君と最後に会った日
最後に君と会った時、弟さんの話をしてくれたっけ。僕はそんなことは気にかけることなく、自分の夢を語ったっけ。僕はまだ子どもだった。人には色々な悩みがあることを知らなかった。僕は食べていくことに困っていなかった。しかし、君は僕に生活の匂いを探していたんだね。自分の人生しか知らない僕。“井の中の蛙、大海を知らず”と教えてくれたっけ。僕が記憶しているのは、夏の午後7時、書店で受験参考書を夢中に探している僕。君はその時、何を考えていたのであろうか?結婚のこと?家族のこと?こんな僕を一時のこととはいえ、愛してくれた君にありがとう、そしてごめんなさい。
繊細な花
美しい花のもつパワーには凄いものがある。疲れていても、もう少し頑張ってみようと元気が湧いてくる。でもそれだけに寿命は短い。だから多くの人は美人に生まれるのを恐怖する。美人の奥さんを持ったご主人の気持ちは察するにあまりあるものだ。パワーがあるということは、それだけ充電に時間がかかるものである。次に現れるのをまだかまだかと待ちわびる。私たちは生きている間に稀な現象に出逢うことがある。何かパワーをいただいて良いことが起きるのではないかと。たとえ何も起きなかったとしても不思議なご縁をいただいたものだと感謝するものだ。
1年後
この世には不思議な力があるものです。中国の気功もそうです。気功師になれたらどんなにか素敵かと思っています。しかし、そのためには日々の鍛錬が必要です。1年後の自分はどれだけ鍛錬ができているであろうか?やはり技術だけではだめで、小手先での施術では病を癒やすことは出来ないと思います。病を癒やすということは施術者が全身を使うものだと思うのです。顔を見ただけで病が癒やされる、そんな施術者になりたいと思っています。
子供の頃は
子供の頃は夢があったな〜。ラジオが好きで、ラジオの組立てセットを買って来て夢中に組み立てていた。女のコにもモテたっけ。きっと立派な技術屋になると思われていたんだ。それから本もよく読んだ。読書家ということで学級委員もやった。きっと哲人政治家になると思われていたんだ。それからいく歳月、苦労もした。艱難、汝を玉にする。全く角がとれて丸くなったものだ。今は、昔が懐かしい。人生は子どもの見る夢のようにはならないのが良くわかった。友達も多く亡くなって今は生きていることに感謝している。
日常
小学生のままでは日々の生活を送ることはできないのだろうか?中学校へ行って国語、数学、理科、社会、英語を学ばなくてはならないのであろうか?たしかに言葉が分からないと困る。家計簿がつけられないと困る。自然の中の仕組みが分からないと困る。市役所へ行けないと困る。カタカナ文字も分からないと困る。友達がいないと寂しいから友達と遊びたい。でもお母さんは遊びばかりしないで家のお手伝いをしなさいと言う。あなたに非行に走られると困ると言う。日常を生きるためにはやはり中学校へ行かなければと思う。