朝、袖を通したセーターを脱ぐと、パチッと音がした。身体から離してもふよふよと近付いてくるそれを見て、あーもうこんな時期かぁと、まるで他人事みたいに思う。
これが冬の第一のルーティン。ここから、私の夜が始まる。
▶セーター #43
あら、結構ですわ。そんな顔で着いてこられても迷惑ですし。貴方様はそこでみっともなく蹲っていらっしゃればよろしいのよ。
なにより、あちらでも貴方様にお手を掛けさせるだなんて、それこそ私の面子が丸潰れじゃありませんか。そんな思いを私にさせないで下さいまし!
……あら、もしやそれが目的? それじゃあ尚更ですわね。ここに残って下さいませ。
お忘れのようですからお伝えしますが、貴方様にも“お役目”があるでしょう。貴方様にだけ与えられた、とっても、とぉっても大切なお役目が。私には無いものが。
それは貴方様が自ら選んだことだとも伺っておりますけれど、そちらは果たさなくても宜しいのかしら? 貴方様が選んだものなのに?
これは私に与えられた、私にしか出来ないお役目ですわ。それを、貴方様は奪うおつもりですか?
……ええ、解っていただけたなら結構です。
そう、貴方様はここでいい子にお留守番なさればいいの。そうして貴方様が選び、与えられたお役目を果たすのです。それが、貴方様がここに在るただ一つの理由なのでしょう。
……いい加減泣き止んで下さいませんこと?
ああ、本当に鬱陶しい。いつまでも幼い人ね。
此処から落ちて、贄となるのが、私に与えられた唯一のお役目。そんな大切なお役目を恨んだことなど、私、一度たりとも御座いません。
これは私の大切な誇りです。
何人たりとも奪うことは赦しませんわ。
▶落ちていく #42
夫婦は二世と云うけれど、果たして私と貴方が恋に落ち合う来世などあるのかしら。
こんなに重大な過ちを犯した貴方に、来世なんてものが存在するのかしら。
嗚呼、でも、もし貴方が生まれ変わって悔い、改めたなら、今度は私から会いに行ってあげる。
そうして貴方に思い出させてあげるわ。
桜の花弁とともに貴方が散らせた命の重みを。
風鈴の音色に打ち消された哀切な調べを。
真っ赤な茸の隣でグツグツと煮込んだ羞悪を。
床に落ちてダメになった厚揚げを見下ろした瞬間の殺意を。
私たちは永遠を誓った。すてきな日々が待っているのだと信じて疑わなかった。だけど、私たちにそんな日が訪れることはない。きっとこれから先もずーっと、永遠に。
お互いに捧げ合ったものは、極楽ではなく地獄行きのキップ代だったけれど、私たちも一度は確かに愛し合って、神に永遠を誓ったんだよ。
貴方が奪ったひとりの時間を、今更返そうなんて思わないで。私をひとりにしないで頂戴ね。
一度結んだめおとの契りはそう簡単に千切れやしないのよ。
▶夫婦 #41
「冬って好き?」
「うーん」
考えるように一呼吸置いて、她は「嫌いだな」と答えた。
「ふうん。なんで?」
「なんでとは」
她はさらに首を捻る。
「強いていえば、寒いから、かな。ほら、わたしは冷え症が酷いでしょ。カイロの消費がとんでもないし、無くなったとき買いに行かなきゃいけないのも嫌だから。寒くてお布団から離れるのが憂鬱になりがちなのも理由の一つかな」
ま、鍋物とかおでんは美味しいけどね、と她は付け加える。微笑ましくてつい「そっかそっか」とうなずくと少しムッとした顔を見せた。
「そういうアンタはどうなのさ。アンタも毎年冷えに悩まされてるじゃない」
「ぼく? ぼくは割と好きだよ」
「なんで?」
声音にはからかいが混じっているが、表情は至極マジメだった。倣って、ぼくも至極マジメな顔で答える。
「冬になったらこうしてくっつけるから」
「……あっそ」
照れたように身体を預ける她を温めるように肩を抱くと、わたしも好きになれそう、と小さく聞こえた。
ぼくが好きなのは她といっしょに過ごす冬だけだなんて、とてもじゃないが今はまだ言えないなぁ。
▶冬になったら #40
あの子が死んだ。
学生時代のいじめで発症した鬱病による、自殺だった。
葬式の日、あの子はきれいにお化粧をして、絹の白袴を着たまま棺の中で横たわっていた。
私はおいおいと泣いた。
あーあ、もしも別なときに死んでしまったら、おたがい泣かないで送り出そうねって約束したのに。笑っていてほしいからって、言ってたのに。
だけど、いくら理性で止めようとしても、大雨のあとの濁流のように涙は溢れつづけた。
以前のように冗談を言い合えないのが悲しくて。
あの子の痛みに、苦しみに気づけなかったことが悔しくて。
だけど、ああ、とも思う。
あの子はもうこれ以上苦しまなくてもいいんだ。それはきっとあの子にとって最善だったのかもしれない。あの子に唯一残された救いだっあのかもしれない。
いろんな感情がドッと押し寄せて、私を支配しようとする。ぐちゃぐちゃに掻き乱そうと襲いかかる。
あの子は死後の世界を信じていた。よい行いをすればすてきななにかが未来で待っているし、死んだあともきっと楽しくいられると熱弁していたものだ。
私は信じなかったけど、けれど、もし本当にそんなものがあるのなら。
そしたら、また、会えたりするのかな。
涙はいまだ頬を伝って、足元にしみをつくる。
それらを拭い、手近な位置においていた三本の白菊を掬い上げ、あの子に手向けた。
寂しくなるけどさようなら。
あの世でまた会いましょうね。
▶また会いましょう #39