フィクション・マン

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7/2/2025, 6:16:24 AM

『夏の匂い』

俺は花火が大好きだった。彼女とよく花火大会に行っていたのを今でも覚えている。
夜空の暗闇に眩い光が闇を裂くように広がるあの光景には惚れ惚れしていた。
花火大会では、風向きによって火薬の香りがする時があった。焦げたような匂いで、それが俺が感じる夏の匂いだと思っていた。
彼女は、花火を見るのが大好きで、夏になったら必ず行くほどであった。
綺麗に光り咲く花火を見つめる彼女を眺めるのが、俺は好きだった。

「…お前、今年も花火大会には行かないのか?」
仕事終わりに、友人が俺に会いたいと電話してきて、俺の家に上がった時のことだ。俺を花火大会へ誘うために、わざわざ出向いて来てくれたのだ。
「良かったら俺たちと一緒に行かないか?」
友達は俺の顔を伺いながら誘ってくれた。
「……いや、悪いけど今年も…」
「…そっか、分かった」
友達は悲しげな表情のまま帰っていった。
友達は毎年、花火大会が近付いてきたタイミングで俺を誘ってくる。俺は決まって、行かないという選択を貫き通していた。
家族も、一緒に花火大会を見ようと誘ってきていたが、俺は拒否した。
なんでどいつもこいつも花火大会に誘うのか意味がわからない。行って何になる?思い出すだけだろ。

