【絆】
運命の赤い糸、という言葉を聞いたことがある。
そんなものが本当にあるのなら、今すぐにでも見えるようにして、分かるようにして、安心させて。
彼と私は、彼女と私は、あの子と私は……
"その人"と私で一つの関係性が成り立っているのなら、恋でも、友情でも、愛でも、嫉妬でも……
"その人"と私が繋がっている理由なんて、どうでもいい。繋がっていられる気持ちが何であろうと、きっと私は許せるから。
"その人"だからこそ、私は仲良くしていたい。
話したい。会いたい。待ちたい。伝えたい。聞きたい。見つめたい。抱きしめたい。想いたい。愛したい。
どれだけ貴方が私のことを妬み、嫌い、憎んでいても、どれほど私が貴方のことを妬み、嫌い、憎んでいても、いつかは、忘れがたく、離れがたく、かけがえのない。そんな絆になるでしょう。
きっと……そうなるだろうと、今だけは信じさせてね。
【たまには】
散漫とした気分に囚われてばかりの毎日。
それがイヤで、すごくイヤで……もう、何をすればいいのか分からないから、どうにもできない。けれど、気休めに書く、その時間が本当に大切なのだと知っている。
「言葉は、一度言ったら飛んでいき、取り消せない。」なんて、昔ある書物に残された言葉を今に知れるのは、なぜか?
きっと言葉を話すと飛んでいくなら、あらかじめ言葉が飛んでいかないよう何かに書き留めておけばいいからに他ならない。
「おはよう」や「いただきます」も、
「いってきます」や「いってらっしゃい」も、
「こんにちは」や「ありがとう」も、
「すみません」や「ごめんなさい」も、
「こんばんは」や「さよなら」も、
「ただいま」や「おかえりなさい」も、
「ごちそうやま」や「おやすみ」も、
それら全てが日々の生活のどこかの誰かと交わされて、立ち止まり、考え、受け止められている。
どれだけ言葉にするのが億劫で挨拶すら言えなくても、その反省を今ここに書き連ねておけば、私の想いは空の彼方へと飛んでいかずに済むだろう。
ただ、風に飛ばされてフヨフヨと浮かぶバルーンも別に嫌いじゃないけれど……だからこそ、言葉を書き留めるのは、"たまには"がいい。
【大好きな君に】
目を覚ませば、ほら。
……見える。見える。瞼を閉ざす程の陽光が。
窓の、網戸の、カーテンを越えた先で。
……聞こえる。聞こえる。耳に響く車の発信音が。
隣家の、庭の、アスファルトを伝って。
……香る。香る。鼻孔に馴染んだふとんの匂いが。
横たわる身体の、服の、感覚を通して。
五感が刺激されるたびに覚醒していくように感じる。
体温も、手触りも、声の出し方も、身体の動かし方も、全てを思い出していく。そんな目覚め。
上体を起こし、フローリングに素足で降り立つ。
フラフラ、ユタユタとした足取りでリビングへ向かう。
見慣れた廊下を通りすぎようとして、ふと足を止めた。
廊下の壁に小さく空いた正四角形のスペース。
およそペットボトル一個分の縦横比で、写真立てや観賞用のミニ苔などが置かれている。その真ん中でポツンとたたずむスケッチブックに、なんとなく手を伸ばす。
中を開くと、目に飛び込んできたのは、散り際の桜の大木のイラスト。力強く描かれた太い幹と淡く桃色に彩られた花びらは、独特な春の趣を感じさせる。
2ページ目には、雄大な山々に囲まれた湖面でただようスワンボート。3ページ目には、たくさんの紅葉と銀杏で埋め尽くされた土の地面。
ページをパラパラとめくるたびに流れていく風景画は、さながら車窓から眺める光景と似ていた。
現実に悩み苦しんでいた私に、"現実にある良さ"を教えてくれたスケッチブック。それを渡してくれた持ち主の笑顔が、今日も写真立ての中で輝いている。
せっかくの休日だから、家まで会いに行こうか。
そして、大好きな君に「ありがとう」と伝えよう。
【ひなまつり】
学校鞄を背負って帰宅し、家の中に転がり込んだ午後6時。
灯りのついたリビングへ入ると、食卓にちらし寿司が置かれていた。
「今日は、ひなまつりだから」
そんな母の言葉で、今日が"ひなまつり"という行事がある日だと思い出す。
ここ最近は、まともに年中行事を祝うことが少なくなった。端午の節句とか七夕とか、正直どうでもいい。ただ誕生日とクリスマス、加えてバレンタインの日に、ゲームやらお菓子やら何かしらのプレゼントがもらえれば、それでいいのだ。
「あ、ひな人形、出してあげないと」
なんて、慌て出した母の背中をそっと覗く。
学校から出された課題はあるが、そんなもの知ったことではない。どうせ、寝る前か明日の朝に持ち越した後に終わらせてしまえばいいだけのこと。
母は、せっせと和室の引き出しの奥で保管されていた巨大なダンボールを床に置くと、中身を包んでいる紙の包装を丁寧にはがしていく。
フッと懐かしい匂いがした。
母の手元から、鮮やかな着物の柄が見えた。指の隙間からは、きめ細やかな黒髪や白い肌が見え隠れしている。
しばらくして、設置し終えたひな壇は、薄暗い和室の中でも輝いているように見えた。礼儀正しく座り、杓や扇子を持つ様は、さながら威厳と華やかさを感じさせる。これが、いわゆる"ひな人形"か、と改めて実感する。
こんなにも、ひな人形をまじまじと眺めることが久しぶりだったからだろうか。まるで、初めてそれらを見たかのような心地がした。
制服から私服に着替えてリビングに戻ると、食卓には、ちらし寿司の他に紅白大福とこんぺいとうが置かれていた。
……なぜ、紅白大福?
