徒然

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1/30/2025, 10:05:13 AM

 結城陽毬と陽景は正反対の双子だった。
 人懐っこく誰にでも好かれ友達の多い陽毬と、人見知りで無口いつも本ばかり読む陽景。名が体を表していると揶揄するものも居る程に。
 事実陽毬は陽だまりの様に温かく朗らかな一方、陽景は冷たく暗い印象を与えた。
 陽毬は成長と共に交友関係が広がっていった。それは通っている学校の学生に留まらず、他校の生徒や保護者にまで。皆が陽毬を頼りにし、皆が陽毬に寄っていった。温かく優しい気持ちになれるから、明るくて眩しくてその光の下に居たいと思ったから。
 反対に陽景の交友関係は広く無かった。同級生や後輩に知り合いは居るものの、特別仲の良い友人はごく僅か。相変わらずクールに我が道を行き、誰も近付こうとはしなかった。教室の片隅で1人本を読み、ふらっと何処かへ消えている。ミステリアスといえば聞こえは良いが、一部では不気味だと囁かれていた。それでも陽景は変わらなかった。
 ある時陽毬は失態を犯した。決して特別な事ではない、誰もが犯すような失敗だった。けれど、陽毬にとってそれは大きな問題で、周りの人間は陽毬に失望した。あんなに輝いていた太陽が海の向こうへと沈んだ瞬間だった。
 日景はそれでも1人だった。

 そんなある日の事だった。誰も寄らなくなった、光を失った陽毬が陽景の所へと来た。片割れである陽景の所へ、自ら歩み寄っていった。それまで見向きもしなかったのに。

「ねぇ、陽景。もう一度私を照らして頂戴。」

 陽毬が言った。

「私は貴方が居なくてはいけないのよ。貴方が居るから私が輝けるの。陰がなくては陽だまりとは呼べない。私をまた明るい太陽の光にして頂戴。」

 陽景は読んでいた本を閉じて陽毬の方を向いた。笑ってはいないが怒ってもいない。無表情なのに冷たくて、けれど不思議と安らぎを与える表情だった。

「何をそんなに焦っているの?陽だまりにずっと居ては人は疲れてしまう。たまには日陰でゆっくり休む事も必要なのよ。」

 陽景が言った。
 
「でも休んでしまっては、人は陽だまりを忘れてしまう。私が照らさなければ、私が温かく無ければ、人は私を求めなくなるわ。だからお願い、陽景。私を照らして。今までの様に私のの影になって頂戴。」

 陽毬は声を震わせながら陽景に縋りついた。
 陽景はそんな陽毬の頭を撫でてこう言った。

「貴方は疲れているのよ。大丈夫、誰も貴方を忘れたりしないわ。少し日陰で休めば良い。人は陽射しを浴びるだけでは生きていけないの。たまには陽景で一息つく事も必要なのよ。そして、しっかり身体を休めれば、また陽射しの下へと向かうのだから。」

 陽景は優しく陽毬の頭を撫でながら、冷たくも心地良い声で言う。
 
「本当に?本当にまた、戻って来るかしら。」

 陽毬はまだ不安そうに訊ねる。

「大丈夫よ。大丈夫。だから今はお休み。ゆっくり休めば、また温かい陽だまりになれるのだから。」

 陽景はそう言って陽毬の目が閉じるまで優しく頭を撫でた。
 太陽が眠りにつき、陰はクスクスと笑いだす。

「最後に全てを呑み込むのは陰だというのに。陽は落ちた。そう、陽は……堕ちた。」

 結城陽毬と陽景は正反対の双子だ。けれど本当は似たもの同士の双子。正反対に見えてとってもよく似た双子だった。
 声も顔もよく似ている。柄の好みは一緒なのに、色の好みは正反対。よく似ていて全く合わない双子の少女。
 少女はある日自分が目立ちたいと陰を蔑ろにした。自分が輝けば、陰など全てかき消せると信じて。
 少女はある日気が付いた。片割れが自分を掻き消そうとしている事に。けれど知っていた。光が輝く為には陰が必要だという事を。陰が無ければ光が光であるかもわからないと。
 だから少女は待っていた。いつかその日が来る時を。太陽は必ず沈むもの。最後に訪れる真の闇を日陰として、彼女の影として待ち続けた。
 彼女は勝利した。さて、陰に呑まれた太陽が再び輝く日は来るのだろうか。
 
