いちいち、自分は何のために生きてるんだろう、って、考えたことはある?
生まれたての赤ちゃんだったあなたは、生きる意味なんて考えてなかったでしょう?
親を悲しませないため、結婚してパートナーと幸せになるため、子どもを育て抜くため、仕事の欠員にならないため、全部後付けでできた生きる意味。
生きるために意味なんて必要ないんだよ。
生きる意味を探すためにもがくのは、とても惨めだと思わない?
そんな意味も分からないまま生まれてきた赤ちゃんは、毎日理由もなく必死に生きている。
そっちの方がよっぽど輝かしく見えない?
生きる意味を見つけるのは自由だけれども、それにすがって生きなきゃという義務感は疲れるものだ。
たまには生まれたての赤ちゃんのように、意味など分からず考えず勝手に生きて息苦しさから脱してみよう。
【生きる意味】
光を当てると影ができるように、善きことの後ろには悪しきものがある。
例えば仕事中、とある人が仕事が遅く、周りから目をつけられたとしよう。
その人が更に遅れをとらぬよう仕事を円滑に回るようにサポートをする、という善きことをしたとする。
確かに仕事は回るだろうが、その人の成長を妨げる悪しきことをしたとは思えないだろうか。
例えばネットの世界、人気チャンネルの投稿再生の数字を伸ばそうと、自分の複数端末で再生数を伸ばす、という善きことをしたとする。
確かに数字は延びただろうが、色んな人がみた訳ではないという裏事情を知ったら、嬉しさ半減の悪しきことではなかろうか。
ばれなければ、善きことは善きこと。偽善と呼ばれるものも含まれるが、善である。
それが何らかの妨げになったり、偽善とばれてしまったら、あっという間に悪しきことにもなるであろうが。
あなたの善悪は、きちんとつけれていますか?
それは本当に善ですか?
【善悪】
俺は吸血鬼である。
皆様ご存知、日の光を浴びることができない。
浴びてしまったら最期。そう、最期なのである。
俺は昔からの言いつけを守って、陽の出ている時は外にはでない。窓際にも近づかないようにしている。
でも、俺にも子ども時代があった訳で。友達もいた。
子どもの時は好奇心旺盛で、できないこともやってみたくなるお年頃。
ある日、友と陽が傾く前に遊んでいた。
春風がカーテンを翻し、陽の光が友にあたった。
あたって消えた。シャボン玉の歌のように。
時は経ち、大人になり、たまにあの時窓際にいたらと考える。
俺の時間は夜。
夜空を見ていると、時たま流れ星が通過する。
人間達は流れ星に願いをすると叶うというジンクスがあるらしい。
もしも吸血鬼でも叶えてくれるなら……
一瞬キラリと光横切る流れ星に、俺は願い事を唱えてみた。
【流れ星に願いを】
※【沈む夕日】の続編
赤信号の時は止まりなさい、生き物は殺してはいけません。
そんなルールは当たり前、小さい頃から教わってきた。
人を叩いてはいけません、弱いものには優しくしましょう。
親や先生に耳にタコができるくらい聞かされていた。
ルールを守らなければいけないのは分かっている、そのルールや思いやりがなければ、あっという間に世界が混沌としてしまうから。
でもさ、この目の前にいる猫。
赤信号なのに道路のど真ん中歩いているし、鳥を捕らえて見せびらかしてくる。
人間世界のルールを意図も容易く犯す。
人間や他の動物にも猫パンチしてくるし、弱い者だと思うと態度でかいし、思いやりっていうのも欠けていると思う。
だけれども、ルールや思いやりが欠如していても、こんなにも和むの。癒されるの。なんでだろうなぁ。
私は日向ぼっこをしてあくびをする猫を見て笑顔でそんなことを思っていた。
ルールは破るためにある、という意見にも賛同できないけれど、それを堂々と破って生きていけるこのこ達は、控えめに言って羨ましい。
【ルール】
今日は寝坊をしてしまった。
別に仕事でもないので、寝坊したところで怒られることもないのだけれど、せっかくの休みが、自分時間が削られるのが、なんとなく惜しいと思っただけである。
仕事の時はきびきびとしているので、休みの時はリラックスしたい。
そうでもしないと、心模様が乱れてしまうから。
今日の心模様は、出鼻を挫かれたので現在曇り模様。
今から映画でも見に行って、マッサージとかで揉みほぐしてもらって、心も体も軽くなって、曇りから晴れになるといいなぁ。
まだ布団の中で本日のタイムスケジュールを組み直す私であった。
【今日の心模様】