【8月31日、午後5時】
8月31日
今日は日曜日だった
今年の8月もこれで終わりだ
月日が流れる早さに驚きつつも
午後5時、いつもより早めに夕飯の用意をする
今日は鶏肉を焼いて
レモンや醤油、みりんで味をつけるという
簡単なおかずを作っていた
あとは朝に飲んだみそ汁の残りと買ってきたポテトサラダ
豪華ではないけれどちょっとおいしい
私はそんなご飯が好きだった
調味料を混ぜたものをフライパンに流し込むと
焼いている途中の鶏肉と一緒になって香ばしい匂いがした
食欲をそそる、いい香りだ
少し前は食欲がなくて気分が悪い時期もあったが
今はむしろ食欲が増して仕方ないくらいだ
夏ということもあって
火を使っていると余計に蒸し暑い
こんな日はすごくビールがおいしいことを
私はとてもよく知っている
鶏肉の両面をこんがりと焼いていたら
ピロピロリン、と明るい音楽が聞こえてくる
炊飯器のご飯が炊けたのだ
ご飯とみそ汁をよそって
鶏肉に黒胡椒を振って
トレーから出したポテトサラダを皿に取り分けて
それをテーブルに持っていったところで
ちょうどヒロくんが日課のジムから帰ってきた
お酒は二人とも飲めないから
ヒロくんがお風呂から上がったあと
すぐにご飯になる
鶏肉おいしいな、とヒロくんが呟く言葉が嬉しくて
私はそれならよかった、と笑う
この人がいなかったら
私は料理なんて一生しなかったかもしれない
ヒロくんは
ご飯、こんなふうに二人で食べるのもあと少しだな、と
私のお腹を見つめながら微笑んだ
私はそっか、そうだね
と答えつつ、今さらながら
二人だけの時間があと少しということに気付く
優しくお腹を撫でながら
自分が三人でご飯を食べている姿を思い浮かべる
数ヶ月後の私たちは
どんなものを食べて
どんなふうに過ごしているだろう
はじめてのことだから怖いし不安だけれど
新しい出会いはとても楽しみだ
そして
来年の夏こそは
大好きなビールを飲もう
【ふたり】
僕は産まれたときからふたりだった
遊んでいても喧嘩しても
ずっとふたりだった
大人に近づくにつれて
ひとりになりたいと思う日が増えていった
だけどそばにいる君は
僕と同じ顔で笑うばかり
一緒に使っている体を揺すって
嬉しそうに笑っている
ちゃんと考えられるのは僕だけだったから
苦しいのも僕だけだったのだ
あるとき
僕たちはあと一年しか生きられないと告げられた
このまま成長すると
二人で使っているこの体が持たないらしい
だけど無理に切り離そうとすれば
必要な骨や臓器まで傷つくため
なにもできないとのことだった
それからというもの
僕は泣いてばかりだった
まだまだやってみたいことがたくさんあった
ひとりになったらやりたいこともいっぱい考えていた
けれど全部叶う前に
僕は君と死んでしまうんだ
辛くて悔しくて仕方なかった
君はやっぱりなにも分かっておらず
僕に優しい笑顔を向けるばかりだった
変わらない笑顔になんだか安心したけれど
それも束の間のことで
僕は君とふたりで地獄に堕ちるような気持ちになっていた
やがて体がうまく動かなくなり
僕は君と寝てばかりの日々を送るようになった
両親や親戚、友人
見舞いにくるみんなに情けない姿を見られた
僕は日に日に自分のことをなにもできなくなっていった
確かな終わりが近づいているのを感じていた
そんな中
笑わなくなった君の笑顔を恋しく思った
僕以上に寝てばかりの君は
安らかな顔をしている
こんなときでさえなんの悩みもなく
こんなときでさえ苦しみを背負うのは僕なんだ
だけど
きっと君は僕のように
ファンタジー小説を楽しみながら読んだり
ニュース番組を観てこの国の将来について考えたり
両親にどんな親孝行ができるか悩んだりできなかっただろう
こんなに一緒にいたのに
いつもふたりだったのに
抱えるものは違っていた
君には
苦しみさえ感じられないという
苦しみがあったのかもしれない
そして
ついにこの世に別れを告げるときが来た
けれど僕の心は穏やかだった
僕たちが横になるベッドの周りをみんなが囲んでいる
みんなは泣いているけれど
僕は怖くも悲しくもなかった
人はみんな死ぬときはひとりだと言うけれど
僕たちはひとりじゃないから
これからもずっとふたりだから
【心の中の風景は】
覗き込めば鏡のように
私の想いを映し出す
そこに見えるは虹のかかる青空
心の中の風景は
自分のものとは思えないほど美しく
澄み切っている
それはきっと
あなたに出会えたから
【夏草】
夏草生い茂る空き地
そこに転がる野球ボール
いつからそこにいたんだ、と
頭の中で語りかけながら拾い上げる
雨が降る日もあれば
泥に塗れた日もあり
強い日差しに晒された日もあっただろう
真っ白だったはずのボールは汚れて汚れて
誰に持ち帰られることもなくここにあった
それを守るようにして生えている夏草は
きっと優しい傘になったり
泥除けになったり
日陰を作ってくれたりした日もあっただろう
日が落ち始めている
物悲しげに蝉が鳴いている
夏が終わろうとしている
僕は握ったボールをなんとはなしに投げた
汚れたボールが一瞬
橙色の日に照らされて輝いた気がした
【ここにある】
君が物心ついたころからずっと探している宝は
どんなことをしても消えない絆
何度も裏切られて失望した君は
その宝を追い求めてきた
僕は何も言わずその姿を一番近くで見ていた
君はたびたび愚痴を聞かせてくれた
分かり合える人に出会うのって難しいね、と
困ったように笑いながら
僕は黙ったまま頷いて
また宝を探しに行く君の背中を見送った
ある日、校舎の裏で泣いている君を見つけた
以前、君が仲のいい友達と
お揃いで買ったというストラップが
なぜだか二つとも君の手の中にあった
片方のストラップは無惨にも千切れていた
僕はなにも言わずに君の隣に座った
君はまたひとつ、
ずっと仲のいい友達だったのに、どうしていつもこうなっちゃうんだろうね
と呟いて、両手に顔を埋めた
僕はやっぱり何も言えなくて、ただそこに座っているだけだった
また一人になっちゃった、と
涙声で言うのが聞こえて
僕はそれは違うと言いたかったけれど
異性ということもあって素直に言えなかった
だけど僕は知っている
君が探していたものは
ここにある