彼女を。

気分転換に県内の展望台へ一人で遊びに行った。
全くといって、気分転換なんかにはならなかった。逆に虚しい気持ちになるし、仕事をわざわざ休んでまで見るってのもなんか違うなと今頃思った。
しかも今日は晴天で、気温は36度。この展望台には屋根が無い。
こんなバカ暑い日に一人でこんなところにいるのは頭がおかしい。ガソリン代と時間と体力の無駄だ。
馬鹿馬鹿しくなった俺は、車に戻ろうとすると、俺の隣におじいさんがやってきた。
「いやぁ…いい眺めだな」
突然の事で驚いた俺は少し動揺したものの、相槌を打った。
「え……ま、まぁ…はい……」
「一人で来たのか?」
「え、ま、まぁ……」
「こんなクソ暑い日にか??」
「まぁ……はい……」
「まぁ俺も独りで来たんだけどな」
おじいさんはヘラヘラしながら俺に話しかけてくる。なんなんだろう、このおじいさんは。
「俺、何してる人だと思う?」
「え??」
おじいさんは自分に指をさして当ててみろと言わんばかりに俺の顔をまじまじと見てきた。
馴れ馴れしいな…と思いながらも、俺は答えてあげた。
「……建築家ですか?」
「おー!!ははははは!やっぱりそう思ったか!皆言いやがるんだよ!まぁこのナリだったらそう見えんくもないわな!!」
爆笑しながらおじいさんは俺の背中をバンバン叩いてくる。痛い。
おじいさんは、ひとしきりに笑った後に、自慢げな顔で教えてくれた。
「正解はな…花火職人だ」
「え…は、花火職人!?」
まさかの花火職人で俺は驚いてしまった。いや、嘘ついてるだけかもしれないが…と、少し疑心暗鬼ではあった。
「嘘つけ…とか思っとるだろ?まじで花火職人なんだぞ俺は」
「いや…嘘つけとは思ってませんが…。マジで花火職人なんですか?」
おじいさんはニヤニヤしながらポケットからスマホを取り出し、色々な写真を見せてきた。おじいさんと一緒に、花火の作業現場がそこには映っていた。
どうやら、本物の花火職人らしい。
「どうだ?」
「凄いっすね…驚きました……」
呆気に取られていると、おじいさんは色々な写真を見せてくれた。
「これ…何してるか分かるか?」
「……いや、わかりません」
「これな?花火を筒に仕込んでるんだよ。まぁ、言っちまえば大砲みてぇなもんだよ。大砲に花火ぶち込んでぶっ飛ばしゃ花火が出る。まぁ、そんなもんだと考えりゃいいわ」
「へー…あんな大きい花火をこんな筒で打ち上げてたんですね…」
俺は感心した。
「驚いたろ?こんなんでもな、調整さえしっかりすりゃめっちゃ吹っ飛んで夜空に咲いてくれるんだよ。すげぇだろ?花火職人」
「確かにすごいです…へぇ…凄い…」
俺はすっかりこのおじいさんに興味を惹かれていた。
俺が写真に釘付けになっていると、おじいさんは今から現場に戻るが、お前も一緒に行くか?と誘ってくれた。
俺は、好奇心で是非行かせてもらうことにした。まぁ、こんなところで一人で景色なんかを見て癒される所か虚しくなるだけだしね。
でも、花火職人がどうやって花火を作っているのか実際にこの目で見ることが出来るのは、少し嬉しかったのもあった。
「………………」
実里と一緒に見れたら…喜んでたかな。
数十分、おじいさんの車を追いかけて、やがて平屋の建物にたどり着く。
おじいさんが「ここだ」と指を差す。コンクリートの壁に、年月が染み込んだような木製の雨戸。無造作に積まれた木箱と、風に揺れる火薬注意の赤札。
「お前、ライターとかそういう火のつくもん持ってねーだろうな?」
「あ、はい」
「ならいいわ」
中に入ると、ほんのり焦げたような匂いが辺りに満ちていた。この匂いは……火薬だな、とすぐに分かった。
打ち上げた時のあの焦げた匂いに近いものを感じ、俺は少しだけ不安な気持ちになった。
若い花火職人達が俺を見るやいなや頭を下げて挨拶をしてきた。
花火職人達のその手元には、丸い半球の紙の殻があり、内側には小さな黒い粒が沢山入っていた。
「…これが、花火の中身……」
「そうだ。これが火の花、花びらだ」
おじいさんが間髪入れず説明を続けた。
「これが一粒でもずれたら、空でちゃんと咲き誇らない。火薬は正直ものだからな。ごまかしは一切通用しないんだよ。まぁ誤魔化したら花火じゃなくて俺のグーが飛ぶんだけどな!あー!!はははは!!」
何が面白いのかは分からないが、とても大変そうな作業なことは分かった。
俺は、咄嗟に疑問に思ったことを聞いてみた。
「しかし…なんで俺をこの作業現場に連れてきてくれたんですか?」
「ん?いや、お前に花火のあれこれ喋ってたからそのノリで連れてきたみてぇな感じだろ」
「あ…そうなんですね」
「……ま、ホントはそんな感じじゃないけどよ」
「……え?」
おじいさんはついてこいと俺を手で誘ってきた。工房の奥、鉄の扉をひとつ抜けた先まで進み、室温が急に下がる。空気が重く感じるのがわかった。
「…どこへ向かってるんですか?」
「来てみりゃわかる」
そう言って、おじいさんか見せてきた倉庫のような部屋は、室内は薄暗く、静寂に包まれた場所だった。さっきと同じ、火薬の匂いがする。
「……ここは…」
俺はなにか言おうとするが、中央を見てみると、物凄く大きい黒くて丸い玉がそこにはあった。
GANTZかな?なんて変なこと考えながらも、おじいさんは説明をはじめた。
「これが、三尺玉だ」
え!これが!?!?俺はびっくりした。三尺玉は、花火大会でも何個か打ち上げられており、あの空いっぱいに広がる花火が、俺や実里は好きだった。
「これが…三尺玉……やっぱり他の花火よりでかいんですね……」
「まぁな。直径九十センチ、重さ三百キロのバケモンだよ。こんなの人間が持てる代物じゃねーってくらい重てーんだよ」
三百キロ…俺は呆気に取られながらも、それをまじまじと見た。
……すごい。その一言に尽きる。
「もしかして…毎年の花火大会の三尺玉は貴方が作っていたものだったんですか?」
おじいさんはニヤリと笑い、エッヘンと胸を張っていた。
俺はもう、尊敬をするしか無かった。こんな人にたまたま出会って、こんな場所を見ることが出来て、俺は本当に運がいい人間だなと思った。
「………………」

