夫が病気の宣告を受けてから半年。入退院を繰り返す日々が続いていましたが、今回の入院は長いです。
一人で広い部屋で過ごすのは思っていたより寂しくて人恋しくなるものなのですね。夫が入院してもう気が気でなくて、可哀想で、何もしてあげられないことを嘆いて、メールの返信がないことに憤って、、今まで隣にいて一緒に過ごしてきたことが当たり前すぎて気づかなかったことに今更気づくなんて遅いですよね。
実は今回の入院前には死後のことについても話したくないけど話しました。夫の意思を残る私が必ず引き継ぎたいから。夫の前では泣かないでいたのは我ながらえらいと思いました。一人になると涙がとめどなく溢れてどうしようもなく辛いです。
ずっと隣にいるものだと思っていました。
桜が散るまでは、いえもっと先まで貴方の側でいたいという願いが叶いますように。
貴方を知りたい。
そう思ったのは、いつからだろう。
気づけば、もう目が離せなくなっていた。
まるで稲妻が落ちたように、一瞬で心を奪われた。
そこから先は、底無し沼。
逃れようとしても、貴方に惹かれてしまう。
どんな仕草も、どんな言葉も、変わらない貴方という存在に――乾杯。
貴方の放つすべてが、私をくらくらさせる。
お願い、どこまでも連れて行って。
貴方の世界の、もっと奥へ。
「大人になっても大親友でいようね!!」
幼い頃に送り合った手紙に必ず書いてあった言葉。
何度も伝え合って、私たちの絆は切れないという絶対的自信があった。
今思えば何も考えずに口から出た言葉だった。私たちは幼かったから、言葉に責任を持てなかったのだ。
ゆえに幼い頃の約束は互いに守られることがなかった。時が経つにつれいつの間にか関わることがなくなり、絆はあっという間に自然消滅した。
成人式でも、同窓会でも会うことはなく、もう今度会えたとしても他人からかなと思う。
それでも幼い頃交わした約束を忘れることは出来ない。
今頃あの子たちは何してるのかな、元気でいてくれたらいいな、幸せであったらいいなと時折思いを馳せている。あの頃の大親友とまた笑える日が来たらいいのに。
私にとってのギャンブルはお菓子やファストフード。
今日もお金がないのに、誰も訪れない部屋に不相応な量の出前を頼む。
それだけでは飽き足らず、近くのコンビニに向かい大量のお菓子を買い込む。
食べたいものを選んでいるんじゃない、食べたくないのに寂しさを満たすためだけに、買い込んで、溜め込んで、かき込んで、また、買い込んでかき込んで。
自分の健康を賭けて、寂しさを満たせるか試している。
こんなこと辞めてしまいたいのに。
たまには健康な生活をしたい。たまに、じゃなくてほんとはずっと健康的でありたいよ…
周りにもいくらかこのギャンブルにのめり込んでいる人はいる。しかし皆はこの行為を私みたいにギャンブルだとは思っていないかもしれない。皆も心の寂しさを紛らわしたいのかな。
とりあえず私の心が寂しいのです。
自業自得の死が先か、寂しさを他で満たせるようになるのが先か、、
今日も鈍行列車に乗って変わらない景色を眺めている。
僕みたいだなあ、っていつも思う。
季節や天気で多少みせる色彩は変わるけど、本来の姿はいつまでも変わらない。
僕だって多少の気分の移ろいはあるけれど、自身の軸は変わらないままだ。
僕が急行に乗ることはないだろう。
のろのろと進んでいても、いつかは目的地に辿り着くはずだから。