『カーテン』
真っ暗な部屋で布団の中に潜って眠っていると、どこからか声が聞こえてくる。
せっかく人が眠っている途中なのに…誰だよ…。
不機嫌になりながらも、俺は布団から頭だけを出して声の主に文句を言う。
「あのさ……うるさいまじで……今何時だと思ってんだよ……十時だぞ十時」
極度の眠気と気だるさのせいで少しイライラしていた。
「うん、お昼の十時だね」
「……あ?」
俺は眠い目をこすりながらスマホで時間を確認する。
……本当だ。確かに、今は昼間の十時だ。
窓の向こう側から声がする。
遮光カーテンを閉めていたため、そいつがどんな姿をしているかは分からなかった。
声的に女だろうということは分かった。しかも、馴れ馴れしい癖に優しいほんのりとした声で話しかけてくるせいで、また眠気に襲われる。なんだこいつ。
とりあえず俺はその女に聞く。
「…お前…バルコニーにいんの…?」
「私はどこにでも存在するよ、外ならね」
俺の質問に対して、曖昧な答えを返してくる。こういう返答をする奴は、本当に大っ嫌いだ。
どこにでも存在するってどういう意味なんだ?こいつは一体なんなんだ???
俺は更に質問を続けた。
「…誰だよお前」
「私は光。君のことは、小さい頃から知っていたよ」
は?光?俺は困惑した。俺の知り合いに光なんて名前の奴は知らないし、従兄弟や知り合いにもそんな人はいない。
しかも、相手は幼少期の頃の俺を知ってると言っていた。
いやいやいやいや、まじで誰なんだよコイツは。
「いや、知らないよ…マジで誰だよ」
「私は光…まぁ、知らなくてもしょうがないよね」
「しょうがないとかじゃなくて…マジで知らないんだよお前のことは……近所の人とか?」
「ううん」
「え、じゃあ…俺の親戚とか?」
「ううん」
「は?でも俺の事知ってんだろ?」
「うん、知ってるよ」
「同じ学校だった奴か?それとも前の会社の奴か?」
「ううん」
あー!!なんなんだこいつ!!全部否定しやがる!!この女が否定する度、俺はイライラが募る。
親戚でも近所のやつでもない、同じ学校の奴でもなければ会社の奴でもない!マジで誰なんだよこの女は!!
この女のことを考えていると、次第に眠気が飛んでいった。
「じゃあ誰なんだよお前!!!人が寝てる時にきやがって!!まじでうぜぇわ!!」
怒りに任せてそいつに怒鳴った。
「……ごめんね」
その柔らかい穏やかな優しい声で、俺に謝ってきた。
俺は自分がしたことが急に恥ずかしくなってきて、その女に謝り返した。
「……いや…別に…、俺も怒鳴って…ごめん……」
窓の外にいる女がどんな人間かは分からない。しかし、絶対に悪い人間ではないということだけは理解出来た。
そして、自分がどれだけ心に余裕が無いのかも理解出来た。
頑張って働いているもののこれといった成果は上げられず、休めない上に帰れない。
家に帰ってもパソコンと向き合って仕事の続き。家でもろくに眠ることは出来なかった。
たまの休日も仕事のことで頭がいっぱいで、俺は常に心に余裕なんてものがなかった。
ノルマ達成の為に、寝る間も惜しんで働き続けるが、やはり上手くいかない。
上司からは叱責され、同僚や先輩からは無能と馬鹿にされてしまう。
頑張っても、無駄なんだなと悟って、気付けば会社を休んでいた。一日中外にも出ないで、ただ有給を消化していく毎日。
布団の中にずっと閉じこもって、ゴミだめの部屋の中でただ毎日が過ぎるだけの日々。
このまま時が過ぎるのも、悪くは無いと思った。死を選ぶ勇気もないので、自分にとって、この状況はとても都合がいいと思っていた。
本当は、そんなことないのに。
「私は、知っているよ」
女が喋りかけてきた。
「小学生の頃…友達が転んじゃった時、君はすぐその子を手当をしてあげたよね。
サッカーの試合の日。頑張っじゃったけど負けちゃったあの日、皆悔しくて泣いていて、君は我慢して皆を励ましていたよね」
「……え…なんで…サッカー習ってたことを…」
女は話し続ける。
「…大人になっても、君は変わらなかった。他人に対して優しすぎて、自分の気持ちを後回しにしていつも色々な人を助けてあげていたよね。
けれど、誰も感謝してくれない。恩を仇で返すようなことばかりされて…そして君は…君の部屋は、いつしかガーデンが閉まったままになった」
「お前…誰なんだよ…?」
女は、優しい声で言った。
「私は、君の光だよ」
俺は思いっきりカーテンを開けた。
その途端、陽の光が部屋の中を包んだ。久々に太陽の光を見た俺は目を痛めた。
しかし、肝心の女はそこにはいなかった。
というより、俺は気付いてしまった。
ここは二階だ。こんなバルコニーに女が入れるはずがないことを。
そして、窓越しだというのに、女の声ははっきりと聞こえていたことを。
俺は、それを不思議と怖いとは感じなかった。
俺はバルコニーに出て、太陽の光を浴びる。
一ヶ月ぶりに浴びる日光は、とても気持ちが良いものだった。
光は、嫌いな自分をさらけ出し、見たくもないものが嫌でも見えてしまう最悪なもので、逆に暗闇は、見たくもない自分を包み込んでくれる優しい物だと思い込んでいた。
そうじゃなかった。
光も、闇も、人には必要な物なんだなと分かった。
そして、彼女がなんだったのか、わかった気がする。
陽の光を沢山浴びた俺は、まずは部屋の掃除から始めることにした。
これからは、陽の光を入れるためにカーテンを開けようと思う。
7/1/2025, 4:44:40 AM