わりを決める前に口にすべき事だったのでした。

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