月森

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3/16/2023, 9:25:17 AM

「死んだら人は星になるなんていうけれど、厳密には違うのよ。確かに人は星になるわ。でもね、それは現世にほっておけないとか忘れられない相手がいる人だけなの。見守り続けるために、星になるのよ。それでね、星になった人は一度だけ他人の願いを叶えられるの。自分の存在を燃や尽くして消えるのと引き換えにね」

「だから、きっと私、死んだら星になるわ」

 カーテンを締め忘れた窓から覗く夜空は、とても澄んでいて、まるで星が溢れるようだった。いつかの冬の寒い日に、夜の公園でふたりで泣きながら見上げた空と、その時の君の言葉をふと思い出した。

3/15/2023, 9:29:03 AM

 リビングでつけっぱなしになっているテレビが、昨夜の人身事故のニュースを伝えていた。

「何言ってるんだよ、誰もいないじゃないか」
 伴侶の視線を追って振り向いても、そこに人の姿はない。僕はこの手の話がとても苦手だ。子供の頃から、心霊番組を見ただけで腹痛を起こす体質なのだ。
「いるじゃあないの。ほら、そこに」
「だからやめ…」
 伴侶が指さしたのは、僕の足元だった。見れば、黒猫がちょこんと座している。
「野良猫?拾ってくるなら連絡してよ。うち、ドッグフードしかないんだから」
「え?あ、ああ…」
 気付かなかった。本当に気付かなかった。友人の家からの帰り道のどこかでついてきたのだろうが、全く気配を感じなかった。僕が初めて視線をやると、猫は「にゃあ」と目を細めて鳴いた。伴侶が無遠慮に撫でても、猫は大人しくしていた。ずいぶん人馴れしているようだ。迷い猫かもしれない。
「迷子ちゃんかもね。とりあえず保護して、飼い主さん探してみようか」
「…そうだね」

 風呂とご飯を済ますと、僕は一息ついた。猫はまるで僕が飼い主であるかのように、傍に寄り添ってくる。僕が歩けば歩き、止まれば止まる。片時も離れまいとしているようだ。とても甘えん坊…いや、寂しがりなのかもしれない。
「お前の名前はなんて言うんだ?」
 猫が名乗れるはずもないのに、僕は尋ねる。
「たま?」
「にゃあ」
「くろ?」
「にゃあ」
「ムギ?」
「にゃあ」
 どんな名前を出しても、猫は目を細めて鳴くだけだった。しかし、僕が巫山戯て友人の名前を呼んだ時だけ「……ニャア」と、困ったような、照れくさいような、今までと少し違うトーンで鳴いた気がした。

 猫を相手に他愛のない話をしながら、ダラダラ過ごしていると、あっという間に日が傾いた。取り込んだ洗濯物を畳んでいると、唐突に睡魔がやってくる。昨日の疲れもあり、どうにも抗えない僕は、洗濯物を放棄し机に突っ伏した。重くなっていく瞼が閉じる直前に見えたのは、僕を安らかな瞳で見つめる黒猫の姿…

「ただいま〜」
 ハッとして目が覚める。同窓会に行っていた伴侶が帰って来たようだ。僕は寝ぼけ眼で出迎えにいこうとした。しかしその時、あの猫がどこにもいないことに気付いた。
「あれ?あの子は…」
 周りを見渡しても爆睡している愛犬しか見当たらない。
「何探してるの?」
 いつの間にか伴侶はリビングにいた。
「猫だよ。今日拾ってきた。うたた寝してる間にどこか行っちゃったみたい。一緒に探して…」
「猫って、何の話?」
「迷子の黒猫だよ。君が出かける前に、飼い主を探してやろうって話してただろ?」
「え?そんな話してないよ」
「…え?」
 僕は慌ててリビングの隅のペットショップの袋を確認した。今日買ってきた猫の餌が入っているはずだ。しかし、中には犬の餌しか入っていなかった。リビングのマットにコロコロをかけても黒い猫毛は一本もつかなかった。
「夢でも見てたんじゃないの?」伴侶に言われて、そうかもしれないと思ったが、さてどこからが夢だったのか。その時、僕のスマホにLINE通知が入った。

3/14/2023, 9:57:41 AM

 対人関係のトラウマがある自分は、多分一生、結婚はしないものだと思っていた。しかし、実際は良縁に恵まれ、ついに昨日結婚式をあげるに至った。まるで夢を見ているようだ。

 親しい人もない淋しい人生に終止符を打とうとしたあの日、君という友人と出会えたから、君が僕の理解者であってくれたから、今自分は此処にいられる。
 結婚式での友人のスピーチに、涙で顔をぐしゃぐしゃにする僕に、伴侶は目を細めて「良い友達をもったね」と言った。まったくそのとおりだ。
 友人の紡ぐ言葉は、ひとつひとつ丁寧で、とても心がこもっていて、会場の多くの人が目に涙を湛えた。友人は今、小説家という夢に苦しんでいるが、その支えに、これからも自分がなれたらと思う。友人がずっと隣で、自分を支えてくれたように。

 今日はそんな友人の家を、スピーチのお礼の品を持って訪問したのだが、何度インターホンを押しても反応がなかった。LINEも既読がつかない。電話も出ない。友人は出不精だから、もしかしたら、久々の外出で疲れて寝ているのかもしれない。無理に起こすのも忍びないと思った僕は、とりあえず出直すことにした。

 玄関の扉が開くと、愛犬が迎えてくれた。その後ろから、パタパタとスリッパの音を響かせて愛しい人が現れる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 愛犬がやたら僕に向かって吠えるのは、朝の散歩をサボったことへの抗議かもしれない。荒ぶる愛犬を宥めるために抱き上げようとした時、伴侶が言った。
「お客様を連れてくるなら、連絡のひとつ入れてほしいわ」
「え?」
 見れば、愛犬と伴侶の視線は僕ではなく、その後方に向かっていた。一瞬キョトンとして、遅れて振り返る。しかし、僕の背後には人の姿などどこにもなかった。

3/7/2023, 10:57:22 PM

「月が綺麗ですね」そんな告白をされてみたかった。なんて言ったら笑われるだろうか。学生の時分は微塵も興味がなかった漱石を、ひょんなことから読む機会があった。そしてそれが、大人になった今、何故だかやたら胸に沁みた。

 あの頃の私の感性は、どうやら息をしていなかったらしい。文学も芸術も音楽も、楽しいとも好きとも思えなかった。まったくもったいない学生時代を過ごしたと思う。好きなもののひとつもあれば、あの死んだ魚のような目も、幾分マシであったろうに。

「月が綺麗ですね、なんて言われたら冷めますよね。なんでこれがI love youになるのか、意味分かんないです」
 隣から聞こえてきた声に、過去に飛ばしていた意識が、今へと引き戻される。見上げれば、今夜は立派な満月だった。
「……そうだねぇ」
 私なら嬉しいけど。反論の声は、透明な音になった。ロマンチストである己の露呈を無意識に恐れたからだ。近頃始めた詩を書く趣味も、誰にも言えない。私の周りの人間は、どうにもリアリストが過ぎる。夢想家を個性として受け入れてやろうという気もまるで感じないので、小心者である私の口数は自然と減った。

3/6/2023, 4:41:22 AM

「君が今の恋人のこと、大好きなのは知ってるわ。でもね、たまには私のことも見てちょうだいな。淋しくて死んでしまうのだから」

なんて、茶化して言えたら良かったのに。実際は、君の薬指の指輪が視界をちらつく度、呼吸が止まって言葉なんて出てこないの。

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