私はブロッコリーが怖い。まんじゅうこわい的なのとは違ってガチで苦手すぎてこわいのだ。虫はビックリはするし得意ではないけど比較的リアクションは薄い方だ。お化けが居るなら生活に支障が出ないなら居座る権利ぐらい向こうにもあるだろうと思っている。ただブロッコリーだけは無理だ。見ただけでもうやばい。本当に苦手だ。いつか克服できれば良いと思っているが今のところその傾向はない。というか基本野菜は全て怖いので一周回って怖がりなのかもとも思う。しばらくはビビリをいじるのは無理なようだ。
真っ暗な所にいると、周りが見えなくなる。誰かが手を差し伸べてくれていても分からないし、誰かが助けを求めているかも知れない。
でも、きっとどこかに光がある。きらきら光る星は、下ばかり向いていた顔を、上に向かせてくれる。上が向けたのなら、もう大丈夫。空の無数の星が、真っ暗なところにも、見えなくてもきっと誰かがいることを教えてくれるはず。星があればあるほど、みんなが上を向けるから。
永遠はこの世に存在しない。絶対がないのがこの世だから、永遠があるはずもない。それなのに、この世界にはどうしてそんな言葉が沢山あるのだろうか。
それはきっと、自分の愛する特別な人との永遠があれば、と言うたらればから生まれたのだろう。ずっと一緒なんて出来ないと分かっている。でも、貴方とは出来る限り永くとなりにいたい。そう思う心は、今まで大切に受け継がれてきた。
…久しぶりに、会いたくなったな。ガラス越しに空を見上げながら、古き友のことを思い出した。
昔々あるところに、好奇心旺盛な一匹の虫がいた。いろんなことを知っているし、いろんなことを知ろうとする。どんな嫌われ者のことも深く知りたがるし、どんな人気者にも食ってかかる。そんな彼は、みんなから好かれていた。
とある夏のことだった。その日は一段と暑くて、夜にはみんなヘトヘトになっていた。でも彼だけはとても元気で、夜の暗い空をせわしなく飛び回っていた。そうすると、いきなりぱっとまわりが明るくなった。その光の正体を知るため、彼は周りの忠告も聞かず光の方へ向かった。その瞬間だった。たった一瞬にして彼は姿を消した。その光の正体は、焚き火の火だったのだ。好奇心は猫をも殺す。もっと知りたいという気持ちは、時には身を滅ぼすこともある。
「間もなく、東日本大震災発生時刻になります。」そんなアナウンスが聞こえたのは図書館で本を読んでいる時だった。私は東日本大震災がいつ起こったかなんて知らない。ただ昔にあった大きな地震。そう思っていた。黙祷をするのは8月6日(広島の原爆投下日)だけだし、当時私はまだ幼かったため、ニュースを見ることもない。だからこそ、痛感した。昔なんかじゃない。この日この時、沢山の人が亡くなったのだと。このアナウンスがなければ、その人達のことも知らず一日を終えていたのだと言うことを。私はもう一度目を閉じて、今平穏な日常がここにあることを、とても幸せに感じた。