"子供の頃は"可愛かったのに
"子供の頃は"小さかったのに
そう言われる事がある。
それは感動とも嘆きとも取れる言葉だと思う。
もうこんなに大きくなって、という意味か
こんなに大きくなってしまって可愛げが無くなった、という意味か
どちらにせよそれは成長している証であるから悪い事では無いのだけれど。
そもそも子供の頃はみんな無垢で可愛いものであって、子供の頃は物理的にも精神的にも小さいだろう。
なのに何故そんな当たり前の事を言うのかは分からない
しかし、これだけは断言出来る。
その言葉は私の事を小さい頃から知ってくれていて、私を精神的にも物理的にも大人にしてくれた方だけが使える言葉なのだ、ということ。
例え血縁関係がない相手でも、人間はどこかで関わり合い、支えられて生きているものなのだろう。
重すぎる荷物を背負って朝早くに家を出る
誰もいない家にただいまと呟く
なんだか上手くいかない日ばかりで
またこうやって、大して凄くもない中身でいっぱいの荷物を背負って帰ってくる。
でもそうやって過ごす一日一日が
そうやって背負っている日に日に重さが増す荷物が
消えた瞬間に尊くなるのを分かっているから
今日もとりあえず今を精一杯生きてみる
誰かのために頑張って生きている、貴方のような素敵な人になるために
自分を好きになれるように。
今日も一日、明日を向いて生きている
それが私の"日常"
小さい頃、母と一緒の傘に入って歩いたのを覚えている。
今でも時々傘を持っているのに入れてもらう時がある
いつもの帰り道、ひとつの傘にふたりで入って仲良さそうに帰る男女を見た。
大切な人と同じものを共有する事は
いつの時代も、いくつになっても幸せなものなのだろう
湿った空気が身体を覆う梅雨に、幸せを運んでくれる
それが"相合傘"
空を飛んでみたい
アニメやドラマで空を飛んでいる人を見るとそんな事を考えてしまう
頬杖をつきながら窓の外を見て、あの鳥のように私も飛んでみたいと思った。
現実に生きづらさを感じても、幼少期に受けたいじめや嫌がらせを思い出せば軽いものだ。
だけど時々思う。空を飛んだら生きるのが楽になるかなって。
地位や名声、そんな形のないものを求めて生きている今。ただの噂やただの評判に落ち込んだり喜んだりする日々。
それらの意味が分からなくなって、私はその日長年の夢を叶えた。
窓から飛び出して思い切り空を舞った。思った以上に急で、思った以上に怖かった。
だけど何より、思った以上に幸せだった。
最終的にどうなるかは想像しやすいかもしれない
そんな"落下"が終わる頃には、色のあった世界から
色のない、真っ暗な世界に飛び込んでいた。
落下と聞くと、一見暗い意味を持つ単語に見えるけれど、私は新しい道へ進むためのスタートだと思う
またいつか、色のある世界に戻れますように。
――将来の夢はなんですか
あまりにもふわっとしたそんな質問に、別に誰が言うまでもなく将来就きたい職業を書く人が多いのは何故なのだろうか
社長になる、看護師になる、保育士になる
どれもとても素敵な夢だと思う。
いつしかの文化祭の時だった。
当時の私にとっては高校に入って初めての文化祭だったのでとても楽しみにしていた。
全校生徒で取り組む事として、将来の夢を小さな色画用紙に書いて掲示するというものがあった。
将来の夢なんて大きなテーマを出されてもすぐに書き始める周りと、将来の職業を書くという暗黙の了解に疑問を抱く私。
小学生の時に抱き始めたこの疑問の答えは今になっても分からない。
しかし将来の夢ならある。
それは、誰かの明日を照らす存在になること。
明日が辛かった私が支えられたように、明日が辛い誰かと共に明日を楽しく迎えられるようになること。
そんな日が来る事を願いながら
私は今日も、塗り変わっていく"未来"を生きている。