『眠りにつく前に』
私は重い病を患っている。今すぐにどうこうなるというたぐいのものではないが、このままいけば後数年後には身動き一つとることさえ難しくなってしまうようなそんな病気だ。現状有効な治療法は確立されていない。それどころか症例が少なすぎて病気の全体像すらつかめていない状態だ。つまり後数年はもつだろうというのもただの希望的観測に過ぎないのである。とはいえ私は天涯孤独となってしまった身。遠縁の親戚こそいるものの、いなくなってしまっても悲しむ人はいない人間だ。
ある日私の入院している病室に一人の研究者が現れた。彼は昔同じ病気で家族を亡くしたのだという。そしてこれ以上この病気に苦しめられる人が増えないよう、また家族を失って悲しむ人が増えないように有効な治療法の確立を目指してプロジェクトを立ち上げたのだそうだ。
そんな人が私の病室に現れたのは私にコールドスリープを勧めるためとのことだった。当初は私なんかのためではなく、もっと別の人に枠を譲ってほしいと断ったのだが絶対にすべての人を助けてみせるという彼の熱意に根負けし、眠りにつくことを了承した。
眠りにつく日は今から1週間後と決まった。起きたら景色が様変わりしている可能性が高いため、眠りにつく前に良く目に焼き付けておくようにとのことだった。
そこからの数日で私はいろいろな景色を写真にも納めながら見て回った。決して後悔の無いように。次に目が覚めたときにはどうなっているのだろうか。
『鏡の中の自分』
鏡の中の自分に向かって「お前は誰だ」と問いかける。これだけで人は簡単に壊れることができるという噂を聞いた。それを聞いた俺たちは早速試すことにした。どうせ眉唾物の冗談だろうと高を括って。それも大勢でやった方が面白いという理由だけで大勢の奴を巻き込んで。単純なもので「ビビってるのか?」というだけでほぼ全員が参加の意思を示したので集めること自体は簡単だった。
そしていざ実践の日。とりあえずのルールとしては自宅で一人で行って学校で報告するとした。準備を整えて実践してみたところ、得も言われぬ不安感に襲われて鏡から慌てて距離をとってしまった。
学校に着くと教室は大盛り上がりだった。みな一斉に恐怖を感じていたが、一人だけそれを面白く想わない奴がいた。彼は「これからも毎日続けてやるぜ」と宣言していた。
数日後、彼の様子が目に見えておかしくなってきた。よくボーっとしていて、声をかけても反応が遅い、もしくは ないことが増えてきた。それでも彼は「大丈夫大丈夫。」と言って辞めようとはしなかった。さらに数日後彼は学校を休んだ。普段休まないような奴だったのでその日は軽く噂になった。しかし二日が経ち、三日が経っても彼は帰ってこなかった。そしてしばらく経った頃、結局一度も登校してこないまま彼は転校していってしまった。
後から聞いて分かった話だが、あれは三面鏡でやるとすさまじく危険なのだそうだ。そして彼が使っていたのもまた古い三面鏡だったとのことだった。あれからかなりの年月が経ったが彼がどうなったかについては終ぞわからなかった。
『哀愁を誘う』
ドタドタドタ。上の階を小学生が走り回る音が聞こえる。大人ならば多少うるさいと感じることこそあれどさして気にならないほどの音でしかないのだが、我々人間たちよりも圧倒的に優秀な聴覚を有する犬にとってはそういうわけにもいかない。音に反応して飛び起き、逃げようとする。とはいえこれもある程度は時間の経過とともに落ち着いていく。問題は二つ、花火と雷だ。そこらの大型犬ですらその音に驚き恐怖に震えるというのだ。となると小型犬に分類される我が家の子ではなおさらだ。音がすると途端に冷静さを失い家中を走り回る。そして狭いところに何とか身体をねじ込んで入れ、中で床を掘ろうとする。そこから数分経過すると掘り疲れて入り口近くに戻ってくるのだが、その時の表情が非常に哀愁を誘うのだ。絶望しこちらに助けを求めるような表情で見上げ、全身をガタガタと震わせている。そして音が鳴るたびに再び挙動不審に戻ってしまう。ここまでくるともはやかわいそうで見ているのもつらくなる。自然災害はどうにもならないが、せめて花火だけでもなんとかならないかと叶わぬ願いを抱く日々である。
