記憶の地図。それは成功した今に至るまでの重要な過去の道のりのことだと思う。それは毎日ダラダラと暮らすとそう振り返ることができないものでもある。だからダラダラと暮らしてきた私はそう振り返る事ができない。振り返られる人になるためにも毎日何かしらの努力を今日からしたいと思う。
私はマグカップを持っている。私はそのマグカップには毎日カモミールティーを入れている。そしてそのカモミールティーはいつも勉強の時に飲んでいる。私的にはカモミールティーを飲むと眠くなりにいと感じているため勉強に集中しやすいとも感じている。そのような効果があると感じられるから、毎日カモミールティーとそれを入れてくれるマグカップに感謝している。
これは中学に入ってからすぐの話だ。中学に入る前の私は本やゲームなどのものを愛せず、無趣味であった。無趣味であったため、生活に楽しさを感じられずに生活していた。しかし、このような状況が中学のある授業で一気に変わった。中学校の始めに図書館に行って本を読むという授業があった。私はどの本にも興味がでなかったため本を読まずぼーっとしていた。しかし、先生に[本を読め!]と説教をされたので仕方なく本を読むことにした。私はそこら辺にある本を持ってきて、あきれながら読んだ。始めはあきれながら読んでいたが本の内容が面白すぎため途中から本を集中して読んでいた。私はこの時本の面白さを知り、本と言うものがとても好きになった。好きになったからこそ私は本と言うものを愛せることができ、本のある楽しい生活をを送っている。
これは学校から家に帰った時の話だ。学校から家に帰ろうとした時に雨が降った。私は雨の中を歩いて帰りたくないと思い、ずっと学校に居たいと感じたいた。しかし、車で帰ることはできないく、学校にずっといることもできない。だから私は諦めて傘をさして家に帰ることにした。帰り始めてしばらくすると帰り道にいつも見る花壇が見えた。いつもの花壇とは少し違うように見えたので近づいて花壇をよく見ることにした。近づくと、雨にぬれている花が見えた。いつもとは違う花の姿である。私はその花の姿がきれいだったので感動した。私はその姿を見られたので初めて雨の中帰るのもいいなと感じた。
これは東京に旅行に行った時の話だ。私は夕食を終え、レストランからホテルに帰ろうとしていた。帰る時私は東京の街並みをぼんやり見ながら帰った。東京の街並みを歩き初めたときは街並みに対して何も思わなかったため、私はこのまま何も思うことなくなくぼんやり帰るのだろうと思っていた。しかし、そう思うのはほんの少ない時間だけだった。そうとも知らず私は街並みを歩き続けた。歩き続けると、東京タワーとその周りにある街並みが一緒に溶け込んでいる景色が目に入った。私はその景色に感動した。東京タワーの赤い光とその周りの街並みの光が調和してとてもきれいであった。あまりのきれいさに私は美しいという言葉はこのためにあることを実感した。