どうもどうも、お久しぶりです。
そちらはあたたかいですか。
こちらは寒いです。
娘が小学生になりました。前会ったときは4歳くらいですかね?大きくなったでしょう。来年は2年生です。
そっちで最近、美味しいもの食べました?
ビール好きですもんね。そっちでは飲み放題らしいから、いっぱい飲んでいることでしょう。
そうそう。言い忘れてましたけど、私の恩師が八年くらい前からそちらに住んでるんです。
偶然すれ違ったりしてません?広い国ですから無理でしょうか。
田中先生って名前で、五十手前くらいの男性です。
在学中超お世話になったので、もし会う機会があればよろしく伝えて欲しいです。
(卒研が楽しかったのは、先生のおかげです)
おばあちゃん、元気ですよ。
お母さんも相変わらず痩せたい痩せたい言いながらお菓子食べてます。
あの時は皆泣いてたけど、もう大丈夫です。
若い時の話をお坊さんの口から聞きました。
本人から聞きたかったなあと思いましたが、だって訊ねなかったでしょと言われたらそれまでです。こんなことばかりですね。
あんなに苦労したなんて知りませんでした。自慢話好きだったのに。
次会えたとき用に、話したいこと、聞きたいこと、なにかにまとめとこうと思います。
では、またお手紙します。
身体に気をつけてね。
おじいちゃんの初めての孫より。
追伸)
おばあちゃん、一緒に連れて行ってほしかったって。運命の人だから。罪な男ですねえ。
もちろん全力で止めました。
なので、もうしばらく先です。
ちょっぴり寂しいだろうけど、我慢してください。
20歳になった私は、10代の私が思っていたほど大人じゃなかった。
だから早く社会人になりたいと思った。
社会人になったら、早く結婚したくなった。
結婚したら、早く子供がほしくなった。
母になったら、途端に全て面倒になった。
幸せそうに笑う娘を見て、
子供に戻りたいと思った。
私はいつも、私ではない私になりたがっている。
一月五日、仕事始め。
六歳の娘が学童に持っていくお弁当を作って学童へ連れて行き、一度戻って、四歳の娘の手を引き保育園に徒歩で送る。
保育園は家から南東の方角にあり、太陽に向かって歩くことになり晴れた日は朝日が眩しい。
ほんの少しの時間さえ惜しく、教育に悪いと思いつつ歩きながら保育園のスマホアプリに入力する。昨日の就寝時間、朝食べたもの、体温。画面が反射して見辛い、と眉をひそめたら、娘が立ち止まって言った。
「おひさま、あったかいねぇ」
「そう?眩しいだけじゃない?早く行こうよ」
「じぃーっとしてたらあったかいよー」
じっとする暇なんてないよ、こっちは。
そう言いたくなるのを堪え、機嫌を損ねても仕方ないので立ち止まる。
だけど、贅沢にゆったりと冬晴れの太陽を浴びる娘が、ダッシュで化粧を済ませたしかめっ面の自分より、ずっと綺麗だ。
『良いお年を』
仕事納めの日、職場で当然のように交わされるこの挨拶について毎年悩むことがある。
それは所謂「喪中」である人に対してこれを使っていいのか、いけないのか。だって明けましておめでとうっていうのも言っちゃいけないっていうし。おめでたくないから。だから年賀状も出せないしはずだし。その理論なら、『良いお年を』だってだめなはず。今年も、秋頃にお父様を亡くされた上司になんて言っていいか分からず、就業後にウジウジ悩んでデスクで二十分。上司が席を立とうとして、慌てて挨拶。
「──で、結局なんて言ったんですか?」
「今年もお世話になりました、来年もよろしくお願いします、って」
無難、とイヤホンから聞こえる彼女の笑い声は既にほろ酔い気味だった。
年明けの瞬間に乾杯しようって約束しましたよね、という私の苦情にアレそうでしたっけととぼけるこの人の本名を、私は知らない。家族構成も、職業も、年齢も。知り合って数年経っても中途半端な敬語のまま。
だけどたぶん、どんな作品のどんなキャラが刺さるか、およびそれに属する性癖についてはこの人のお母さんより詳しい自信がある。ネットの海で、私達はようやく正直になれる。
「でも正直、ただ会社連絡でその情報を知っちゃってるから気になるってだけで、知らなかったら普通に言っちゃってると思うんですよね。なら私のエゴじゃんって思ったり」
「『そこに愛はあるんかァ!?』」
「んー。なにが正解なんですかね」
「無視つら……正解とかないんじゃないですか。あともし自分なら、今年悲しいことがあったなら来年はいい年であってほしいから、良いお年をって言って欲しい気がする」
「確かに」
「ま、相当ぶっとんだ挨拶じゃなければ誰が何言ったか覚えてないのが真理ですね。所詮他人ですから」
二十三時五十八分。私はようやくビールのプルタブを開ける。
「お。そろそろですか」
「そろそろです」
「では。今年もお世話になりました、来年もどうぞよろしくお願いいたします」
「エゴのやつじゃん」
「来年こそ一緒にコミケ行きましょう」
「地方民にケンカ売ってます?」
ネットが無い時代なら死んでたーとぼやく彼女も、もしかしたら今年悲しいことがあったのかもしれない。
そうであれば来年は彼女にとっていい年であって欲しい。そうでなくても、やっぱりいい年であってほしい。
ケラケラと笑う彼女の声に、会社から引きずって帰ってきた心のこわばりみたいなものが緩んでいく。
くだらない話ができる、名前も顔も知らない赤の他人。
そんな大事な友人の上機嫌な声が来年の年末も響いていますようにと、私は心から願ってしまうのだ。