…一人で、こんな良い思いをしていいものなのか。

俺一人で、こんな素晴らしい場所に来て、なんなんだよ俺は。
実里のことを忘れて花火の作業現場に釘付けになっている自分が許せなかった。
「……お前と話していた時、お前は今みたいに悲しい顔になってたんだよ」
「え……あ、俺…悲しい顔になってました…?」
おじいさんは優しい表情のまま頷いた。
「…なにか、嫌なことでもあったのか?良かったらでいいが、俺が聞くぞ」
「…いや、別にそんな嫌なことなんて」
おじいさんは、三尺玉の方を向きながら話を続けた。
「お前、花火を見る時、少しだけ顔を歪ませるだろ」
「え…」
「…なにか、嫌な思い出があるのか?花火で」
「……別に…そんな………」
俺は下を向いて、更に胸が苦しくなった。
実里との思い出が、俺の頭の中で浮かび上がってきた。
「……無理強いはしないが、よかったら話してくれ。俺は聞くことしか出来ないがな」
そう言って、おじいさんは座布団を用意してくれた。なんか、もう話さなきゃならない雰囲気になってしまったので、俺はおじいさんに話すことにした。


花火を見ると、思い出してしまう。
あの花火の光に照らされた実里のことを。
実里は、花火を見るのが大好きで、毎年行われる花火大会に参加していた。
アサガオの着物姿の彼女は、とても綺麗だった。俺も花火はとても大好きだったが、それ以上に、実里の花火を見上げる仕草から、花火を見ている時の彼女の笑顔、そして照らされた彼女の姿を見るのが、もっと好きだった。
これからも、一緒に花火を見ようと、実里と約束を交わした。実里も、その言葉に喜んで同意してくれた。

……でも、彼女は、数年前に亡くなった。

病気だった。内蔵の病気で、進行が悪化していった。毎日病室に出向いては、彼女は決まって俺に言ってくる。
「今年の花火大会までには、治したいな」
しかし、花火大会が過ぎると、彼女は悲しい表情をしたまま、来年の花火大会までには治したいな…と言っていた。
「私は大丈夫だから、亮太君は花火を見に行って」
彼女は俺によくそう言っていた。
「…花火は、実里と一緒に行くから楽しいんだよ」
そう言って、俺は花火大会の日は実里と一緒に過ごしていた。
家族や友人にビデオ通話にして、一緒に実里と花火を見ていた。彼女はものすごく喜んでいたが、毎回迷惑をかけていて申し訳ないとも言っていた。
「絶対に来年こそは一緒に行こうね」
俺は彼女にそう言っていた。
しかし、彼女の病気は次第に悪化していって、彼女はどんどん弱り果てて行った。
毎日見舞いに行き、彼女がとうとう寝込むようになり、遂には意識が薄れていった。
「……俺だよ、実里」
実里の手を握って、俺は実里に毎日呼びかけた。
家族や実里の友人も、彼女を見舞いに来ていた。
「大丈夫…俺達が一緒にいるからね」
実里は、もう受け答えできる状況では無くなっていた。医者がもう長くはないと言ってきた時は、本当にブチ切れたのを今でも覚えている。
数日後、会社で残業をさせられていた俺は、デスクで仕事に勤しんでいると、一通の電話がかかってきた。
……実里の両親。



そこからだった。
俺が花火を一切見たくないと思ったのは。
花火の光や、あの香りを感じ取るだけで、悲しい気持ちでいっぱいになり、実里との思い出が頭の中でよぎってしまう。