「さくら餅、買うの忘れちゃったから、代わりの大福」
頭に浮かんだ疑問を口にする前に、すかさず母が答える。私は、なんでもかんでも顔に出やすいから、きっと眉をひそめて首でもかしげていたに違いない。その様子を見て、きっと母は瞬時に察したのだろう……多分。
席につき、母と一緒に手をあわせる。いつものことだ。父は、毎日のように仕事が長引くため、今日も帰ってくるのは深夜頃だろう。
いただきます、と母の声。
でも、いただきます、と私は言わない……というか、言うのがもどかしく感じるから言えないのだ。
お箸でちらし寿司を一口すくう。父が酢飯を嫌うから、我が家のちらし寿司は食べると白米の素朴な味がする。
ちらし寿司を食べ終えると、小皿へ雑に入れられたカラフルなこんぺいとうを、これまた雑につかんで口の中に放り込む。ガリガリガリ、と脳内に音が響く。
箱に一つずつおさまっている紅白大福。
おまけ程度にシソの葉が一枚のせられているが、どうせ食べないのでいらないと、それをどかす。
紅い餅を食べようと手に取った。
「ねぇ、お父さん、今日はもう帰れるって」
突然の母の声が一瞬だけ、私の脳をフリーズさせる。
ぎこちない動きでスマホを見てみると、一件の新着メールが来ていた。父からの……内容は確認したが、返信はしない。胸の内にある想いを、なんと言葉にすればいいのか分からないから。
行事を祝うのも悪くはないなぁ。
なんて、思いながら、学校の課題は夜の何時から始めようかと考えをめぐらせる。
【たった1つの希望】
我が家のマイルームで、朝7時半前に鳴る時計。
ピポポ……ピポポ……あぁ、今日も止めないといけない。
それが起きたばかりの私に課せられる最初のタスクだ。
めんどくさい準備をこなして、朝ごはんを食べて、しばらくスマホで時間をつぶす。
そうして、クソどうでもいい時間を過ごしたら、もう登校開始の時間だ。いってきます、の前に振り返る。
どうも、おはようございます、マイルーム。
見ると、部屋の隅っこに堂々と、ふとんが投げ出されていた。いつもと同じ。掃除されていない部屋。
汚くはないけれど、キレイとも言いがたい部屋。
無言で荷物を鞄に放り込み、外へ出る。
自転車にまたがり、こいで、こいで、こぐ。
木々を横目に見る。車と並走する。
遠くに見える山々。私の両足でこぐたびに伝う振動。
ガタン、ゴトン、と電車に揺られている感覚。
しかし、眠たくはならない。どこにも身体の支えになってくれる背もたれはないから。
吹きつける風。心地よくもあれば、うっとうしくもある。
自転車を止めて、校舎を見上げて、ウッと深呼吸して、席に着いて……それから鞄に忍ばせた本を開き、読む。
読む。読む。読む。じっくりと、目を通して。
本の内容が頭に入っては抜けていく感覚。
ただの文字の羅列として認識してしまっているかのようで、ときどき怖くなる。なぜだろう?
狭苦しさを感じる。
確かに空気があるはずなのに、少しだけ上手く呼吸ができないような息づらさを感じることがある。
別に、この空間にいるのがイヤというわけではないのだが……教室の中でも、教室の外でも、校庭のグラウンドでも、家の近くにあるコンビニでも、我が家のマイルームの中でも、同じような気持ちをたびたび味わってきた。
キーーーーーンコー~~ーーーーーーーー
やったぁ、4時間目の授業の終わりの鐘だ。
よく頑張ったなぁ、私。まぁ、寝ちゃってたけど……
ーーーーーーーンカーーーーーーーーーン
いやいやいや、長い、長い、長い。
まだチャイムが鳴り終わらない?!
コー~~ーーーーーーーーーーーーン……
あ、鳴り終わった。
これで、やっと弁当が食べられる!
めちゃくちゃ腹へったァ。
とは、思うのに、なぜか私は栞の挟まった本を手に取り、読み始める。弁当は机の上に置き去りに。
周りの雑音がわずらわしい。環境音って、もう少し下げられないかな? ねぇ、ドラえもん、そんな願いを叶えられる秘密道具があるなら出してよ。
なんて、毎日のように思いながら、やっと放課後を迎える。
そういえば、午後の授業では何をしていたか……なんて、いちいち覚えていない。もちろん、午前の授業のことも。そもそも、覚えてなんかいられなかった。
校門の真隣にある自動販売機。
そこに並んだグレープ味のファンタに心奪われる。
ファンタの誘惑がすごい、と思わず足を止めた。しかし、足を止めたところでどうすればいいのか。私は馬鹿なので、財布という貴重品はマイルームに置いてきた!
まぁ、いいか。今度、買ってあげるから。
待ってろよ、グレープ味のファンタ。
こんな心の声が、もしも周囲に聞こえるとしたら、炭酸飲料に話しかけるヤバい奴だと思われるに違いない。
ふっと上を見る。
そこには、青く澄んだ空がいる。
いつも、必ず、近くて遠い、そんな貴方。
鞄からスマホを取り出し、カメラを空へと向ける。
貴方は笑っているのか、それとも泣いているのか。
表情は分かりゃしないが、ただソコにいる。
それだけで、私の心は浄化されるようなのだ。
スマホのアプリを開き、先ほど撮った写真を添付する。
あぁ、今日も綺麗だ。
私の空日記。それは、貴方の観察記録。
それは、私にとって最重要のタスク。
それは、1つの希望。