徒然

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1/4/2025, 6:45:02 PM

「幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく、大切な人に降りかかった雨に傘を差せる事だ」

 これはbacknumberの瞬きに出てくるサビの部分の言葉。
 
 「貴方にとって幸せとはなんですか?」

 胡散臭い講習会の講師にそう問われた時、真っ先に頭に浮かんだのがこのフレーズだった。
 友達に言われるがまま連れてこられた「幸せを見つける方法」などという胡散臭い講習会。最近話題の山中真也とかいう心理分析学者だか、癒しのスペシャリストだか、そんな肩書きが付いている人間の講習会のチケットが当たったから付いてきて欲しいと頼み込まれ、全く興味が無いその公演を俺は酒を奢るという言葉に釣られ付いてきた。案の定俺にとってはつまらない話で、中身を信じる気にはなれない。
 流石は人気の心理学者。講演会で飯を食っているというだけあって話は上手い。正直中身の信憑性はどうかわからないがこれで救われる人間も居るのだろう。
 目の前の講師は長々と似たような事を繰り返し、どっかで聞いたような幸福論を口にする。自分の自己肯定感を上げるには〜メンタルを回復する為に必要なのは〜まずは自分を大事にして〜……。
 そもそも本気で病んで居る人間はこんな所に来られないし、口八丁の幸福論の実績でメンタルが回復し幸せになれるのならみんな実践している。そうはならないから世の中には不幸を嘆く人が溢れていて、こういった講習会に人が集まるんだろう。

「私にとっての幸せは……家族と過ごす事です。」「私は、本を読む瞬間が幸せです。」

 目の前の講師に当てられた人間が己の幸せな瞬間を口にする。自分にとって何が幸せかをまず考えようという事らしい。

「では、何故その事柄が幸せなのか。何をもって幸せと感じるのか……それを考えてみましょう。」

 何をもって幸せかなんて、難しい事を聞くな。心理学的に幸せをどう解釈するかという話だろうか。そもそも幸せとは何かという問いを考える事自体が心理学ではなく、哲学ではないのか。
 心理学も哲学も俺はよく知らない。隣で俺を連れてきた友達は真剣に悩んでいるようだ。まぁ、こんな機会でもないと幸せとは何かなんて事真面目に考える事も無いだろうなとも思う。
 さっきのbacknumberの歌詞を思い出しながら、幸せとは何かを俺なりに考えてみたが正直よくわからない。俺は今この瞬間が幸せだとは思わないし、日々幸せを感じる瞬間を思い出そうとしてもこれといって浮かばないからだ。
 瞬きの歌詞は特別な毎日が来るような事を幸せと指すのではなく、大事な人を大事に出来るような普遍的なものを幸せと定義している、と言ったところだろうか。
 俺は国語が苦手だから、作者の気持ちを考えろみたいなのはよくわからない。だからこの歌詞を書いた人が本当はどんな気持ちでどんな想いを込めたのかなんて知る由もないが、歌詞というのは教科書の文章と違い勝手に解釈したって許される。そういうものだ。
 そう考えると幸せも同じなのかもしれない。それぞれにとっての幸せがあり、それを定義するのもそれぞれ個人によるもの。
 そもそも幸せとは何かなんて問い自体答えの無いものではないのか。

「えぇ、良いですね。なるほど、そういう考え方もありますね。」

 俺がぼーっと考え事をしている間に話が進んでいた。参加者の考えた何をもって幸せとするかを聞いている。それで結局講師の口から出たのは「それぞれ考え方が違って良いのです」だった。
 結局そうなるのか。くだらない講習なだなと思う俺とは違い、友人は横で目を輝かせている。これも幸せの形の一つなんだろう。幸せを探す為の講習で新たな発見をする幸せ、自分の探している道を見つける幸せ。俺には無いがコイツにはある幸せ。この会場に来ている人間の殆どがこの講習会で幸せを感じるのだろう。
 