「何も、してやれなかった。実里に、花火を見せてあげたかった。
最後の最後まで、スマホ越しでしか見せてあげることが出来なかった。
本物の花火を、彼女と見たかった」
俺が少し黙り込むと、おじいさんが近寄って、俺の背中を優しく叩いた。
「…お前は本当に、優しい男だな。尊敬しちまうよ…若いのに。今の話を聞く限り、お前は立派にやったじゃねぇか。彼女さんも、お前に感謝しきれねぇ気持ちでいっぱいだと思うよ」
おじいさんが優しくそう言ってくれた。
「………彼女に……花火を見せてあげられなかった……それが、悔しいんです…」
俺は俯いたまま、そう答えた。
少しの沈黙が続いた後、おじいさんが口を開く。
「……花火ってのはな、ただ綺麗なだけじゃ取り柄じゃない。夜空に打ち上がる花火は、あの世とこの世を繋ぐ橋だとも、呼ばれているんだ」
そう言うと、おじいさんは一枚の紙を渡してきた。
その紙には、今年の開催日時が記されてるほか、おじいさんが打ち上げる順番まで、細かく書かれていた。
「…俺は今年、このでかい三尺玉を打ち上げる他に、色んな花火も打ち上げるつもりだ。必ず来いよ、絶対にな」
おじいさんはニコニコしながら俺の背中を強く叩いた。やっぱり、痛い。
「で、でも……」
おじいさんは優しい表情のまま、ニカリと笑ってまた背中を叩く。痛いよ。
「必ず来てくれよ!お前を後悔はさせん!」

そうして、一週間後に、花火大会が開催された。
俺は友達や家族とは一緒に行かず、一人で花火大会に出向いた。
……久々の花火大会。花火を見るのは数年ぶりで、なぜか緊張している自分がいた。
本当は、行きたくはなかった。彼女を、思い出してしまうからだ。
俺は、おじいさんに進められたオススメの席につき、花火が始まるまでそこにいることにした。色んな人間が蠢く中で、俺は一人深呼吸を置く。
そうして数十分後、花火が打ち上がった。
色々な綺麗な花火が打ち上がり、その度に香る焦げた匂い。この匂いが、心を苦しめる。
懐かしい。
実里に、会いたい。
俺は、色々な花火を見つめ、そしてアナウンスが流れた。
「続いての花火は、〇〇県を代表する老舗煙火店、蔵山煙火工業による、圧巻の一斉打ち上げです。
長年にわたり数々の競技大会で受賞歴を誇る花火師たちが、一発一発に技と魂を込めて制作した作品の数々を、連続打ち上げ形式でご覧いただきます。
打ち上げられるのは、大小合わせておよそ二百発。
冠菊(かんむりぎく)、八重芯(やえしん)、しだれ柳、創造花火など、伝統と革新が織りなす一夜限りの競演。特に注目は、終盤に打ち上がる直径九十センチ、三尺玉――。
この日のためだけに仕込まれた黄金の大輪が、夜空いっぱいに花開きます。
夏の夜、空をキャンバスに描かれる職人の情熱。
火の芸術の極み、蔵山煙火工業の花火、どうぞご覧下さい」
あのおじいさんのだ。俺は胸ドキドキしていた。
そして、花火のショーが始まった。
打ち上がる花火の数々。
本当に、本当に美しかった。
単色の小型の連発から、中玉、大玉の花が咲き乱れるような連発。
特に、打ち上がった後に火花がゆっくりと垂れ下がる花火が大好きだと思った。彼女も、これが好きだと言っていたのを思い出す。
花火はどんどん打ち上がっていき、観客達の歓喜の声がどんどん高まっていく。
俺も、凄く釘付けになっていた。夜空いっぱいに拡がる赤、緑、紫、黄、青の連続は、とても美しかった。
華やかな花火を惚れ惚れと、見ていたら、静寂へと変わっていく。
あれ?終わりかな?と思っていたら、花火がまた打ち上がった。
夜空いっぱいに打ち上がったそれは、しだれ柳だった。様々な色が混じりあった、虹色のしだれ柳。
とても美しく、皆が口を揃えて綺麗だと感動していた。
俺は、虹色に輝く夜空を見て、感動していた。美しく、華やかに消えていくその花火を見て、俺は彼女との思い出を感じ取る。
しかし、もう苦しくはなかった。この美しさと迫力のおかげで、彼女との楽しい思い出が溢れ、俺の表情は悲しみから悦びへと変わっていく。
流石に終わりかな…と思って、その静けさの数秒後、一つの花火が打ち上がった。
ヒュー…と打ち上がってくそれは、やがて暗闇の空で数秒後に、ドン!!!!!!と、地鳴りのような重低音が響いた後、眩い黄金の光が夜空に満たされた。

