詩的な世界に漂うあなたを愛してる
ぎこちないやり方しかできないあなたを愛してる
美しい言葉を美しいと思えるあなたを愛してる
間違った言葉遣いをするあなたを愛してる
淫らに身体を委ねるあなたを愛してる
嘘を重ねるあなたを愛してる
見向きもされないあなたを愛してる
意地悪なあなたを愛してる
優しさから逃げてしまうあなたを愛してる
孤独に酔うあなたを愛してる
誰かの真似をするあなたを愛してる
正しさにしがみつくあなたを愛してる
見返りを求めるあなたを愛してる
誰にも見せたくないあなたを愛してる
忘れたふりをするあなたを愛してる
傷ついていないふりをするあなたを愛してる
あなたには愛する力がある
私はあなたに愛されたい
#自己肯定感 #自己受容
母は美しい人でした。
母の横顔をよく思い出します。
すっと通った鼻筋、柔らかな弧を描いた眉、スラリとのびた首筋とまとめ髪の後毛。
思い出の中で母は優しげに、ゆっくりと微笑んでいます。
微笑みだけではなく、母はいつも悠然としていました。
同級生の話を聞くと、母親というものに
抱くイメージが随分違うことに驚いたものです。
同級生たちの話を聞いていると、母親というのはもっと忙しなく、自分勝手で感情的だというのです。
彼女たちの日々の苛立ちや鬱憤の原因の多くは母親でした。
私の母が、世間一般的な母親像からはみ出した人だということは、幼い頃からなんとなく気づいてはいました。
母が私の同級生、お友達の母親と話したりしているのをあまり見たことがありませんでした。
母は、孤立していたように思います。
しかし、母がそれを嘆いたりしたことはありませんでした。
というより、母が感情的だったことがないのです。
それは、私たち姉妹に対しても同じでした。
母は、いつも優しげでゆっくりと微笑んでいます。
私たちが喧嘩したり、笑いあっていても、母は少し遠く離れたところから
眺めているだけでした。
優しげな微笑みを湛えて。
喧嘩をしていた私たちは、母の静かな視線に気づいて、なんとなく気づまりな雰囲気になり、喧嘩は曖昧に終わります。
私たちを咎めるようなものではないのですが、母の視線はいつもどこか冷ややかでした。
今となっては、あの冷ややかさは、母は私たち娘にあまり興味が持てなかった為なのではと思います。母は終始、そういう人でした。
それでも母は、私たちに食事と清潔な衣服を与えてくれました。
母の食事は、いつも少し……水分が多かったように思います。
何事も美しく丁寧な母でしたが、料理だけはそうではありませんでした。
どの品も水浸しのような食感で、おひたしなどは本当にびちゃびちゃとしていて
お皿に水気が溜まっているほどでした。
私も妹も、給食の方が好きでした。
妹は今でもおひたしが苦手だと言います。
食事以外、母はほとんどにおいて、優雅な美しさを持ち続けていた人でした。
母とはあまり話しませんでした。
私の中にあるのは、母のスッとした佇まいとか静かな微笑みばかりです。
あまり会話をした覚えがないのです。
幼い頃からそうだったので、それが普通だと思っていました。
母親というのは喋らないものだと。
母が、私たちと違う時間軸で生きているのかもしれない、と気づいたのは小学校に入る頃だったような気がします。
そんな母でしたが、唯一感情というものを表すことがありました。
それはいつも決まった季節、夏の頃です。
庭の月下美人です。月下美人の花が咲くのを、母はいつも心待ちにしていました。
梅雨時からよく庭に出ては、花芽がついていないか確認する母の姿を覚えています。
いつも優雅な母が、月下美人の開花が近づくと、少しだけそわそわと落ち着かなくなりました。
それは、いつもの母と違っていて、大変な違和感を覚えたものです。
もうそれは居心地が悪いほどでした。
私たちにとって、母は、そういう存在ではありませんでした。
感情的だとか気持ちの揺れ、みたいなものを抱えている母に近づきたくなかったのを覚えています。
月下美人の開花を待つ母は、まるで恋人を待つようなうっとりした目でした。そんな熱っぽい瞳は、母には不釣り合いな気がしました。
私には分かるの、と母は言いました。
いつ咲くのか、分かるのよ。
母が言った通り、毎年、母が今夜咲くわ、と言ったその日の夜に月下美人は咲きました。
美しい花です。見事な白い大輪の花。毎年、一晩だけ咲かせる花です。
母は今年も咲いたわ、と満足そうに目を細めます。私達が寝た後も母は、ずっと月下美人の側を離れませんでした。
月下美人というのは美しい花なのですが、匂いも強烈です。
その匂いは次の日も午前中もたっぷりと鼻をついて来るのです。
開花した夜よりも、次の日の朝の方が苦手でした。
