低気圧、紫陽花、梅雨、花火、台風、夏休み
"夏"には沢山の楽しい事と沢山の気分が沈む事がある
子どもの頃、私は夏休みがあまり好きではなかった。
夏休みの課題は最初に殆ど終わらせるタイプだったし、夏の暑さが嫌いな訳でもなかった。
にも関わらず私が夏休みを好きではない理由は、ただ単純に終わるのが悲しいのと、冬になるのが嫌だったから。
それに私は夏休みの水泳教室がインフルエンザの検査と同じくらい嫌いだったのだ。
そんな水泳教室と諸々の呪縛から解き放たれた"夏"が
今はもう日常だけど、それがあるのは私が今まで苦手な事も頑張ってきたからある当たり前なのだと思う。
はぁ、疲れた
最悪の口癖だと思う。でも実際疲れているから治らないのだ
何故自分は出来ないのだろう
何故他人には容易く出来るのに自分は無理なのだろう
何故努力は報われないのだろう
何故頑張りと結果は比例しないのだろう
逃げたい。切実に逃げたい。
"ここではないどこか"
現実逃避できる場所へ
そんな場所がこの世に存在しないのなら、どこか別の世界にでも行ってみようかな
いや、だけどあと少し、もう少しだけ頑張ってみよう
他の世界に行っても後悔しないように
「恋人がなくなったんだ」
目の前の男性が私にそう告げた。
見慣れない場所で初対面の人にそんな重たい話をされた困惑から何を話したのかさえ覚えていない
ここは病院らしい。私は数ヶ月前事故に遭って、一部の記憶を失ってしまったと聞いた。
人が記憶喪失になって無くす記憶は大体嫌な過去ではなく、寧ろ幸せな思い出らしい。
「早く気付いてよ、」
彼の口から発せられたそんな言葉は、周りの雑音にかき消されてしまって、私の鼓膜に届く事は無かった。
うっすらと脳裏に浮かんだ記憶の中のあの人に、目の前の貴方を重ねることが出来なかった。
"君と最後に会った日"
それは知らず知らずのうちに塗り変わっているのに。
"繊細な花"
形容詞と名詞
どんな花だろう
傷つきやすい花?それとも優しい花?
あるいはどちらもかもしれない
傷つきやすい人は優しい人だとよく言うから。
花も人間も変わらない所があるのかもしれないね
時計はどんな気持ちで動いているのだろうか
ただひたすらに無心で動き続けるにはきっと相当な忍耐力が必要だと思う。
それは私達人間にとってもだ。
人々はよく一年前と何も変わらない、と言うけれど
生きている限り少しづつ環境は変わる
それに合わせて私達が社会というものを形成していく
にも関わらず常に変化する社会とそれに適応しようと頑張っている私達の間にズレが生じて生きるのが辛くなる。
しかし時計は変わり続ける社会で変わることなく何百年も時を刻んでいる。
そんな風に私も世間に抗って自由に生きたいと思った
世間が求める普通になれない自分が嫌いで
それでも頑張る自分を好きでいたくて
一年前も、今も、ずっと
普通の人とは違う場所でもがいている
でも最近思った。世間の普通に合わせるのが辛いのに、私は自らそんな辛い道を歩んでいるのだと。
たとえ世間が私に普通になる事を強要したとしても、
これは私の人生なのだ。
もし人生が失敗でも誰も責任を取ってはくれない。
だったら、自分の好きな事をして楽しく生きよう
"一年後"の私へ
貴方は今、ちゃんと笑えていますか?