「うぉー!!!!すげぇーーー!!!!!!」

皆が顔を見あげる。大きいあまり、身体を仰け反って見てしまうレベルだった。
まるで太陽の光を少しだけ貰い、それを夜空に咲かせたような、とても美しい光景が、そこには広がっていた。
そして、火薬の匂いと共に、隣に誰かいる気配がした。

「………実里」

花火で照らさられた彼女が、そこにはいた。アサガオの浴衣を着て、綺麗な髪飾りをつけた彼女が、花火を見ていた。

「…綺麗だね!」

彼女はそう言って、優しい笑顔で俺に言った。

「……あぁ」


遅くなったけれど…こうして一緒に見ることが出来て、
良かった。

花火の光が消え、暗闇に戻る時、観客の歓声と共に、彼女は消えた。

そして、手には花火の紙片があった。

「……ありがとう」

そして、香る花火の匂い。

もう、苦しくはなかった。


「……なんか嬉しそうっすね。そういえば今年はここ数年で一番気を張っていたんじゃないっすか?」
「……まぁな。男の約束があったもんでよ」
「……男の約束?」
タバコをふかし、夜空を見あげる。
「……花火はやっぱり、いいよな?」
おじいさんが後輩にそう言う。
「もちろん!」
おじいさんとその仲間達は、そう言いながら笑いあった。




7/1/2025, 4:44:40 AM

『カーテン』

真っ暗な部屋で布団の中に潜って眠っていると、どこからか声が聞こえてくる。
せっかく人が眠っている途中なのに…誰だよ…。
不機嫌になりながらも、俺は布団から頭だけを出して声の主に文句を言う。
「あのさ……うるさいまじで……今何時だと思ってんだよ……十時だぞ十時」
極度の眠気と気だるさのせいで少しイライラしていた。
「うん、お昼の十時だね」
「……あ?」
俺は眠い目をこすりながらスマホで時間を確認する。
……本当だ。確かに、今は昼間の十時だ。
窓の向こう側から声がする。
遮光カーテンを閉めていたため、そいつがどんな姿をしているかは分からなかった。
声的に女だろうということは分かった。しかも、馴れ馴れしい癖に優しいほんのりとした声で話しかけてくるせいで、また眠気に襲われる。なんだこいつ。
とりあえず俺はその女に聞く。
「…お前…バルコニーにいんの…?」
「私はどこにでも存在するよ、外ならね」
俺の質問に対して、曖昧な答えを返してくる。こういう返答をする奴は、本当に大っ嫌いだ。
どこにでも存在するってどういう意味なんだ?こいつは一体なんなんだ???
俺は更に質問を続けた。
「…誰だよお前」
「私は光。君のことは、小さい頃から知っていたよ」
は?光?俺は困惑した。俺の知り合いに光なんて名前の奴は知らないし、従兄弟や知り合いにもそんな人はいない。
しかも、相手は幼少期の頃の俺を知ってると言っていた。
いやいやいやいや、まじで誰なんだよコイツは。
「いや、知らないよ…マジで誰だよ」
「私は光…まぁ、知らなくてもしょうがないよね」
「しょうがないとかじゃなくて…マジで知らないんだよお前のことは……近所の人とか?」
「ううん」
「え、じゃあ…俺の親戚とか?」
「ううん」
「は?でも俺の事知ってんだろ?」
「うん、知ってるよ」
「同じ学校だった奴か?それとも前の会社の奴か?」
