コーヒーが冷めないうちに、、
コーヒーは夫が飲みたい時に自分で淹れるから、意識したことがないです。
夫が休みの日は、お風呂の掃除をしてくれるので、掃除が終わって足を拭いてリビングに戻るタイミングで、お茶を出します。
「ありがと」
頼んだ事でも、率先してやってくれた事でも、ありがとうは必ず言います、お互いに。
それは、感謝というより確認みたいなものです。【やってくれたの、分かってるよ、】とか、そんな感じの。
そして、朝一番に出すお茶には梅干しをひとつ入れます。それは、お義母さんの習慣であるらしく、【朝茶には梅干しを】、というのが夫のリクエストです。
意識したことはないけど、夫婦の絶妙なタイミングはもう板についているんだと、今朝思いました。
盲人用の腕時計を見たことはありますかね?
母は時計のフタをパカっと開けて指でちょっと触って時間を確認してた。時計に触れるのは、ほんの一瞬の事です。針が動いちゃうから。
今も盲人用腕時計は、触るタイプのものかな。母はゼンマイを巻くタイプのものを使ってた。電池が切れると、交換するのにかなりの日数がかかったから。それは困る。時間が分からなくなったら、動くことができないから。
わたしの見ている世界とは、まったく違う感覚で目の見えない母は生きていく。
夜中は特に腕時計のフタを閉める時、パチって音が部屋に響いて、『……時間を見てたんだな』、と子供の頃は思った。
母はあまり眠れなかったのかもしれない。切に願ってた事を胸のずっと奥深くに秘めて、一度も、吐息にさえも出さないで。
夫の実家へ行くと必ず、夫の小さい頃の話しをお義母さんから聞かされる。
夫が中学2年の時に足を骨折した時、お義母さんは、痛くて泣く息子をおんぶして病院へ連れて行った、と言う。
だけど夫は、痛かったけど泣いてないし、歩けなかったから兄ちゃんに自転車で病院へ連れて行ってもらった、と言う。
親子で記憶が違う。兄ちゃんはと言うと…、記憶が曖昧でとにかく怪我をした弟達を何回か自転車に乗せて病院へ行った記憶がある、と言う。
夫は、自分が骨折したのは一度だけで、怪我をして病院へ行ったのはその時だけだ、と言う。
夫の家族話しは、時計がそれぞれ違うのか、重なった事がない。
それぞれがそれぞれの言いぶんを、ガチャガチャ言って毎回終わる。それが不思議。
ひとつのクリスマスケーキを、家族6人分切り分けるのが大変だった、とお義母さんがいつも言う。ひとつのチョコの家とひとつのサンタと、食べられないもみの木と
………「メリークリスマスどころじゃなかったわよ」
プレゼントはどうしてたかと言うと、お菓子のブーツは1人ずつだったけど、おもちゃは兄弟弟妹で、ロボットひとつのみ。
夏の帰省は、エアコンの無い車に家族6人乗って、音楽はお義父さんお気に入りのカセットテープひとつで、6時間以上かけて田舎へ行った、と言う。この話しは全員頷いている。
わたしとしては、まったく信じられない話しばかりで、そんな経験したことないから何回聴いても飽きる事がない。
家族それぞれの思い出話しが分厚くて、羨ましい。
息子が自分のことを言う時、幼稚園にあがる前までは自分の名前だった。幼稚園に入ってから友達に、「じぶんのことはオレっていうんだよ」と、言われたらしく、びっくりしていた。「オレ」と言うのはお父さんだけだと思ってたらしい。。
小学校に上がると、先生から自分のことは、『ボク』と言うようにと言われたらしい。なんでなのかと聞かれたので、年上の人に対して『俺』と言ったらダメだから、と答えた。息子はそれ以上聞いてこ来ず。『なんでダメなの?』と、食い下がってくる子ではなかった。
社会人になってから、『わたし』と言うようになったと思うけど、本人から聞いた事はない。
「僕、」と言うと、小さい子をイメージする。それか、あのちゃん。
『僕と一緒に遊ぼうよ』
今日は、新月だ。新月の事を朔ともいう。なんだか今日の新月は特別なようなので、あれこれ考えずに静かに過ごそうと思う。
cloudyといえば、吉川晃司のCDアルバムCloudyHeart。たまに聴きたくなる。
新月は役割を終えた人間関係をリセットしたり手放したりするキッカケらしい。
このCDアルバムはわたしの心をザラつかせたり苛立たせたり、嫌な事を思い出させたりはしない。
心があったかくなるものはいつまでも大事にしていいと思う。