 俺にとってはくだらない時間となった講習会が終わり、約束通り俺は友人の奢りで居酒屋に入る。
 お通しをつまんでいる間に運ばれてきたジョッキを手に持ち乾杯する。俺にはつまらない講習だったが、それを乗り越え友人と乾杯をしビールを口にするこの瞬間は幸せな時間と言っても良いかもしれない。

「貴方にとっての幸せとはなんですか?」

 あの時俺は答えを持ち合わせていなかった。毎日幸せを感じる瞬間をすぐには思い出せなかったから。
 俺にとっての幸せも特別な瞬間ではないようだ。かといって大切な人を大切に出来る当たり前がそこにあるというのも違う。では、俺にとっての幸せはなんだろうか。別に酒を飲む瞬間という訳ではない。俺にとって酒はそこまで重要なものでは無いから。多分俺にとっての幸せは、たとえ退屈な日々でも、友人と語り合い会話が出来る事。休日に予定を埋めてくれる相手が居る事じゃないだろうか。
 友人の誘いだからあんな興味もない胡散臭い講習会に行ったんだ。確かに奢りに釣られたというのもあるが、それだけじゃないと自分では思っている。
 これ自体が特別な事ではない。かと言って普遍的で永久に続くとは限らない。だけど、今この瞬間当たり前に来る毎日こそが、俺にとっての幸せなんだと思う。
 こんな事を考えてしまうなんて、大概俺も絆されやすい人間かもしれないな。


#幸せとは

1/2/2025, 4:20:48 PM

いつもは創作を書くけれど、今回はテーマがテーマなので決意表明の意味を込めて、徒然としての今年の抱負を書こうと思う。

毎年なんとなく過ごして、なんとなくやりたい事を決めておきながら、特にそれに向かって努力する訳でもなく一年が終わってしまっている。
今年こそは!を繰り返し、気付けばなぁなぁに年齢だけが大人へと成長してしまった。

そんな私の今年の抱負。
仕事とか家族とかプライベートでの事とか、そんな事を書くつもりはない。
毎年恒例として掲げているのものに「健康でいる」「早寝早起き」があるが、それはそれとして今年も一応は掲げておくつもりだ。

今年の抱負、それは本を出す事。
本を出すというと大それた事のように聞こえるが、要は同人誌を作るというのが目標。
本を作るという行為に憧れはあったものの、金銭面と在庫を抱えるというリスクから避けていたが、昨今時代が進んでくれたお陰で一冊から同人誌が作れる事になった。
自己満足ではある。誰かに届ける為のものじゃ無くて良い。
完結させる、形に残す。今年はそれを目標に一年掛けて良い作品を作りたいと思う。


#今年の抱負

1/1/2025, 7:00:03 AM

日がまた昇る。
嫌な事が沢山あった。でも楽しい事も沢山あった。そんな一年だったと思う。
大晦日、今日も今日とて残業をさせられるブラック企業に文句を言いつつ、終電間近の電車にのる帰り道。
街中は賑やかに煌めき、沢山の人々が行き交っている。皆楽しそうに言葉を交わしながら、赤くした頬から白い息が漏れる。アルコールの匂いを漂わせている彼らの関係は友達か同僚か、或いは恋人だろうか。家族団欒の人間はもうこんなところに居ないはずだ。どんな関係でも私には関係ないが、何にせよ年の瀬に楽しそうなのは羨ましい。
私は日付が変わるまでに帰れるだろうか。すっかりくたびれた就活スーツにヨレヨレのカバン。靴づれをしなくなったパンプスで、人混みを抜けて駅へと向かう。
楽しそうな人の声や美味しそうな匂いが私を惨めにさせた。
こんな筈じゃなかった。そう思って何年目だろうか。今年も一年この会社でこき使われて終わるのかと思ったら涙が出そうだった。

