今日にさよならを言う。
そう決めてからおやすみと同時に、今日という日にありがとうを付け加える事にした。
今日もありがとう。さようなら。また明日ね。おやすみなさい。
それは誰に向けた言葉でもない。自分に向けているというわけでも無い。今日という日そのものに向けた言葉。概念に向けていると言うのが正しいだろうか。
先日仲間内の飲み会があった。
コロナ禍明けで久しぶりに集まった友人達との飲み会は大いに盛り上がり、年甲斐もなく日付を超えて朝まで飲み明かしてしまった。
酒がほんのり残る状態で寄ったラーメン屋で、シメとも朝食ともとれる濃厚な味噌ラーメンを啜り、腹を満たしてから別れた。
始発に乗って最寄駅までの帰り道。程良い揺れと暖かさ。楽しかったという余韻に浸りながら、自然と瞼が重くなる。
うつらうつらとしながら気付けばそのまま眠ってしまい、目が覚めたのは最寄り駅到着直前。
慌てて目を覚まして荷物を確認し、開いたドアから出ると、吹いた冷たい風に身を震わせる。思わず「今日は寒いな」という言葉が口から出ていた。
改札を抜け外に出てふと気付いた事がある。私は既に今日を今日と認識している。いつの間にか今日は昨日になっていた。まだ、今日にさよならを済ませていなかったのに。
先の飲み会。ラーメンを食べていたあの頃はまだ今日で、昨日では無かった。電車に乗って揺られて…それでもまだ今日という1日を噛み締めていて、今居る今日は明日にあったはずなのに。いつから私は″今日″を″昨日″と認識してしまったのか。
家までの道のりを歩きながら思考を巡らせる。いつどのタイミングで今日が昨日に変わったのか。
考えられるのは寝てしまったあの瞬間。
電車の中で、うとうととしていた時。「今日は楽しかった」と確かに感じた。今日が終わりであるかのように、締めくくりをしていたのだ。今日を締めくくり明日を迎える準備があの瞬間に生まれていたのだ。
そして思う。では、あの時私が眠らなければまだ昨日は今日のままだったのではないか。
どうだろうと、考えた。確かにそれはそうなのかもしれない。眠らずに、あのまま電車の中で友人達との会話を思い出し、その日を振り返っているだけだったらきっとまだ今居る今日は明日のままで、昨日という過去の存在になってしまったものと同じ認識下にあった筈だ。
では、その場合今日が昨日になる瞬間は何処だろうか。やはり家に着き布団に入る瞬間だろうか。この時間だがこの後特に予定もない。布団に入ってとりあえず寝ようと思っていた。
電車の中で眠らなければ、私は布団に入るその瞬間に今日という日を終え、いつものように今日にさよならと明日に向けての準備をしていただろう。
そう思うと、なんだか昨日に申し訳ない事をしたような気がした。昨日にはさようならもありがとうも言えていない。眠気という不可抗力とはいえ、なんだかしっかりとお別れを告げたかったと思う。
考えを巡らせているうちに家へと着き、扉を開けて部屋に入る。荷物を置いた途端に身体がどっと重たくなった。
まだ酒の残る身体。家に着いたという安心感からか、眠気が一気に襲ってきた。
一先ず手洗いうがいだけを済ませ、服を脱ぎ捨て布団へと急ぐ。寝巻きに着替える気力もないが、流石に下着一枚というのも寒い。落ちそうな瞼をなんとかこじ開け着替えて布団へと潜った。
今寝て起きたら明日だろうか。その明日は今日にとっての明日なのか、昨日から見た明日なのか。
答えが気になる所だが、思考するよりも眠気が勝っている。
遠くなる意識の中で私は呟いた。昨日になってしまった今日にさよなら。共に過ごしてくれてありがとう。そして……おやすみなさい……。
#今日にさよなら
20年前のバレンタイン
当時好きだった女の子に意を決して告白した。
ずっと私の片想い。想いが通じるなんて思っていなかった。
相手は女の子で、私も女の子で、恋と友愛を勘違いしてたのかもしれない。
それでもその時はその子の事が一番好きで、その子の事しか考えられなかった。
相手の子は驚いた顔をしてから、嬉しそうに笑って、私の差し出したチョコレートを受け取ろうとし、手を止めた。
「やっぱり受け取れない」
あぁ。フラれたのだと。そう悟った。
少し俯いてから、真っ直ぐ私を見るその目は真剣そのものだった。
冷やかしとか、そういうのではない。だけど、貴方の好意は受け取れないという強い拒否。
「待ってて。これはまだ受け取れない。だから、もう少し……いや、少しじゃ済まないけど………大人になったら、必ず受け取るから。受け取れるようにするから。だから待ってて」
その子はそう言っていた。けれど、当時の私はそれがチョコを受け取れない、気持ちを受け取れない言い訳にしか思えなくて、友達の関係も今全て終わった思ってしまったのだ。