「ううん」
あー!!なんなんだこいつ!!全部否定しやがる!!この女が否定する度、俺はイライラが募る。
親戚でも近所のやつでもない、同じ学校の奴でもなければ会社の奴でもない!マジで誰なんだよこの女は!!
この女のことを考えていると、次第に眠気が飛んでいった。
「じゃあ誰なんだよお前!!!人が寝てる時にきやがって!!まじでうぜぇわ!!」
怒りに任せてそいつに怒鳴った。
「……ごめんね」
その柔らかい穏やかな優しい声で、俺に謝ってきた。
俺は自分がしたことが急に恥ずかしくなってきて、その女に謝り返した。
「……いや…別に…、俺も怒鳴って…ごめん……」
窓の外にいる女がどんな人間かは分からない。しかし、絶対に悪い人間ではないということだけは理解出来た。
そして、自分がどれだけ心に余裕が無いのかも理解出来た。
頑張って働いているもののこれといった成果は上げられず、休めない上に帰れない。
家に帰ってもパソコンと向き合って仕事の続き。家でもろくに眠ることは出来なかった。
たまの休日も仕事のことで頭がいっぱいで、俺は常に心に余裕なんてものがなかった。
ノルマ達成の為に、寝る間も惜しんで働き続けるが、やはり上手くいかない。
上司からは叱責され、同僚や先輩からは無能と馬鹿にされてしまう。
頑張っても、無駄なんだなと悟って、気付けば会社を休んでいた。一日中外にも出ないで、ただ有給を消化していく毎日。
布団の中にずっと閉じこもって、ゴミだめの部屋の中でただ毎日が過ぎるだけの日々。
このまま時が過ぎるのも、悪くは無いと思った。死を選ぶ勇気もないので、自分にとって、この状況はとても都合がいいと思っていた。
本当は、そんなことないのに。
「私は、知っているよ」
女が喋りかけてきた。
「小学生の頃…友達が転んじゃった時、君はすぐその子を手当をしてあげたよね。
サッカーの試合の日。頑張っじゃったけど負けちゃったあの日、皆悔しくて泣いていて、君は我慢して皆を励ましていたよね」
「……え…なんで…サッカー習ってたことを…」
女は話し続ける。
「…大人になっても、君は変わらなかった。他人に対して優しすぎて、自分の気持ちを後回しにしていつも色々な人を助けてあげていたよね。
けれど、誰も感謝してくれない。恩を仇で返すようなことばかりされて…そして君は…君の部屋は、いつしかガーデンが閉まったままになった」
「お前…誰なんだよ…?」
女は、優しい声で言った。
「私は、君の光だよ」
俺は思いっきりカーテンを開けた。
その途端、陽の光が部屋の中を包んだ。久々に太陽の光を見た俺は目を痛めた。
しかし、肝心の女はそこにはいなかった。
というより、俺は気付いてしまった。
ここは二階だ。こんなバルコニーに女が入れるはずがないことを。
そして、窓越しだというのに、女の声ははっきりと聞こえていたことを。
俺は、それを不思議と怖いとは感じなかった。
俺はバルコニーに出て、太陽の光を浴びる。
一ヶ月ぶりに浴びる日光は、とても気持ちが良いものだった。
光は、嫌いな自分をさらけ出し、見たくもないものが嫌でも見えてしまう最悪なもので、逆に暗闇は、見たくもない自分を包み込んでくれる優しい物だと思い込んでいた。