 
#日陰

1/26/2025, 5:33:17 PM

「わぁ!」という単語だけで、これは嬉しい事、喜ばしい事、プラスな驚きである事が感じ取れる。
単純なびっくりなら、同じ「わぁ」という単語でも「わぁ!?」になるし、使うとしたら「うわぁ!」が多いのではないだろうか。

プラスな驚きを表す「わぁ!」という単語に″う″という一文字を足すだけで何となくマイナスなイメージの驚きに変わる。
「うわぁ!」では目の前にある物に対する予想外さ、自分の身に起きた危険に対するもの、そんな想像がつく。

これは普段から目にする表現での使い方の問題なのだろう。誰が「わぁ!」を喜びとして扱い「うわぁ」を驚きとして扱ったかはわからない。けれど、それも共通認識というものだ。

この国、この世界に溢れている表現の当たり前を誰かが始めて誰かが作った。
それを考えるのも面白いと思う。

最近いつ「わぁ!」と思えるような物語に出会えただろう。ネットが普及し、スマホの画面ばかり見る様になってしまったこの頃だが、私も新しい喜びと驚きの混じる物語の世界を求めて、嬉しいプラスな「わぁ!」と驚ける物語を探す、そんな旅に出るのも悪くないかもしれない。

そう。少しばかり、この手に持った小さなデジタル端末を置いてみる所から始めよう。
それはきっとページを捲る物語だけじゃない。普段何気なく見逃している風景に、足元に、頭上に、自分の日常の物語にもあるはずだから。


#わぁ!

1/4/2025, 6:45:02 PM

「幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく、大切な人に降りかかった雨に傘を差せる事だ」

 これはbacknumberの瞬きに出てくるサビの部分の言葉。
 
 「貴方にとって幸せとはなんですか?」

 胡散臭い講習会の講師にそう問われた時、真っ先に頭に浮かんだのがこのフレーズだった。
 友達に言われるがまま連れてこられた「幸せを見つける方法」などという胡散臭い講習会。最近話題の山中真也とかいう心理分析学者だか、癒しのスペシャリストだか、そんな肩書きが付いている人間の講習会のチケットが当たったから付いてきて欲しいと頼み込まれ、全く興味が無いその公演を俺は酒を奢るという言葉に釣られ付いてきた。案の定俺にとってはつまらない話で、中身を信じる気にはなれない。
 流石は人気の心理学者。講演会で飯を食っているというだけあって話は上手い。正直中身の信憑性はどうかわからないがこれで救われる人間も居るのだろう。
 目の前の講師は長々と似たような事を繰り返し、どっかで聞いたような幸福論を口にする。自分の自己肯定感を上げるには〜メンタルを回復する為に必要なのは〜まずは自分を大事にして〜……。
 そもそも本気で病んで居る人間はこんな所に来られないし、口八丁の幸福論の実績でメンタルが回復し幸せになれるのならみんな実践している。そうはならないから世の中には不幸を嘆く人が溢れていて、こういった講習会に人が集まるんだろう。