初恋のバレンタイン。苦い思い出。
そんな彼女に、今日メールを送った。
あれから疎遠にはなったものの、それでもたまに連絡を取り合う位の仲ではある。
年に数回の近況報告だけの関係。友人と呼ぶには少し心許ないかもしれないが、長い付き合いの私にとっては特別な相手だ。
そんな特別な相手に、私は今日御礼を伝えたいと思った。
***
20年前の今日。当時好きだった女の子からチョコレートを渡された。
内心では飛び上がる程に嬉しくて、にやける顔を必死に取り繕うのがやっとだった。
今すぐ受け取って、飛び付いて、抱きしめたかった。大好きな大好きな友人で、私にとっては最愛で。友情なんてものじゃない、もっと、それ以上の事を考えてしまうような、本当に恋をしていた相手からのバレンタインというものは、嬉しくて舞い上がってしまう程喜ばしいものだった。
ピンク色の包装紙でラッピングされ、不器用ながらに付けたリボンが愛らしくて、彼女の素直さが全面に出たそれは中身を見ずとも私の為に作ってくれたものだというのがわかったから。
だからこそ、中途半端な気持ちでは受け取れないと思ってしまった。私の中の真面目で芯の強い私が。
子供のバレンタインなのだ。相手は恋愛と友愛を勘違いしているだけかもしれないのに。ただチョコレートを受け取って「ありがとう」と言えば良いだけだったのに。
「待ってて」
口から溢れたのは、ありがとうでも、大好きでもなく。待っててという言葉。
あの時の彼女の悲しそうな顔は今でも忘れられない。
あの時、私が受け取っていれば何か変わっていたのだろうか。
そんな彼女から、今日入籍したという知らせが届いた。
『バレンタインに入籍しました。お相手は同じ大学で出会った2つ上の女性です』
そう書かれたメールに目を通す。
続けて『○○が制度を変えてくれたお陰で、こうして入籍できた事、本当に感謝しています。ありがとう』と。
私はあの日誓った。彼女とこの先付き合っていくのなら、共に歩んでいくのにはこの世の中は辛過ぎると。周りから白い目で見られることはわかっていたし、それを彼女に向けられると思うと耐えられなかった。
気づいた時には同性が好きだった。だから当時そこまで考えていたのも不思議じゃないが、今思えば初恋の相手に一生待たせようなんてなんとも偉そうだ。現に置いてかれているのが私だ。
それでも私が議員になり、あちこち駆け巡った結果、彼女に幸せが訪れたというのなら。彼女が胸を張って幸せを噛み締められる事が出来たのなら良かった。
例えあの時の想いが私に向いていないとしても、待たせただけの価値はあったというものだ。
***
バレンタインの入籍。
偶然か必然か。丁度良い日がここしか無かったというのが本音だが、相手と話し合って決めたのがこの日だった。
20年前のあの日、貴方にチョコを受け取って貰えていたら、私の横に今居るのはあの子だったかもしれない。
今になってはわからない。あの時受け取って貰えていたら、こうして入籍する事は出来なかったかもしれないから。
待っていてあげられなくてごめんなさい。私の為にありがとうという自惚れ位は許されるだろうか。
何にしろ、貴方のおかげで私は幸せになります。
苦い想い出は幸せの味に変わりました。
貴方にも幸在らん事を。
#待ってて
何を書いても良い
とあるので書きたい。
ブランコって良いですよね。
幼少期、ブランコは人気の遊び場だった。
子供達にとってブランコは特別で、保育園でも小学校でも、休み時間には行列が出来ていた。
前後に揺らして、何処まで高く漕げるかをやったり
立ち漕ぎで靴飛ばしをしてみたり
エビ乗りという、2人乗りで遊ぶのも流行ってた。
エビ乗りでは立ち漕ぎの子の方が技を掛けてくれるんだけど
上手な子が居て、人気だったな。
大人になると遠ざかるブランコ
だけど、大人だって乗りたい時はあって
憧れというのか
住宅街の一角にある公園で
夜にお酒を1人飲むのなんか、哀愁漂うのもやってみたい
友達とブランコに座ってダベるだけの懐かしい時間や
恋人に背中を押して貰うなんて行為もやってみたい。
大人は大人で
子供時代とは違ったブランコの遊び方が
付き合い方があって
それもきっと楽しい。
最近公園自体が減ってきて
危ないからとブランコは取り外されているなんて事もある
時代の変化には逆らえないのだろうが
寂しさを感じてしまうのは私だけではないだろう。
大人になって分かったのは
幼少期の様に純粋な気持ちでブランコを楽しめないという事
これは年齢には逆らえないという話。
昔あんなに好きで、並んでまで乗っていたブランコが
今は乗りたくても乗られない