そうじゃなかった。

光も、闇も、人には必要な物なんだなと分かった。
そして、彼女がなんだったのか、わかった気がする。
陽の光を沢山浴びた俺は、まずは部屋の掃除から始めることにした。

これからは、陽の光を入れるためにカーテンを開けようと思う。

6/29/2025, 4:18:11 PM

『青く深く』

ある日、家の近くにある浜辺で散歩をしていると魚釣りをしている人がいた。
普通は堤防や漁港で釣りはするもんだろうと思ってたが、どうやらサーフフィッシングの方のようだった。
俺は気兼ねなく挨拶を交わす。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
釣りをしていたのは見知らぬ人で、魚顔のおじさんだった。
「なにか釣れましたか?」
俺がそう聞くと、おじさんはニコニコした表情で頷いた。
「えぇ、沢山釣れましたよ」
そう言うとおじさんは高速でリールを巻き、魚をこっちに寄せていた。
大きな魚影がこちらに近づいてくるのが見えた。ここら辺で釣れる魚はシロギスやマゴチ、ヒラメである。
あのデカさだと…おそらくヒラメかな?なんて考えた。
俺は何が釣れたんだろうと近づいてくるそれを見つめていると、魚でないことがわかった。
……ゴミだ。おじさんは、ゴミをつりあげた。
「あー……」
俺がなんて声をかければいいか考えている間に、おじさんはそのゴミを引きあげてクーラーボックスに入れようしていた。
クーラーボックスの中には色んなゴミが沢山で、空き缶やペットボトル、袋なんかが沢山入っていた。
魚を釣ってる訳じゃないのか…と、俺は困惑した。
おじさんの顔は、ゴミを釣りあげたはずなのに、なぜか幸せそうな、達成したような顔をしていた。
「……………」
なんなんだろう?この人…と思いながらおじさんを見ていると、おじさんは俺に話しかけてくる。
「あ、これは失敬…なぜゴミを集めているのか、疑問を持たれていることでしょう」
「え?あ!はい!」
おじさんは海を見つめながら指を指す。
「ここ一帯の魚達はゴミによって苦しめられているのです。マイクロプラスチックを小さな餌と勘違いした小魚たちが消化不良で亡くなってしまったり、廃棄された釣り糸や網に引っかかってしまったまま亡くなったりするケースが多く……とても見てはいられない惨状なのです」
おじさんにそう言われ、遠くの方に目をやると、確かに色々なゴミがふよふよと浮いているのがわかった。
おじさんの顔は、とても悲しそうだった。
「綺麗な海が人間の手によって汚されていく過程を見るのは、本当に腹立たしく…そして、悔しい気持ちでいっぱいなのです」
おじさんは静かにそう俺につぶやくが、表情は怒りと悲しみでいっぱいだった。
「……君には、そうなって欲しくありません。ゴミを掃除する立派な人間になれとは言うつもりはありませんが…不法投棄をするような人間には、なっては欲しくないのです。
法と秩序を守り、そして自然を愛し、健全で健康に生きていてくれれば…それだけで立派なのです」
おじさんはやさしい微笑みで俺にそう言った。
俺は、そんなおじさんの言葉に心を打たれた。
俺の父親は漁師で、よく俺を小型船に乗せて釣りをさせてくれていたのだが、その父親がゴミを見つける度に、それを回収して文句を吐いていたのを思い出した。
俺はその時、小学生ながら父親のその姿が誇りに思った。
おじさんの言葉で、自分の思い出が蘇り、俺はふと周りの浜辺を見渡す。
海ばかりゴミが酷いと思っていたが、砂に埋もれているゴミがあちらこちらに散らばっていた。
俺は、黙って周りのゴミをかき集めた。
そんな姿を見たおじさんは、驚いた顔をしたあと、すごく優しい顔になって、ありがとうと、呟いた。
二人で夕方近くまで海を掃除し、おじさんは俺にもう一度感謝の意を述べると、どこかへスタスタと去って行った。
なんだったんだろうあの人は…ボランティアの方かな?と思いながら、俺は家が近いのでまた夜遅くなるまでゴミを拾うことにした。
大量のゴミを持って家に帰った時、母親に驚かれたのは今でも覚えている。
でも、俺のした行動を母親と父親は褒めてくれた。
俺は、これからはボランティアに参加して、ゴミ拾いを心がけようと思った。
そしてとある日のことだった。父親が漁の仕事を出かけに行った際、天気は良好で雨が来るはずなかったのに、突然の豪雨が襲った。
波は荒れ、父親の小型船は瞬く間に大波に飲み込まれてしまった。
しかし、父親は無事だった。沖から数百m離れた所で波に飲み込まれたはずなのに、父親は無傷だったのだ。
たまたま自身の船の様子を見に出歩いていた漁師に救助された。
父親はあの時の出来事を俺に話してくれた。
「船が荒波で揺れ始め、とうとう転覆してしまったとき、俺は死んだなって思ったよ。
海に投げ出されて、すぐに飲み込まれてしまった。
洗濯機みたいにかき回されて、上へ上へと泳ごうとしても全然浮上しない。
意識が朦朧としてきて、気絶しかけた時、俺は誰かに腕を掴まれたんだ。
いや、掴まれた…と言うよりは、あれは噛まれていたのかもしれない。でも、甘噛みだったよ。まるで犬が俺の腕を優しく噛んで引っ張って岸へ運んでくれるようにさ。
海の中は暗くて誰が俺の腕を引っ張ってるのかはあまり分からなかったが…その黒い物体を見た感じ…多分魚だな、あれは。
でっかい魚さ。なんの魚かは知らないが、それでも、その魚が俺を助けてくれたのは間違いない。
俺はその後、浜までその魚にぶん投げられて、俺が浜辺でぐったりしてると、声が聞こえてきたんだよ
『ありがとう』
ってな」
俺はその時、あのおじさんの言っていたことが分かったような気がした。