電車で揺られ3駅。最寄り駅は街灯も少なく住宅街は静寂に包まれている。まるで自分の心の中のようだと思いながら、今日はなんとなく近くのスーパーに寄った。
24時間営業。年の瀬にも同じ様に開けてくれているのはありがたい。この店の人達は仕事をしながら年を越すのかと思うと、家に帰れるだけ私はマシかもしれない。
駅前の小さいスーパー。品数の少ないながらも、すっかり正月色に染められた店内は、餅ばかりが目立っている。他の生鮮やお惣菜はすっかり消え去っていた。これが年末なのか。
幸い明日は休みだ。元旦は会社全体が休業日、明後日からは当たり前に仕事が始まるが、それでも1日休みなだけ良い。

年末だからと、普段は飲まないお酒を手に取った。生ビール缶、年末位は奮発したって許される。こんな時間まで残業したのだから。
残りものとなった惣菜を数点と、柿の種をつまみに買ってスーパーを出た。冷えきった暗闇に白い息が浮かぶ。

遠くの方から除夜の鐘らしき音が聞こえた。ボーン、ボーンと、一定のリズムで鳴っている。そう遠くない所にお寺があった筈だ。あそこの鐘の音だろうか。音が聞こえるということは、そろそろ年が明けるということか。足早に家へ向かった。
家の鍵を開け、着替えもそこそこに買ってきたものをテーブルに広げる。テレビを点けると年越しまであと2分と表示がされていた。
こたつの電源を入れ一息吐く。一人暮らしだが、これは買ってよかった買い物の一つだと思う。
カシュといういい音を立て、少し溢れた泡を啜ってから心の中で乾杯と呟いた。
喉を通る苦味と共に、一年の煩悩を嫌な記憶を全部流し込んだ。

トータルで見たら良い年だったんじゃないだろうか。一年を振り返って様々な記憶が巡る程良い思い出は無い。殆ど仕事詰めの一年だった。
それでも良い年だったと思える程には、楽しんだのだろう。

残り10秒のカウントダウンが始まる。テレビの中の演者達と共に会場が熱を帯びる。
3、2、1………クラッカーの音と共に画面が一気に煌めいた。

ただ日付が変わっただけなのに、いつも通り今日が昨日で明日が今日に変わっただけなのに。なんでこんなにも心が躍ってしまうのだろう。

今年も一年良い年になります様に……今年も晴れやかな気持ちで始められそうだ。そんな事を思いながらビールを啜った。

#良いお年を

9/30/2024, 5:38:01 PM

良い事があった日はなんとなく「明日も良い気になる日がする」というプラスな思考を持てるのに、悪い事があった日は「明日もダメな気がする」と、マイナスな思考に陥ってしまう。
それが悪い事ではないと僕は思うが、人間どうしてこう後ろ向きに事を考えてしまうのか。
いつでも前向きにプラス思考で居られればどれだけ幸せだろう。今日はとっても良い日だった。きっと明日も良い日になる。そんな考え方が出来たら毎日明るいのではないだろうか。
しかし現実その考え方が出来るほど毎日が明るく幸せな日々ではない。悲しいかな毎日が暗く重たい辛い日々の積み重ねなのだ。
勿論そればっかりではない。楽しい事だってあって嬉しい事も起こり、1日を振り返った時に「良い1日だった」と思える日だってある。
だからこれは僕の体感なのだ。あくまで僕の主観による話。
ただ僕が今日1日を悪い日だったと結論付けているに過ぎないんだ。
本当は楽しい事も嬉しい事もあった筈なのに、それをその日起きた悪い事で掻き消してしまっている。トータルで悪い1日だったと、僕はそう結論付けているが本当にそうなんだろうか。悪い事が起こったのが良い事が起きた時よりも後だったからそう思っているだけではないか?今日起きた良い事は、今日起きた悪い事で掻き消される程のものだっただろうか。