手の届かない存在になっている。
これはそもそもブランコが少ないという話ではない。
もちろんそれもあるのだが、個人的な問題
共感してくれる者は居るだろうか。
私はブランコが好きだ
とても好きだが、私の身体までそれが好きとは限らない
大人になり久しぶりに乗ったブランコは
いつの間にか楽しい遊具から地獄の遊具に変わってしまった
いや、変わったのは私だ
ブランコ
それは前後の揺れを楽しむもの
どれだけ高さを出せるかの自己の限界を確かめるもの
そして大人にとってそれは
三半規管を狂わせる存在なのだ。
詰まる所ブランコ酔いだ。
大人になってもわかったことは
フィクションで見る大人達とブランコの関係性
あれがフィクションである本当の部分は
あんな関係の友人や恋人が居ない事でも
1人黄昏ながら酒を飲む為の公園がない事でもなく
そもそもブランコに乗る事ができないという所にあったのだ
その事実に愕然としながら
楽しそうにブランコに乗る子供の姿を今日も眺めた。
純粋な笑顔での「一緒に乗ろう!」が
今では悪魔の囁きに変わってしまった。
#ブランコ
タイムマシンがあったら
未来を知りたいか
過去を変えたいか
私は変えたい過去が沢山あるけど
やっぱり変えないと思う
だって変えてしまったら
現在が変わってしまうから
過去を変えた所で
心に負った傷は消えなくて
事実が変わっても
私の身に起きた事実は消えない
辛い経験があった
嫌な事があった
変えたい過去がある
消したい過去もある
けれど全部が私を形作る要素で
全部が現在の私の未来に繋がっている
だからきっと過去を変える事はないだろう
そして未来を見にいく事もしない
知らないからこそ楽しいから
それはそれとして
過去の事実を
この目で確かめたい気持ちはあるね
昔行ってた駄菓子屋さんの屋根の色を確認したいとか
初恋のお兄さんの顔を拝みたいとか
そんな記憶の端の疑問も
ピラミッドがどうやって作られたのか
ケネディ暗殺の犯人は誰なのか
UFOがアメリカに来ていたという話は本当か
なんていうオカルトチックなミステリーも
どれも現在では確かめようが無い過去で
変えたい過去を変えられる訳もなく
どれも出来たら良いなのお話で
その妄想を楽しいと思えるかどうかの話
私はこんな大層な事を言ってみても
やっぱり変えられるなら変えたい過去が沢山あって
変えられるならを考える度に
辛かった過去を思い出しては苦しくなる
本当にこの手にタイムマシンが手に入ったら
私は過去を変えてしまうかもしれない
それが現在を変える大きな事柄だったとしても
自分の運命が全く違うものになるのだとしても
それで私は救えなかった私を救えるかもしれないから
縋るものがそれしか無いのだから
#タイムマシーン
君に会いたくて走らせた自転車
君に会いたくて終わらせた宿題
君に会いたくて済ませた片付け
君に会うために家の手伝いをして
君に会つために兄弟の面倒を見て
君に会うためにおつかいに行った
君にとっての僕の存在なんてちっぽけで
君にとっての僕はたまの遊び相手で
君にとっての僕はよく来る子供で
それでも僕は君に会う為に頑張れた
君に会いたかったから
君と遊びたかったから
君と触れ合うのが
僕にとっては何よりも楽しみだった
学校で嫌なことがあった時慰めてくれた事も
友達とケンカしても仲直りが出来たのも
君のおかげ
君が居たから僕は頑張れた事沢山あるんだ
君は大袈裟だって思うかな
だけど僕にとっての君は
それくらい大きな存在だったんだ
最近の君はすっかり寝たきりになってしまって
それでも僕が遊びに行くと嬉しそうに笑ってくれた
それが嬉しくて堪らなく悲しくて
そんな君の姿を見るのが辛くて
段々足が遠のいてしまったよ
君の容体が急変したと聞いて
駆け付けた最期のあの日
それでも君は僕を見て嬉しそうに
笑ったような気がしたんだ
僕が君にかけた
「もう、大丈夫だよ。今までありがとう」
という言葉を聞いてか
そのまま眠りについた君を
僕はちゃんと笑顔で見送れたかな
ありがとう
僕は君に会えて幸せだったよ
僕は君に会えて楽しかったよ
君に会うために自転車で走ったあの道を
僕は泣きながら帰ったあの日を
これからも忘れない
今までありがとう
さようなら
僕が君に会うのはまだまだ先だけど
君にもう一度会いたいから
僕にその時が来たら
橋の袂で待っていて欲しいな
その時はもうヨボヨボで走れないかもしれないや
君は僕の事わかんなくなってないと良いな
わからなくならない様に
空の上から眺めていてくれよ
僕の大好きな友達
僕がもう一度君に会いに行く
その時まで
もう一度会えたその時は
また一緒に散歩へ行こう
#君に会いたくて