「私にとっての幸せは……家族と過ごす事です。」「私は、本を読む瞬間が幸せです。」

 目の前の講師に当てられた人間が己の幸せな瞬間を口にする。自分にとって何が幸せかをまず考えようという事らしい。

「では、何故その事柄が幸せなのか。何をもって幸せと感じるのか……それを考えてみましょう。」

 何をもって幸せかなんて、難しい事を聞くな。心理学的に幸せをどう解釈するかという話だろうか。そもそも幸せとは何かという問いを考える事自体が心理学ではなく、哲学ではないのか。
 心理学も哲学も俺はよく知らない。隣で俺を連れてきた友達は真剣に悩んでいるようだ。まぁ、こんな機会でもないと幸せとは何かなんて事真面目に考える事も無いだろうなとも思う。
 さっきのbacknumberの歌詞を思い出しながら、幸せとは何かを俺なりに考えてみたが正直よくわからない。俺は今この瞬間が幸せだとは思わないし、日々幸せを感じる瞬間を思い出そうとしてもこれといって浮かばないからだ。
 瞬きの歌詞は特別な毎日が来るような事を幸せと指すのではなく、大事な人を大事に出来るような普遍的なものを幸せと定義している、と言ったところだろうか。
 俺は国語が苦手だから、作者の気持ちを考えろみたいなのはよくわからない。だからこの歌詞を書いた人が本当はどんな気持ちでどんな想いを込めたのかなんて知る由もないが、歌詞というのは教科書の文章と違い勝手に解釈したって許される。そういうものだ。
 そう考えると幸せも同じなのかもしれない。それぞれにとっての幸せがあり、それを定義するのもそれぞれ個人によるもの。
 そもそも幸せとは何かなんて問い自体答えの無いものではないのか。

「えぇ、良いですね。なるほど、そういう考え方もありますね。」

 俺がぼーっと考え事をしている間に話が進んでいた。参加者の考えた何をもって幸せとするかを聞いている。それで結局講師の口から出たのは「それぞれ考え方が違って良いのです」だった。
 結局そうなるのか。くだらない講習なだなと思う俺とは違い、友人は横で目を輝かせている。これも幸せの形の一つなんだろう。幸せを探す為の講習で新たな発見をする幸せ、自分の探している道を見つける幸せ。俺には無いがコイツにはある幸せ。この会場に来ている人間の殆どがこの講習会で幸せを感じるのだろう。
 
 俺にとってはくだらない時間となった講習会が終わり、約束通り俺は友人の奢りで居酒屋に入る。
 お通しをつまんでいる間に運ばれてきたジョッキを手に持ち乾杯する。俺にはつまらない講習だったが、それを乗り越え友人と乾杯をしビールを口にするこの瞬間は幸せな時間と言っても良いかもしれない。

「貴方にとっての幸せとはなんですか?」

 あの時俺は答えを持ち合わせていなかった。毎日幸せを感じる瞬間をすぐには思い出せなかったから。
 俺にとっての幸せも特別な瞬間ではないようだ。かといって大切な人を大切に出来る当たり前がそこにあるというのも違う。では、俺にとっての幸せはなんだろうか。別に酒を飲む瞬間という訳ではない。俺にとって酒はそこまで重要なものでは無いから。多分俺にとっての幸せは、たとえ退屈な日々でも、友人と語り合い会話が出来る事。休日に予定を埋めてくれる相手が居る事じゃないだろうか。
 友人の誘いだからあんな興味もない胡散臭い講習会に行ったんだ。確かに奢りに釣られたというのもあるが、それだけじゃないと自分では思っている。
 これ自体が特別な事ではない。かと言って普遍的で永久に続くとは限らない。だけど、今この瞬間当たり前に来る毎日こそが、俺にとっての幸せなんだと思う。
 こんな事を考えてしまうなんて、大概俺も絆されやすい人間かもしれないな。


#幸せとは

1/2/2025, 4:20:48 PM

いつもは創作を書くけれど、今回はテーマがテーマなので決意表明の意味を込めて、徒然としての今年の抱負を書こうと思う。

毎年なんとなく過ごして、なんとなくやりたい事を決めておきながら、特にそれに向かって努力する訳でもなく一年が終わってしまっている。
今年こそは!を繰り返し、気付けばなぁなぁに年齢だけが大人へと成長してしまった。

そんな私の今年の抱負。
仕事とか家族とかプライベートでの事とか、そんな事を書くつもりはない。
毎年恒例として掲げているのものに「健康でいる」「早寝早起き」があるが、それはそれとして今年も一応は掲げておくつもりだ。