月下美人が残した濃密な匂いの中、母の笑顔はいつにも増して優雅でした。
そして、生気が与えられたような瑞々しさがありました。
いつも青白かった母の肌は、少しだけ血の色を帯び、月下美人の匂いをまとわりつかせていました。
その時の母の顔はあまり見たくはありませんでした。私の知る母ではありませんでしたから。
月下美人の花が一晩で終わる花で本当に良かったと思います。
母が亡くなったのは、5年ほど前です。
今、庭の手入れをしているのは私です。
手入れと言っても、草を抜いたり、落ち葉を掃いたりする程度です。
母のように丹念なことはできません。
母は庭を美しく手入れしていましたから。
最近、私は知らず知らずのうちに庭に出る回数が増えたような気がします。
今は、初夏。湿った空気の中庭に佇む涼し気な母を思い出します。
今年も月下美人は、咲くでしょうか。
花芽が出たかどうか私は確認します。夏に向けて暑くなるたび、膨らんでやがてつぼみになるのかと思うと、少しだけ胸の奥を摘まれたような、そんな気になります。
今でも月下美人は苦手です。
あの濃密な香りも、母の熱っぽい目も、思い出すと不快です。
それなのに、気になって仕方がないのです。今年、月下美人はいつ咲くのか。
先日、妹が遊びに来てくれました。
庭にいる私を見て、妹は笑って言いました。
「お姉ちゃん、最近お母さんに似てきたね、そっくりだよ」
妹の言葉に、少しだけ背筋を冷やしました。そうでしょうか?
私は、母のような優雅さはありません。でも妹は言うのです。
「ほら、そうやって、ゆっくり笑うの、そっくり」と。
そうならば、私も月下美人に向かって向かって、熱のようなまなざしを向けるのでしょうか。あのときの母と同じように。
今年も、月下美人は咲くでしょう。
私は、その日が分かるような気がします。
まっすぐ歩けないし
すぐ立ち止まっちゃう
フラフラしちゃうし
何もないところでよく転ぶ
道を間違えたり蹲ったりカニ歩きしたり
這いつくばって進んでいたら
背中踏んづけられたり(泣)
気が付けば逆走してたってこともある(笑)
そんなんだから、一緒に歩いてきた人はいない
でもごくたまーにだけど
遠くの道が見えることがあって
ずっと転がり続けて進む人とか
地面掘ってる人とか
歩くんじゃなくて道を泳いでる人とか
泥だらけの道なのにバレエのように
優雅に歩く人とか
よくあんなんで歩けるなーすげーって思う
色んな歩き方があるって知ったからさ……
僕もまた歩けると思う
ある日の昼休みのことだった。
俺はいつものように、会社の屋上で同期の館林とコンビニ弁当を食っていた。
館林が何の前触れもなく言った。
「俺、夢見る少女になろうと思うんだ」
は?
「実はもう、かなりいいところまで来ている。後もう少しで夢見る少女になれそうなんだ」
はあ?
困惑する俺に、凛々しい顔つきで館林は言った。
「検定だよ」
この世の中には、夢見る少女になる為の検定があるんだそうだ。
「2級まで受かった。1級に受かったら、完璧な夢見る少女だぜ」
館林曰く、難易度の高い1級に受かってこそ、本物の夢見る少女だと言えるらしい。
知らなかった。そんな検定があるのも、館林が夢見る少女を目指しているのも。
館林は、お前だけに打ち明けるよ、といちごミルクをストローで吸い上げながら語ってくれた。
夢見る少女になる為の、日頃の努力を。
休日にはひたすら部屋で空想に耽り、もし魔法が使えたら何をしたいかノートに綴る。カラフルなマカロンでお城を作り、ぬいぐるみ達とお茶会。押し花、綺麗な貝殻、そんな自分だけの宝物を秘密の宝箱にしまったり、いつか来る幸せのことを空想のお友達に話したり。
お前……夢見る少女になる為にそんなことしていたのか。
「今もこの青い透明な空を見てると俺は夢みてしまう……空を飛べたら何をしようかなって」
館林は、うっとりと空を見上げた。まさに夢見る少女の表情で。
「ふわふわの雲の上で昼寝した後、お前の家までひとっ飛びだよ……そんで誰も知らない秘密の場所を一緒に探しに行くんだ」
お、おう……俺んち雲で来てくれるんだ?
館林は上目遣いでいちごミルクをじゅるっと啜った。
まあ、夢見る少女感がなくはないかも……しれないかも?
館林は言った。
「今週末、1級の最終検定がある。それに受かったら、俺もついに、本物の夢見る少女になれる」
なってどーすんだ。
でも俺はそれは口に出さなかった。館林はずっと頑張ってきたんだ、少女の心を磨くために。そういうの、俺は応援したい。俺は館林の肩をガシッと掴んで言った。
「頑張れよッ……お前ならなれる!」
えへ、と館林は指でハートを作った。
俺は心の中で館林に盛大に応援歌を送った。
フレーフレー館林! ガンバレガンバレ館林!
