いつまでも捨てられないものは、高校時代のボキャブラリーノートです。ボキャブラリーがない僕は、大学受験の国語対策のために、日常生活で出てきた知らないボキャブラリーを覚えようとつくりました。自分の周りの人たちは僕が常識的な言葉をあまりにも知らないものだから面白がって「〜は知ってる?笑」「〜はどう?笑」と色々な言葉を教えてくれました。そのたびに僕はノートにそれらの言葉とその意味を書き留めていたけど、次第に周りの人たちが勝手に僕のノートにいろんな言葉とその意味を書き留めるようになりました。具体的な内容は覚えていないけど、国語の試験では絶対に出てこないようなサブカル系の用語や流行り言葉、造語や下ネタ、誰かが誰かにつけた変なあだ名とかで埋め尽くされて、ボキャブラリーノートはもはや皆の落書き帳と化しました。知的でくだらないユーモアが詰まった落書き帳ーーーあれから9年の月日が経ちましたが今でも捨てずに持っています。
「夜の海」
夜の海の向こうには、
海面に映る街明かり。
陸の上には上下反転
横一直線の街明かり。
そして後ろに三角お山。
あれが雲仙普賢岳。
君と黙って浸かる温泉。
隠れる夕陽を見送る僕ら。
さよなら今日の陽。
微かに輝く星を見つめて。
「自転車に乗って」
だだっ広い青空の下、碧々とした田んぼの間を縫うような畦道をゆく。真夏の燦々とした太陽の光を、生ぬるい風が気持ち程度に薄めてくれる。今にもぶつかりそうな数々のトンボは、意外とぶつかることなく素通りしてくれる。どのくらい時間が経っただろう、先ほどとほとんど変わらない景色ーだだっ広い青空と、碧々とした両脇の田んぼの景色は、日常的な時の経過を忘れさせてくれる。ああ、夏休みだなあ。
心の健康は、企業の業績と似ている。心に与える影響がプラスかマイナスか、その度合いはいくらか、そして、その最終収支がいくらか、それこそが幸せの度合いに直結する。
心が健康な人の特徴は、プラスを供給するのが上手い人である。それは取るに足らないような些細な物事からプラスを得ている、機嫌を損ねる出来事があってもそれを帳消しにするプラスを自身で作り出している、プラスになるような環境づくりやスケジューリングをしているからである。
さて、僕はというと、一人の時間を楽しみたいのに、祖父母や姉家族などの親族巡りに付き合わされてブスッと機嫌を損ねている。
でも今日は自分の部屋に引き籠もるぞ。静かな部屋であつあつのコーヒーをすすりながら本を読む。至高の空間。これで心のはプラス収支だ。