明日、もし晴れたら
苦手なコーヒーを淹れてみよう
もし、コーヒーを美味しく飲めたら
朝のニュース番組の星座占いを観てみよう
もし、占いが1位だったら
庭で四つ葉のクローバーを探してみよう
もし、四つ葉のクローバーを見つけたら
いつもと違う道を通って学校に行ってみよう
もし、そこで君に偶然会ってしまったら
君に話しかけよう・・・
それほど、私には勇気がない
そんなに偶然は重ならない
妄想の中でさえ意気地なし
馬鹿なこと考えていないで
もう寝よう
明日の予報は雨
おやすみなさい
・・・
鳥のさえずりで目が覚める
・・・
半分寝惚けたままカーテンを開ける
・・・
・・・
・・・
胸騒ぎを抑えながらコーヒーを淹れる
・・・
しまった!コーヒーが美味しい。
朝の5時、朝霧が晴れて海がすっきりみえる
今日の波は穏やかで、防波堤に打つ波はトロッとしていた
海沿いの緑地公園、小さな丘があり、そこにある東屋で
コンビニのコーヒーを飲むのが私の趣味。毎日ではない。
早起きして時間があるとき、ふとここに来たくなったとき
仕事の前でも休みの日でもここに来て海を眺める。
朝はいつも風が静かで涼しく心地よいので、不意につく溜め息にも幸福が混ざる、きっとここは私のオアシスだ。
私はいつもここで妻のことを考える
彼女は病気ではないが人より物事や言葉を敏感に感じとる性質で不安や緊張に弱く、ここ数年仕事が出来ず人との関わりも避けている。
友人たちとも、つい自分と比較してしまい落ち込むので距離を置いてしまう。
情緒に波があり悪いときは死にたいと嘆き、良いときは散歩に出掛けたり午前中から料理や掃除など家事をする。
そんな妻との暮らしはそれなりに楽しく、私としては充実した生活を送れていると思っている。
しかし、妻のことを想うとどうにかしてやりたいと、彼女の理想の自分や暮らしに近づけてやりたいと悩んでいる。
今まで色々と話し合って試してみたが良い方法は見つからず、このままでも大丈夫だよと言う反面、ずっとこのままなのだろうかと苦悶する。
私は無力。大切な人1人幸せに出来ないなどと焦心する。
妻は私に、一緒に居てくれるだけで私は幸せ者ですと言うが、やはりそれだけでは生きている意味を見いだせてはいないのが見ていて分かる。
時間と共に変わってゆく想いや環境があるなかで、時代には合わせて生きてゆかねば、社会の中で、人の巡る世界で幸せにはなれない。
妻との二人きりの世界で生きたいと私は思う。
そんな私がこの公園に来ると何故か知らぬがこう思う。
きっと妻は、彼女は自分で乗り越えてくれるだろう、すべて思うままに任せてみよう。そう思える。
だから私はここで1人でいたいのだ。
あの澄んだ瞳は忘れない
たとえ映るのが曇り空でも聡明で
暗い影すら透すその瞳には
なにを重ねても無限の光が差している
今までの日々も、血と汗も、忘れえぬ悲劇も
いつまでもその瞳は美しい
今はその瞳は閉じたまま
二度と開かない
私には何も出来はしないだろう
遠い日に見た夢で忘れられないものがある
まだ小さい子供の頃の私、1人公園の砂場にいた
太陽は高く風は無い
息をすれば湿気が喉に張り付くような日
その中で私は蟻たちが巣へと行列を成して帰る姿をただ見つめていた
エサや枝葉を運ぶわけでも無い蟻
それを見る私に表情はない
小さな砂漠みたいだと思った
ふと気付く
私はみていた
蟻を見る私をその隣に立った私が
その時これは夢の中だと知った
知ってから砂漠にオアシスができた気分だ
私は何度か瞬きをしてから蟻たちを眺めた
歪んだ列に見えていたそれは実は間隔は一定で前の蟻の小さな足跡をそのまま次の蟻が外すこと無く踏んでいて規則的だった
彼らにもルールがあり思考や秩序が存在してる
人の社会と同じだと思ったがすぐにその考えは撤回した
蟻には表情がない多分感情もない
ないと言うよりは必要が無い
あるかも知れないがきっと無いと思っている
人はそれが無いと多分生きていけない
蟻のようには生きていけない
ただ人で良かったか蟻が良かったか
時折、蟻が羨ましく思う
大人になるにつれこの夢を見ることは無くなった
けれどいつも思いだし考えている
きっと夢の中の公園の砂場にはまだ蟻がいて私もいる
ただ、次に同じ夢を見たときは
風が吹いている気がする。
手を取り合って進む道は険しくて
幾度となくその手を離そうとした
そのたびにあなたが私の手を強く握りしめて泣くから
辛く苦しいこの道をあなたの手を取り進んでゆく
重荷に感じるときもある、これはなにかの呪縛なのかと想うときもある
私がその手を離しきれないのは何故なのか
2人でいることの意味があるのかなんてことも分からない
ただ、時折想うのは
2人を繋ぐその手が綻ぶたびに私はあなたとの永遠をみる
あなたは微笑む、まるで知ってるかのように私をみつめて夢のように浮かぶ世界を私と手を取り合って進んでいく