今年の抱負、それは本を出す事。
本を出すというと大それた事のように聞こえるが、要は同人誌を作るというのが目標。
本を作るという行為に憧れはあったものの、金銭面と在庫を抱えるというリスクから避けていたが、昨今時代が進んでくれたお陰で一冊から同人誌が作れる事になった。
自己満足ではある。誰かに届ける為のものじゃ無くて良い。
完結させる、形に残す。今年はそれを目標に一年掛けて良い作品を作りたいと思う。


#今年の抱負

1/1/2025, 7:00:03 AM

日がまた昇る。
嫌な事が沢山あった。でも楽しい事も沢山あった。そんな一年だったと思う。
大晦日、今日も今日とて残業をさせられるブラック企業に文句を言いつつ、終電間近の電車にのる帰り道。
街中は賑やかに煌めき、沢山の人々が行き交っている。皆楽しそうに言葉を交わしながら、赤くした頬から白い息が漏れる。アルコールの匂いを漂わせている彼らの関係は友達か同僚か、或いは恋人だろうか。家族団欒の人間はもうこんなところに居ないはずだ。どんな関係でも私には関係ないが、何にせよ年の瀬に楽しそうなのは羨ましい。
私は日付が変わるまでに帰れるだろうか。すっかりくたびれた就活スーツにヨレヨレのカバン。靴づれをしなくなったパンプスで、人混みを抜けて駅へと向かう。
楽しそうな人の声や美味しそうな匂いが私を惨めにさせた。
こんな筈じゃなかった。そう思って何年目だろうか。今年も一年この会社でこき使われて終わるのかと思ったら涙が出そうだった。

電車で揺られ3駅。最寄り駅は街灯も少なく住宅街は静寂に包まれている。まるで自分の心の中のようだと思いながら、今日はなんとなく近くのスーパーに寄った。
24時間営業。年の瀬にも同じ様に開けてくれているのはありがたい。この店の人達は仕事をしながら年を越すのかと思うと、家に帰れるだけ私はマシかもしれない。
駅前の小さいスーパー。品数の少ないながらも、すっかり正月色に染められた店内は、餅ばかりが目立っている。他の生鮮やお惣菜はすっかり消え去っていた。これが年末なのか。
幸い明日は休みだ。元旦は会社全体が休業日、明後日からは当たり前に仕事が始まるが、それでも1日休みなだけ良い。

年末だからと、普段は飲まないお酒を手に取った。生ビール缶、年末位は奮発したって許される。こんな時間まで残業したのだから。
残りものとなった惣菜を数点と、柿の種をつまみに買ってスーパーを出た。冷えきった暗闇に白い息が浮かぶ。

遠くの方から除夜の鐘らしき音が聞こえた。ボーン、ボーンと、一定のリズムで鳴っている。そう遠くない所にお寺があった筈だ。あそこの鐘の音だろうか。音が聞こえるということは、そろそろ年が明けるということか。足早に家へ向かった。
家の鍵を開け、着替えもそこそこに買ってきたものをテーブルに広げる。テレビを点けると年越しまであと2分と表示がされていた。
こたつの電源を入れ一息吐く。一人暮らしだが、これは買ってよかった買い物の一つだと思う。
カシュといういい音を立て、少し溢れた泡を啜ってから心の中で乾杯と呟いた。
喉を通る苦味と共に、一年の煩悩を嫌な記憶を全部流し込んだ。

トータルで見たら良い年だったんじゃないだろうか。一年を振り返って様々な記憶が巡る程良い思い出は無い。殆ど仕事詰めの一年だった。
それでも良い年だったと思える程には、楽しんだのだろう。

残り10秒のカウントダウンが始まる。テレビの中の演者達と共に会場が熱を帯びる。
3、2、1………クラッカーの音と共に画面が一気に煌めいた。

ただ日付が変わっただけなのに、いつも通り今日が昨日で明日が今日に変わっただけなのに。なんでこんなにも心が躍ってしまうのだろう。

今年も一年良い年になります様に……今年も晴れやかな気持ちで始められそうだ。そんな事を思いながらビールを啜った。

#良いお年を

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