kaya

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『良いお年を』
 仕事納めの日、職場で当然のように交わされるこの挨拶について毎年悩むことがある。
 それは所謂「喪中」である人に対してこれを使っていいのか、いけないのか。だって明けましておめでとうっていうのも言っちゃいけないっていうし。おめでたくないから。だから年賀状も出せないしはずだし。その理論なら、『良いお年を』だってだめなはず。今年も、秋頃にお父様を亡くされた上司になんて言っていいか分からず、就業後にウジウジ悩んでデスクで二十分。上司が席を立とうとして、慌てて挨拶。
「──で、結局なんて言ったんですか?」
「今年もお世話になりました、来年もよろしくお願いします、って」
 無難、とイヤホンから聞こえる彼女の笑い声は既にほろ酔い気味だった。
 年明けの瞬間に乾杯しようって約束しましたよね、という私の苦情にアレそうでしたっけととぼけるこの人の本名を、私は知らない。家族構成も、職業も、年齢も。知り合って数年経っても中途半端な敬語のまま。
 だけどたぶん、どんな作品のどんなキャラが刺さるか、およびそれに属する性癖についてはこの人のお母さんより詳しい自信がある。ネットの海で、私達はようやく正直になれる。
「でも正直、ただ会社連絡でその情報を知っちゃってるから気になるってだけで、知らなかったら普通に言っちゃってると思うんですよね。なら私のエゴじゃんって思ったり」
「『そこに愛はあるんかァ!?』」
「んー。なにが正解なんですかね」
「無視つら……正解とかないんじゃないですか。あともし自分なら、今年悲しいことがあったなら来年はいい年であってほしいから、良いお年をって言って欲しい気がする」
「確かに」
「ま、相当ぶっとんだ挨拶じゃなければ誰が何言ったか覚えてないのが真理ですね。所詮他人ですから」
二十三時五十八分。私はようやくビールのプルタブを開ける。
「お。そろそろですか」
「そろそろです」
「では。今年もお世話になりました、来年もどうぞよろしくお願いいたします」
「エゴのやつじゃん」
「来年こそ一緒にコミケ行きましょう」
「地方民にケンカ売ってます?」
 ネットが無い時代なら死んでたーとぼやく彼女も、もしかしたら今年悲しいことがあったのかもしれない。
 そうであれば来年は彼女にとっていい年であって欲しい。そうでなくても、やっぱりいい年であってほしい。
 ケラケラと笑う彼女の声に、会社から引きずって帰ってきた心のこわばりみたいなものが緩んでいく。
 くだらない話ができる、名前も顔も知らない赤の他人。
 そんな大事な友人の上機嫌な声が来年の年末も響いていますようにと、私は心から願ってしまうのだ。

12/31/2023, 1:28:45 PM