「このゴミ掃除を面倒臭いと感じる人はいるかもしれない……そう思うのは当たり前のことでしょう。
しかし、我々はこの星で生まれた同じ生命体です。この行動は互いに助け合い、共存していく上で事欠かない行為なのです」

俺は、これからもゴミ掃除をしようと思った。
この海がこれからも、魚達にとって、青く、広く、深く、そして綺麗で住みやすい場所であって欲しいから。

6/29/2025, 3:42:05 AM

『夏の気配』

6月だというのに、雨が降らず晴れが多い。
そのせいで、気温は三十六度にもなって、とてつもなく暑い思いをしている。
僕はその日、土曜日だったんだけど部活をしに学校へ向かっていた。
吐き気が出るほどの猛暑日で、もう夏なんじゃないのかと思い込んでしまうほどだった。
どこが梅雨時期なんだよー…もう…と、思いながら汗を大量にかきつつ、途中自転車から降りて水分補給をとる。
今日はいつにも増して暑い日だった。
その時、僕の目の前を羽音をたててなにかが通った。
突然のことだからびっくりして自転車を倒してしまう。自転車を立ててると、なにやら虫の鳴き声が遠くから聞こえてきた。
……ミーン…ミーン…。
え???セミ!?
耳を澄ますと、遠くからセミの鳴き声が聞こえてきた。
しかも、方向的に学校の方面からだった。
まだ六月だというのに、暑いからセミが起きちゃったのかな?と考えた。
とりあえず自転車に乗って僕は学校へ向かった。
やっぱり、学校へ近付いてくるとセミの鳴き声が強まってきた。
ていうか、セミってこんなでかい鳴き声するっけ?と疑問に思った。
そして、学校に着いた瞬間、やっぱりセミの鳴き声が校舎から聞こえてきた。
時間的に、部活が始まるまで少しあるため、昔から昆虫に興味があった僕は、セミの鳴き声を辿ることにした。
グラウンドに生えている木の近くからするので、その木に近づいてみる。
近づいた瞬間、セミは鳴くのをピタッと止めた。
木をまじまじと見てみると、三匹のセミがまとまっているのがわかった。
セミは一切動かずに止まっていた。
あれ?今鳴いてたよな?
僕もジーッとそこでセミを見つめながら佇む。
「…おい…まだ見てるぞ…」
「どうするよ…?やっぱり鳴くのはまだ早かったか…?」
「いやでも…今年は暑いしさぁ…しょうがなくない?」
「夏を伝えるのが俺らの役目だが…今回はちょっと早かったかもなー」
当たり前のように、セミが喋り始めた。
僕はその異様な光景に目を奪われて、何も喋ることが出来なかった。
「多分この会話も聞かれてるだろうよ」
「じゃあ喋るのやめるか?」
「うん。喋るのやめて早く鳴こうよ。夏が近付いてるのを知らせるチャンスだよ!」
「それもそうだな」
そう言ってセミはこっちの方を向いて僕に喋りかけてきた。
「おい人間、セミが鳴くにはまだ早い時期って思ってはしないかい?あのな…俺達は暑けりゃいつだって出てくるんだぜ」
そう言って、セミは思いっ切り鳴き始めた。
耳をつんざくくらい、とてもうるさいその鳴き声は、耳を塞がざるを得ないレベルだった。
「いっ……!!!!」
鼓膜が破れる!!やばい!!!
僕はその場から離れることにした。
自転車置き場まで走って、僕は耳から手を離す。もう少しで鼓膜が破れてしまうところだった。
頭がさっきの鳴き声のせいでガンガンしていた。
それにしても…さっきのセミ達はなんだったのだろうか。喋っていたし、普通に意思疎通出来そうだったし…。
色々と考えたが、よく分からなかった。
とりあえず、もう一度耳を澄ませてみる。
……セミの鳴き声は、もう聞こえなかった。