この集落を縄張りにしているカラスが2羽居る。わたしは、カーコとガーコ、と呼んでいる。この2羽のカラスしか、カラスを見たことがない。
道を挟んだ向こう側に、以前、独り暮らしのおばぁさん(80代後半)が住んでいた。ラジオの音楽に合わせて、口笛を吹くのが上手なおばぁさんだった。
カーコとガーコはほとんど毎朝、おばぁさんの家が見下ろせる電線に留まり、ワーワーガーガー鳴いていた。
おばぁさんが出てきて、「あんたたち、何言っての? うるさいよっ、何言ってんの? どうしたのっ」と、
話しかけると、余計にワーワーガーガー騒いで埒が明かない。
おばぁさんが諦めて家に入ると、カーコとガーコはいつの間にかどこかへ行ってしまう、というのがいつもの光景だった
おばぁさんが施設に行ってしまってからも、カーコとガーコは集落を縄張りにしているけれど、うるさく騒ぐことはもうない。
先日野原で、カーコとガーコがトコトコ散歩していて、わたしが「カーコ!ガーコ!なにしてんのっ」と言っても知らん顔だった。
そのうち、わたしがおばぁさんになって、、(カーコとガーコも長生きしてくれたらだけど)、、話しが通じるだろうか。。
おばぁさんが座っていた赤っぽいブラスチックの、たぶん100均の踏み台が、朽ちるでもなく縁側の石の所に残されたままだ。
今日は、いつもの週末買い出しの帰りに、夫が歯医者へ行くと言うので同行。
いつものルートから少し外れるっていうだけで、嬉しかった。
夫、ごめん。
わたしもお世話になっている歯医者さんで、待合室が広くて、いつも陽が差し込んでて治療じゃなければ最高の静けさ。
夫の治療は15分くらいで終わった。
待合室にはテレビが置いてあり、野球がやっていた。畳敷きの場所もあり、冬には炬燵も置かれる。
壁には『〇〇せんせいありがとー』とか、幼稚園児たちの絵や手紙、折り紙なんかが飾られていて、ほっこりする。
先生も長閑な調子で、「眠くなっちゃうね〜」とか、のんびり話しかけてくれたりする。
夫も治療が終わって、先生が話してくれた事を、ポツポツと車の中で話してくれた。
ちょうど今朝は山から霧が発生してた、濃霧ではなかったけれど。
朝日が野原に達する頃、東の窓を開けた。
昼間はあったかいけど、朝と夕はもう寒い、あいまいな季節。
東の窓辺のゴーヤがまだ小さい実をつけてがんばってくれている。先週、最後であろう大きな実を4つ収穫して、今日はみりんとしょうゆで炒り煮にして白ごまを振っていただいた。ゴーヤを咀嚼するとき、脳みそにシャキシャキとした音が伝わって心地良かった。買ったものと違って、火を通しても歯ごたえが残ってる。
精神的に弱ってる時は、腹八分目が分からなくなる。気づいたらお腹いっぱい食べているとか、お腹空かないとか。体調が悪い時は食べられない。
100歳まで元気に長生きしたいなら、肉や寿司、卵に牛乳、チーズ、ヨーグルトなどなど栄養価が高いと云われているものを食べた方が良い。
そこまで生きるつもりがないのなら、野菜ときのこ、米、味噌、醤油、塩。年相応、徐々に食が細くなる。
砂時計の音が聞こえるようになってしまったら、自分の心臓の音や呼吸音、血が流れる音、内臓の悲鳴が聞こえて、夜は眠れないだろうょ。。
さっき、夫が、「このおせんべい食べていいよ、会社でもらってきたから、」と言うので、
「誰かの旅行のお土産?」と、聞くと、
「誰かが会社辞めたんだけど、その誰かがわからない」と。。
そんなに大きな会社でも部署がたくさんあるわけでもないのに、誰が辞めたか分からない、そんなことってあるのか。
他人に興味無さすぎなのか。
辞めたのが誰だかも分からないのに、おせんべいだけは貰ってきたのか。。
………星図は消えても星空は消えないね、当たり前。
この間、オリオン座の中にある星まで見える、と夫が言ってた。
働く仲間の事もよく見よう。。
大根の煮物を作ろうと思って、お昼前に大根の下茹でをして、出汁を取っておいた昆布を刻んで一緒に煮込んだ。そのまま使える高野豆腐と人参と椎茸も一緒に入れて、味付けは塩のみにした。大根の皮は細かく刻んで、チャーハンの具にしてお昼に食べた。
東の勝手口を網戸にして、朝は朝日で背中をあたためながら味噌汁をいただく。たまにお昼も台所に椅子を持ってきて、山と野原を眺めながらいただく。今日は天気が良くて、赤とんぼ。
セイタカアワダチソウは、アレルギーの原因になると思っていたら、花粉を飛ばさないからアレルギーの原因にはならない、と昨日知った。
なので、セイタカアワダチソウを部屋に飾っても問題ないということで、、確かに、大きな花器に生けたらゴージャスな雰囲気を出せそうだけど。。
昔は田んぼであっただろうと、思われる土地にいっぱい揺れている。
愛―恋=日常
セイタカアワダチソウがはびこらないようにしましょう。