たとえ間違いだったとしても
過ぎたことをくよくよ考えても仕方がない。政治の世界ではよくある話で、そのときには検証作業が行われる。歴史の展開も複雑で随分ひどいことをやってきたものだとあきれる。ひどい時代に生まれなく良かったと思う。しかし果たして今が良い時代なのかとまた疑い始める。しかし日本はまだいい方だと世界を見て思う。今この時代を生きていることが間違っているのだろうか?答えは歴史が教えてくれるのかもしれない。
親が子供を応援するのは当然だと思う。そりゃ、人間だもの間違いもするわ。子供は応援されてやる気が起きてくる。やる気がなくなったら親はどんなにか悲しむことだろうか。昔、“わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい”というテレビコマーシャルがあった。親は子供が成長するのを諦めることはない。神さまもきっと同じことを考えておられると思う。
雫
朝露の一滴で命が救われたという話を聞いたことがある。極限状態ではこういうことが起きるんだと感心したものだった。極限状態とはまったく関係のないわたしの生活からは知ることのできないことだ。“知る”と“汁”とは関係ないが、味わってみないと分からないのが味噌汁の味だ。味噌汁の味といえばおふくろの味。死んだおふくろが助けてくれたのかな?と思うこともある。水蒸気は目には見えないが確かにそこにあるものだ。花には精霊が宿るという。すべてに霊が宿ると考えるのは日本人だけなのか?
何もいらない
高い所にはエネルギーがあるという。ダムをみれば分かる。高い所にある水は地上で勢いをもち、この世を楽しむ。この世を楽しまない場合はどうなるのか?そのエネルギーは内面に蓄えられると言う。外と内、華やかな人生もいいが、苦悩に満ちた人生もまたいい。人生とは芸術だという。みる人に感動を与える。
もしも未来が見れるなら
人間はその人がイメージした人間になると言う。イメージのチカラをとく本もたくさん出版されている。目標を設定することは夏休みの計画をたてる小学生でも知っている。それだけ昔から伝わる夢を実現する手法だと言える。しかし明日みる夢は、今日とは違うであろう。目標が達成出来ないことはよくあることだ。それは状況の変化が折り込まれていないからだ。わたしは、いつもミサイルが目標をとらえるのを見て不思議に思っている。恐らく時間の間隔が長くないからだと考えている。はるか先の未来は、私達が見る夢とは異なるものになるんだろう。
無色の世界
無色の世界とは、ふつうは透明じゃない?いや、それではいけない。ふつうという言葉は嫌われる。ふつうとは何なんだと、叱られる。それでは自分の考えを述べなければいけない。二色は“白”と“黒”。一色は“黒”。無色は“白”。この世から黒い大地がなくなれば、真っ白な雪の世界。純潔無垢な世界。そこに住めるのは限られた人たちだけだ。おそらく肉体を持っていてはダメだろう。霊体でも特に純度の高い存在と言うことになる。まずは肉体を脱ぎ捨てて、魂だけになる。それから三途の川を渡る。そこで純度によって色が現れる。白ければ合格だ。とりとめのないことを考えてみるが、今を生きる為には何が必要なのか?人はパンのみに生きるにあらず。生きる糧としてのパン。パンの問題は常にわたしたちの生活にまとわりついてくる。人の欲は限りが無いと言うが、食欲には限りがある。健康を壊してはもともこうもない。健康な人間は欲をコントロール出来るに違いない。