お前ならなれる、夢見る少女に!
それから俺は出張があって館林としばらく会えなかった。
彼と話せたのは一ヶ月も後のことだ。
出張から戻った俺は、屋上で、館林の姿を探した。
1級合格を祈って、俺はいちごミルクを買っておいた。
あいつが合格していたらこれで乾杯だ。
屋上に館林はいた。
が、その姿に元気はなかった。項垂れてベンチに座り、ため息をつきながら、コンビニ弁当を食べる館林。
まさか落ちたのか……? 俺はできるだけ明るい感じを装って、よう、久しぶり、と館林の隣に座った。館林は俺を見て力なく笑った。
「ああ……久しぶり」
俺がその後何と言っていいか迷っていると、館林は、タバコ吸っていい?とタバコに火をつけた。
そうか。タバコを吸うってことは……やっぱりそうなんだな。
ダメ、だったのか……俺は館林に言った。
「そんなに落ち込むことないぜ館林。お前の努力は俺が知ってる。頑張ってたよな……俺にとってお前は、立派な夢見る少女だよ」
検定なら受かったよ、と館林。
はあ?と俺は間抜けな声を出した。
「合格したのかよ……!」
「うん。晴れて俺も、夢見る少女になったぜ……」
「おまっ……夢見る少女なら、なんでタバコなんか吸ってんだよ」
「まあ、これが完成形なのかもな、夢見る少女の」
「は? 何言って……」
「夢見る少女は現実を知る。醜くて残酷な現実を。もう夢なんて見てられないってことにいずれ気づく。それが最終試験だったんだ。最後の試験は……なかなかエグいものがあった。なんせ現実を思い知らされるんだからな」
「なっ……そんな、酷いことが……?」
「だがあの最終試験を通った今だからこそわかる。夢を見ること自体、奇跡なんだって。夢を見ていたあの頃が懐かしい。戻れはしないが懐かしい……本当の夢見る少女がどういうものなのか、俺は分かったよ。残酷な現実に傷だらけになった心の奥で、震えながら夢の為に祈っている……そういうものなんだ、夢見る少女ってやつはさ。合格した後、気づいたんだ。俺の中の夢見る少女は……もうどこにもいない。消えちまった」
「た、館林ぃ……!」
館林はタバコの煙をゆらりと吐き出した。
確かに館林は疲れた目をしていた。
だが例え、今は現実に疲れ切ってしまったとしても……俺は確かに、夢見る少女になりたいと語ったあのキラキラした館林を覚えているんだ。あの時の館林は確かに夢見る少女だった。
「消えてねえ、お前の中の夢見る少女は消えてなんかねえよ!」
そう言った途端、涙が溢れ出した。
夢見ることの美しさと残酷さに、俺は男泣きしてしまったのだ。
「お前が泣いてどーすんだよ」
せせら笑う館林だったが、奴の目も潤んでいた。
「館林、飲もう! いちごミルクの味は裏切らねーぜ!」
館林は、照れくさそうに俺のいちごミルクを受け取ってくれた。
涙目でいちごミルクを啜りながら館林と二人、空を見上げる。透明な青い空には、ふわふわの白い雲が浮かんでいた。
彼は、どこにも行きたがらない男だった。
誘えばいつも、こんなメッセージが返ってくる。
「この間死んだ金魚の初七日だから」
「満月だから外に出たら変身しちゃうんだ」
「実は俺、部屋から出ない族の末裔なんだよね」
彼を誘えば、いつもそんな馬鹿げた冗談が返ってくる。
くだらなくて誰も傷つけない、彼そのもののような優しい冗談が僕は好きだった。
久しぶりに連れ出してやろうと訪ねた友人の部屋には、光がなかった。
窓は重く閉じられ、壁はすべて青で塗り潰されていた……海の底みたいだ。
声も足音も、希望さえも沈んで消える冷たい深海。そこに彼はいた。
背中を丸め目を閉じて、何かの音に耳を澄ますように。
「蹲っていたいんだ」ぽつりと呟く声は、泡のように頼りない。
さあ行こう……彼を海の底から引き上げる言葉は喉で凍りつき、言えなかった。
かといって慰めることも励ますこともできず、僕はただ友人の横に座った。
「ここにいるから金魚の四十九日までには戻ってこいよ」
彼みたいな下手くそな冗談を言ってみたけど反応はない。
やっぱり友人のようにはいかない。
あのくだらない冗談に僕が救われた日々があったことを、彼は知らない。
僕は彼に静かに寄り添った。
そして深海の底の静寂に身を委ねた。