この瞬間が永遠に続けばいいのに
こう思ったことは誰しも人生で1度や2度はあるだろう。それは自分の趣味に没頭することができた時なのかもしれないし、自分の大好きなコンテンツのライブに参加している時かもしれない。少なくとも私は月に1度以上の高頻度でそう思う。
理由は様々だ。純粋に今が1番楽しいと言い切れればもっと良いのかもしれないが、ネガティブな重いからそう思うこともある。
しかし1度としてその願いが届いたことは無い。
とはいえそれで良いのだ、とも思う。
いくら好きなことでも永遠に続けるとなったらいつかは飽きてしまってもう見るのも嫌だという風になってしまうかもしれない。
それだけは嫌だ。好きだったものを嫌いになるというのは相当辛いことだ。そんな機会は少なければ少ないほど良いのだから。
それでも私は今日も思う。この瞬間が永遠に続けばいいのに、と。それが叶うわけがない、そして別に叶わなくても構わないと思いながら。
「我こそは…」
そう名乗りをあげようとする敵将の背後に回り込み、一刀のもとに首を落とす。物言わぬ骸となった彼はその場に崩れ落ちていく。これまでに何千何万と繰り返してきた所作に同じ数だけ目の前で起こった光景だ。何の感慨もなく刃についた血を僅かでも落とせるように振って再び構える。
傍から見れば私の存在は死神というやつなのだろう。そのことについてはあながち間違ってもいないし否定するつもりもない。
ただ私にも私なりの信念があり、それに基づいて行動しているだけだ。
私の夢は誰もが自由に暮らすことができる理想郷をこの世界に作ること。そしてそれを叶えてくださるのが私が主と慕うあの方だ。
この夢を叶えるためには障害があまりにも多すぎる。その代わり同士たちは頼もしい者たちばかりだ。だからこそ私も他の人達に負けじと今日も戦場を渡り歩きその刃を振り下ろす。いつか私たちの理想郷ができるその日まで歩みを止めることは決してない。
もし、あの時選んだ道が右ではなく左だったら?
もし、あの時離れていくあの人を呼び止めていたら?
もし、あの時暴走した力を抑えられなかったら?
もし、あの時…
これはすべて仮定の話。結局は起こらなかったifの話。だが、どれもこれも戯言だと斬って捨てるにはあまりにも現実味を帯びている話だ。
だから私は今日もこうして詠う。歴史にもしはない。だからこそ物語としてのもしは面白い。
本来の歴史から大きく離れた物語はいらない。たった一つパズルのピースが欠けていた時のような、たった一つボタンを掛け違えてしまったような、そんな話を語ろう。
これは起こりえたかもしれないもう一つの物語。
この先に待っているのは史実とほとんど変わらない結末か、それとも大きく変わってしまった結末か。
それは誰にも分からない。
私は今悩みを抱えている。どれだけ考えても決して答えが出ず、まるで暗がりの中で手探りで迷宮を進んでいるかのようだ。きっかけは今年一つ下の後輩に実力が抜きん出た人がいたことだ。普段ならば戦力の増強に繋がるため手放しに喜べばいいことなのだが、今年は少々訳が違う。というのもうちの部の伝統的なルールとして最後の大会には全員がシングルスで出場できるというものがあるからだ。そして与えられる枠はちょうど今の私の代全員分のみ。しかし、大会で勝てば勝つほどポイントが貰え、翌年以降有利になるシステムの都合上、そのままでいる訳にもいかない。何度か部内で話し合いの機会を設けるも話し合いは平行線のまま、まるで進展を見せない。誰か私たちに道を照らす光を与えてはくれないだろうか。そんなことを考えながら今日も話し合いに望む。