どこかで鐘がなって らしくない言葉が浮かんで 寒さが心地よくて あれ何で恋なんかしてんだろ
(backnumber クリスマスソング 歌詞の一部)
ベルの音とか、鐘の音とか聞くと、この曲が1番に思い浮かぶ。そして、今は隣にいないあの人のことを思い出す。
こんなに辛くなるのに、何で恋なんてしてんだろ。
こんなに悲しくなるのに、何で忘れないんだろ。
そんな思いがこもったため息を、冬の冷たい風がどこかへと運んでいく。かなり冷たい風で、僕の体はぶるりと震えた。その寒さが、心の傷を撫でて、痛みが走るけれど、なぜか心地よい。
あれ、クリスマスソングの歌詞の通りだな。面白いんだか、悲しいんだか、よくわからないなぁ。
「メリークリスマス、○○。メリークリスマス、1人の僕」
なぜだか、こんな言葉が口から出てきた。独り言なのに、クサイセリフだな、なんて。これも1人で、思ったよ。
長くなりましたが、どうか読んでいただきたい。本当にお願いします。
世界は、喜びや楽しみに包まれているように見える。
でも、これは錯覚であって、自分達が包まれているものがプラスのものであるから、その向こうを見ることすらしない人がほとんどである。
じゃあ、その見ないところには、何が広がっているんだろう。きっと、辛い、悲しい、寂しい、そういったマイナスの感情で包まれているだろう。
助けて、誰かいないの、いたいよ
そんな声も、全部聞こえない。みんな、目を逸らして、耳も塞いで、恵まれた環境で育っているから。こんな声は、決して自分と関係ないと思ってはならない。身近にもある。
代表例は、いじめ。あれは、体の痛みや、心の痛み、精神面の辛さ、そして孤独と寂しさ。戦争の攻撃を受けた人々と同じことが、そのまま規模が小さくなったようなことが起こっている。そんなことが起こっているのに、加害者や傍観者は、見て見ぬふり、聞こえないふり。許せない。
今、世界を変えよう、戦争をやめよう。そんなことが世間では言われている。でも、小さな戦争のような、いじめが無くならないのに、なぜ戦争がなくなると思っているのか。世界のことを気にするのに、何故、目の前で苦しんでいる人や物を助けないのか。助けようと思わないのか。
これを読んでくださった皆さんも、どうか助けてほしい。いじめを受けて、被害に遭って苦しんでいる人の姿や声を、どうか傍観、傍聴しないで。いじめをとめろと言っているわけではない。そんなことできるはずもない。だから、手を差し伸べるだけでいい。
「大丈夫?」そんな言葉も、「心がこもっていれば」絶対に救いになる。何も言わずに、心に寄り添ったって。同情せずに、いつも通りのあなたで接したって。どんな形でも、心がこもれば、救われる。寂しくなくなる。辛さが和らぐ。
だから、本当にお願いします。僕のように「死にたい」なんて悲しい言葉を、自分を追い詰める言葉を、自傷しているような言葉を、言ってしまう人が、少しでも減るように、あなたなりの優しさで、手を差し伸べてあげて。隣にいてあげて。
もしかしたら、手を差し伸べても、「信じられない」そう思ってしまう相手もいるかもしれない。でも、そうなっても、「何だこいつ」とか、「もう知らない」とか思わずに、粘り強くいてあげて。少し距離を置く必要もあるかもしれないけど、完全に離れることはしないで。
これを読んでくださった方々、長い文ですみません。また、この手紙の中でも言いましたが、皆様にお願いが一つ。これで締めさせていただきます。
いくら小さくても、大きくても、いじめは人を殺すことができます。その被害者が、「死」という行為を持って、いじめから解放されることがないように、あなたがそばにいてください。いじめをとめるなんていう正義の心は持たなくてもいいです。被害者のそばにいて、その子の心を少しでも支えてあげてください。
お願いします。本当に、お願いいたします。
この世のいじめによる被害が、悲しみが、孤独が、痛みが、減りますように。いつまでも祈っております。
四季は、それぞれの季節で一緒に運んでくるものが異なる。
春は、出会いや別れ、命の芽吹きを運ぶ。
夏、人々の楽しみを運び、命の成長を運ぶ。
秋では、さまざまな幸、命の恵みを運ぶ。
冬は、寄り添う寒さ、命の眠りを運ぶ。
他の季節にはない、特別なものを運ぶのは?
冬、いろんな終わり、区切りを運ぶ。
冬は、一年の終わりや、人との関係の終わりなど、人々の心に「終わり」を運ぶ。
終わりと聞くと、悲しい感じがする。でも、終わりがあるってことは、始まりもある。春だって、始まりの季節だ。
冬は一緒に、さまざまな終わりを運ぶ。それと共に、肩を並べて寄り添ってやってくるのは、「始まり」
こう考えると、冬が運んでくるのは、「始まり」かもしれない。
(結論:冬は一緒に、終わりと始まりを運ぶと思う)
大切な人と話すのは、どんなことがいい?
これからのこと? 生活費とか、重要な話?
笑わせたいという思いで必死に考えた話?
違うんじゃない?っていうか、そんなこと話しても、何も楽しくないよね。大切な人と話したいのは、話す意味もないような、とりとめもない話なんじゃないの?
今日あったこと、最近の調子、昨日見たテレビのこと、ご飯の話。全部、価値もないし、需要もない。
でも、こんなことを話せるのは、信頼している証だし、これで笑えるなら、それは本心からの笑いなんじゃない?
とりとめもない話ができる人って、本当に少ないと思う。それができるくらい、信頼してるってことだろうから。その人は、一生付き合っていっても、関係は変わらないと思うよ。大切にしてあげてね。
とりとめもない話って、どうでもいいものが多いけど、大切な人を見つけるための大事なものなのかも。
僕の経験をもとに書きました。是非読んでいってください。皆さんは、こんなことにならないように気をつけてください。
「君が風邪をひいたら、辛くなったら、どこにいても会いに行くから!」
大好きで、大切な君に言った僕は、まだ現実を知らなかった。
君の住んでいるところに行くための交通手段。それに費やす費用。僕が知る由もない。そんな僕の、時によっては嘘とも解釈できる言葉に君は
「私もそうさせて」と、たった一言。
口に柔らかい、僕の心を照らすような、優しい微笑を浮かべてそう言った。
あれから、僕は、君と会うこともなく、今では普及しているメッセージアプリで別れを告げられた。
その時に言われた言葉は「友達として、仲良くしてね」だった。
僕は今も思う。
君は元気かな。いじめられてないかな。
風邪をひいてないかな。
そして心配になった僕は、意を決してこう連絡する。
「久しぶり!嫌なことはない?元気?」
「風邪はひいてない?」
この時、自分の無力さを思い出して胸の奥が痛んだ。