1日を振り返った時。例えば良い事と悪い事との比率が同じだったとして勝つのはどっちだろう。
僕は悪い事、つまりは負の感情が勝つと思う。
恐ろしい事に負の感情というのは密度が大きい。同じ大きさだと思っていても、ずっとずっと大きく重たいものなのだ。
あぁ……なんと恐ろしい。負の感情が、暗闇が、良かった事まで掻き消してしまうなんて。
しかし、だからこそ良い事があった日は格別なのだろう。些細な事でも喜びを感じられるのではないだろうか。
専門的な事が僕にはわからない。わからないがそうなのだとしたら、毎日積み重なる悪い日も悪くないかもしれない。何故なら、それがあるからたまの良い日が更に良いものだと思えるのだ。
そしてきっと、明日も良い日になる筈だ、と。


#きっと明日も

5/28/2024, 5:16:40 PM

 衣替えの時期が来た。今まで来ていた黒い長袖のセーラー服はクローゼットへと仕舞われ、代わりにクリーニングのビニールがかかったままの夏服を取り出す。白いセーラー服。襟は黒で白の2本線。スカーフは冬が白で夏は黒に変わる。モノクロのセーラー服。
 スカートは夏も冬も変わらず同じ。熱いったらありゃしない。黒は日差しを吸収するから余計だ。
 モノクロのセーラー服が私はあまり好きじゃなかった。

 衣替え。学校へ行くと皆白い制服に身を包んでいた。男子はブレザーを脱ぎ、女子は夏物セーラー服に。移行期間だからまだ冬服でも良いのだが、最近暑かったせいか誰も冬服は着ていない。みんな長袖セーラー服。まだ半袖を着ているのはほんの数人だ。暑いからと半袖を着てきたのだが、若干目立って恥ずかしい。
 私は一番後ろの角の席。教室全体が見渡せる席。ここからみんなの後ろ姿を見ると圧巻だ。
 白いセーラー服に黒い襟。髪も黒くてモノクロ。スカートも黒くて間に挟まれた白が良く映える。靴下は黒。上履きは白。まるでオセロみたいだなと、1人で笑ってしまった。
 黒いセーラー服は好きじゃ無い。暑くて、地味で、つまらないから。せめてスカーフが赤とか緑だったらどんなに良かったか。この色が役にたつのなんて、葬式の時位だろう。そんな風に思っていた。
 けれど、黒と白だから。たったの2色しか無いからこそ生まれる発見があるのだと、ふと思ってしまった。
 冬服はほとんど黒でスカーフが白。まるでツキノワグマ……いや、カラスかな。夏服はオセロの様で、白の割合が多いからパンダかもしれない。
 そんな風に考えたら、このモノクロなセーラー服も悪く無いかもしれない。
 半袖から覗く肌の色。テニス部の子は既によく焼けて黒くなっている。これから夏に向けてどんどん黒くなっていくんだろう。去年は日焼け具合を同じ部活の子と比べていた。日差しチャートなんて呼ばれていたな。制服が白いから余計にわかりやすい。
 そう考えたらやはりモノクロなセーラー服も悪く無いかもしれない。
 窓から風が入ってくる。半袖は流石にまだ早かったようだ。ニットベストをバッグから取り出し被り、スカーフをベストの胸元から出す。
 学校で指定のカラーは無い。スカーフが黒いから、ベストやカーディガンの色を選ばないのも利点かもしれない。
 そうだ。案外モノクロのセーラー服も悪く無い。悪く無いな。

 学校が終わり帰路へと着く。今日は駅に用事があるので家とは反対方向へと向かっていた。駅方面へ進むと他校の生徒が増えてくる。何処も今日から衣替えだったのだろう。夏服の生徒で溢れている。
 ふと目に留まった青いセーラー服。あそこの学校の夏服は冬服と色が変わって可愛い。
 あっちのセーラー服の学校は冬服と夏服で色が変わらないが、元々のセーラー服の色が紺色だ。スカーフも赤色で可愛い。
 隣の芝生は青いというが、他所の学校のセーラー服を見てしまうと自分の学校のセーラー服はどうも地味に見えてしまう。
 モノクロのセーラー服。響きは良いが見た目はダサい。やっぱり私はこのセーラー服が好きにはなれなさそうだ。


#半袖

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