イルミネーション
寒い…ほとんどの葉っぱは風に飛ばされてしまった。何十年この繰り返し。又冬が来る。昔はかなり高く雪が積もったっけ。雪が積もると夜でもどこまでも明るくて、しばれているのにほんわかと温かい気持ちになったものさ。もう若くないから枝の先は所々折れてしまって、体の皮も剥がれてきている。みすぼらしくなってしまったよ。でもまだまだ私はこの場所に居続けて見守るつもりさ。この道を通る子供達、一人暮らしでいつも声をかけてくれるお年寄のお友達。幼馴染の奴等も周りで頑張って風に立ち向かっているしな。
最近、急に慌ただしくなった。自分の周りで大勢の作業員が私の体に登ってくるのさ。『今年も頼むよ』なんて言いながら。くすぐったいたらありゃしないのだけれど、私までウキウキしてきて、冷たい風すら笑って抱きとめたくなるんだから。
あっという間に指の先から体中に線が巻かれて動きづらくなったと思ったら、夢でも見ているかのように輝き出したのさ。まばゆい光を放ち、空の星が落ちて私を見つけてくれたかのように。
命の限り輝こう、光は私の命の灯さ。私を見上げる者たちに届けよう。生きている素晴らしさを。光のイルミネーションと共に。
愛を注いで
子供が出来たと告げられた時、涙が溢れた。
この時の喜びは言葉に出来ない。
あまり愛されなかった。多分生まれた時分はみんなに可愛がられたと思う。いつからか物心ついた時にはいつもひとりぼっちだった。
大人になって欠けているものが多すぎる私に愛を注いでくれる人が現れて常に寄り添ってくれた。
なのに人間不信、子供嫌いの私は愛仕方が分からず…。
そんな私に子供が産まれると分かったとき、初めて愛というものの大きさ、強さ、揺るぎ無い思いを泉が湧くが如く肌で感じたのだ。
産まれた子供に可愛いとか愛するとか、考える暇もなく、日々今この時の目の前のあれやこれやをやり過ごすことで疲れ果てていた。
そんな私に愛を注いでくれたのが、小さな手でぎゅっと握ってくれる、天使のような笑顔で見つめてくれる赤ちゃん。
私に愛を教えてくれた。全身全霊で信じる事、守る事、待つこと、許す事、すべてを教え学ばせてくれた。
コップの水があふれるように、
次々と溢れ出す泉のように、
暖かいお日様が平等にすべての草花にあたたかさを分け与えるように、
私は愛を注げただろうか…。
心と心
心は何処にある?
人の中…
心は見えるの?
見えない。
誰にでもある?
無いと思われる人もいる。
心と心は通じるもの?
時にはね。
通じるとつながると通うは違う?
違う。
一度通ったら離れない?
過去に心が通い合っても今もそうとは限らない。
見えないのに心が有るというのは何故?
心が有ると心が感じるから。
心は暖かい?
暖かくもあり冷たくもあり。
傷はつく?
傷だらけになって一生抱えて生きるときもあれば、その傷のせいで命を終える事もある。でも、時薬で癒されてかさぶたになり前より強くなれる事もある。
今日も心を込めて、見えない心達に祈り、心から心へと沢山の思いを通わせていく。
なんでもないふり
その日仕事中、連絡があった。
仕事仲間で10歳位年上の人の突然の訃報。前の日、私に意見してくれて一緒に考えてくれた先輩。
その日の夜、電話しながら突然倒れたらしい。まだ独身で若かった。
20歳位の私は頭が真っ白になり昨日普通に話したよ…えっなんで…
涙が溢れてきた。職場のみんなも動揺していた。
仕事が手につかず、人気の無いところで誰もが泣いていた。
コールが鳴る。私達は明るい声で対応し笑顔で出かける。なんでもないふりで…。
仕事は待ってくれない。次々と押し寄せる仕事に忙殺されながら普段通り私達はその日をやり過ごした。
なんでもないふりで…今日も明日も。少しづつ悲しみがオリのように積もっていく。胸がつぶれそうな日々を超えて私は少し大人になった。
仲間
この言葉が一番嫌い。
すみません。
未熟者でごめんなさい。
いい年してだめだね。
居ないことはなくて、必要不可欠な仲間も有り難い事に近くにいます。
助け合い頼り合い学び合い、何でも話せる信頼できる仲間です。
仲間のいない人間は早死にするそうです。動物の世界でも証明されていますが、その中でも孤高の動物はいるものです。
試されているのでしょうか?
責められているのでしょうか?
人と上手に付き合えない私を…。
何を学び、どう活かしていくのか?
又同じ過ちを繰り返すのかと。
仲間…私の人生の課題でしょうか。