ミヤ

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2/8/2025, 3:19:50 PM

"遠く…"

遠く、遠くへ行きたい。
此処じゃない何処かへ。
わたし自身がいない場所へ。
帰りたいなぁ。

ずっと昔、頬を腫らした貴女はそう言って膝を抱えていた。すぐ後ろにある玄関扉にもたれて、困ったように微笑む。
貴女の家はそこにあるのに。
帰るべき場所に帰りたくないのに、どこに帰りたいと言うんだろう。

手招きされて、隣に座り込む。
ただぼんやり夕陽が沈む様子を二人で眺めていた。
やがて薄暗い空に星が瞬き出す頃。
貴女は空を見上げて静かに囁いた。

"カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのさいわいのためならば僕のからだなんか百ペん灼いてもかまわない。"

"けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。"

僕が首を傾げると、貴女は鞄から本を一冊取り出す。その本は、何度も読み返したのかボロボロになっていた。

宮沢賢治、銀河鉄道の夜。名作だよ。
読みなよ、貸してあげる。

いらない、と断ると、可愛くないガキだと髪をクシャクシャにされた。口を尖らせて見上げると、貴女はもう涙を浮かべておらず、悪戯っぽくにんまりと笑っていた。




作中で、どこまでも一緒に行こうとカムパネルラに言ったのはジョバンニだった。
それなのに、かつて同じ台詞を口遊んだ貴女は今ここにいない。先に銀河鉄道に乗って遠くへ行ってしまったのは貴女の方だった。

2/7/2025, 2:37:04 PM

"誰も知らない秘密"

秘密箱は決まった手順で操作を行わないと開かない。木材の継ぎ目が分かりにくい寄木、更には手数の多いものとなると、開けるのは困難を極める。

箱根で買った寄木細工の秘密箱を放置していたところ、貴女が興味を持って弄り始めた。
ちょっと動かしてはうーむと首を捻り、なぜか上に持ち上げたり、下に置いて考え込んだり。
なんとなく猫っぽいなぁと思いながら、貴女がなんとかして開けようと頑張っている様子を頬杖をついて眺めていた。

それからもたまに思い出しては挑戦していたけど、
結局、貴女が箱の中身を知ることはなかった。
実は部品が壊れていて開かないなんてことは、
貴女には最後まで内緒だった。
箱の中身は、僕以外誰も知らない秘密だ。

2/6/2025, 2:54:13 PM

"静かな夜明け"

しんと静まった夜が緩み、清冽な光が差し込む。
薄鈍がかった雲が徐々に彩度を増し、薄明の燃えるような焼け空へと変わっていく。
条件の揃った時にしか見られない、音のない特別な夜明けの景色。
冬の澄んだ空気の中、コーヒー缶片手に刻々と変わる空を一人見上げていた。

2/5/2025, 3:35:07 PM

"heart to heart"

学生時代、呼び出しというものをされたことがある。何回スルーしたかな、痺れを切らした連中に強制的に連れ出された。

何度か連中に小突かれたあと、近くにあった机に思い切り腕を振り下ろす。大きく鈍い音と共に、脳天に突き刺さるような痛みと痺れが走った。
人間の身体って意外と頑丈なんだよね。
思い切りぶつけてもなかなか折れない。
止められた。
頭狂ってんのか、と言われた。

心外だった。
実際に何回か殴られ蹴られた後で、更に腕まで折れたとあっては、大きな問題になる。最小限の犠牲でこれからの平穏を買えるのなら、骨の一本や二本くらい安いものじゃないか。

物を汚したり壊したりするなら、君たち本人じゃなくて君たちの親御さんに連絡して弁償してもらうし、陰口・悪口なら好きなだけ言えばいい。
ほっといて欲しいだけなんだ。
義務で通っているだけなんだから。
僕も君たちに興味はない。
どんな生い立ちで、何が好きで、日々なにを考えて生きているのかなんて知ったことじゃない。余計な情報なんていらないし、こちらも関わりたくなんかない。気に入らないなら見ないでくれ、気に食わないなら存在ごと忘れてくれ。
名前すら覚えていない同級生に、ただ、そう願った。

やはり腹を割って率直に話すということは大事だ。
それからはとても過ごしやすくなった。
ペアを組む時はちょっと困ったけど、まぁ生徒が駄目なら教師にどうにかして貰えばいい。強制的に誰かと組ませるか、一人を認めるか、はたまた教師とペアを組んでもいい。無理なことを要求しているのはそちら側なんだから、それくらいどうにかするのが当然だと思ってた。今考えたらなんて面倒で協調性のない嫌な子供だと呆れてしまう。

でもね、数年間、毎日嫌でも通わないといけない場所なんだから過ごしやすくする工夫は必要だろう?
あちらとこちらは違う側だし、
考え方や見え方が違っていても当たり前。
相容れないし、言葉だって通じるか怪しい。
だったら、初めからいらないものとして切り捨てた方が楽だ。

学生の頃の話を聞きたがった貴女に言うと、深く深く溜め息を吐かれた。普通は一人が怖くて、そんなに割り切れないと。まぁ、当時は半分くらい心が死んでたから仕方無いよね。

2/4/2025, 2:33:47 PM

"永遠の花束"

貴女が初めてくれた記念日のカードは、花びらを漉き込んだ紙で作られていた。
貴女の字は特徴的で、僕の面白みのない字とは大違い。文字の柔らかさが心地良くて、ずっと見ていられる。嬉しさのあまり額装して飾ろうとしたら、やめろと止められたっけ。
貴女が嫌がるから飾るのは諦めて渋々仕舞い込んだけど、折に触れて取り出し眺めていた。僕があんまりにも喜ぶから、貴女は記念日以外のなんでもない日にもカードを贈ってくれるようになって、いつしか保管に使っていた大きなお菓子缶が全部埋まってしまった。

缶いっぱいのカードには、四季折々の花と貴女の文字が閉じ込められている。経年で色褪せてしまっても、ずっと変わることのない宝物だ。

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