「あ、雲の間から日が差して来た」
もうすぐ雨がやむかなってとき、
私は雨が柔らかく感じる。
雲からさしこむ光をみて、雨があがる時を想像してワクワクするからかな。
時刻は午後2時。
晴れ間も見えてるし、もうすぐやむかな?って期待を胸に今歩いている道を進む。
柔らかな雨って、なんだか落ち着く。
お日様がある雨上がりってなんだか周りがキラキラしてて好きなんだよね。
あがるのが楽しみだな。
柔らかな雨
暗い絶望の最中にいるときにあらわれると想像する。
一筋の光とはどのようなものなのだろうか。
少しの希望。
希望というものは、気分の多くを占めている暗さを、払拭するほどの力を持っているのだろうか。
希望にはとてつもないパワーを感じる。
たとえわずかなものでも、元気を貰えるのだろうな。
一筋の光よ、悩める我らを救ってくれ。
一筋の光
哀愁をそそる
私は哀愁のあるベンチが好きだ。
人によっては、はてなマークが浮かぶと思う。
例えば、公園にあるベンチ。
冬になりかけつつあるときに、
はらはらと落ちている枯葉とともにポツンとある姿。
年季が入っていて錆びてもきている、背もたれ付きの黄土色のベンチ。
人が座っていないそのようなベンチは、なんとも哀愁をそそる。
静かに佇む姿は、いじらしくもある。
秋が終わろうとしている、今ある枯葉もベンチの周りからなくなるであろうしっとりとした冬を想像する。
そうして、私は哀愁を感じるのだ。
最近日課にしている事がある。
布団に入る前、その日の感謝したことをノートに10個書くという日課だ。
これは、眠る前のウトウトした時に気分を上げるのに役立つ。
書いたことを反芻し、嬉しい気持ちに浸る。
眠る前に暖かい気分に浸る。
そしてその気分のまま眠りにつくのが理想だ。
永遠に生きることなどできない人間。
偉人と呼ばれる人は、永遠に近い存在なのではないか、と考える。
人々がその人物の偉業を伝え続けることにより、その名は永遠に残るのではないか。
人々が伝えるのをやめたら、その名を知る人がいなくなったら、永遠ではなくなる。
そう考えると、共有し続けられる
「知識」というのは永遠に近いのかもしれない。人がいる限り。
しかし、途方もない長い歳月であろう永遠に続くことなどやっぱり私はわからない。