-----------------好きだよ
好きという言葉は何故か素直に伝えることができない。
英語だとLoveとlikeで好きの意味がうまく使い分けられるけど、日本語の好きには、「友だちとして好き」「自分の好みだから好き」「気に入っている」「家族みたいに好き」「恋人として好き」「愛してる」みたいにたくさんの意味がある。たくさんの意味があるというか、色々な視点でその言葉を見ることができる。
大人の男性が未成年の女の子に、変な意味とかなく単純に好きだと思っていても、伝えたらどう思われるかは分からない。
仲のいい同学年の異性に好きだと伝えたら、恋愛的な意味では無かったとしても、どう捉えられるかは分からない。
その後の関係がどうなるかは分からない。
周りにどう思われるかは分からない。
つまり、伝えられることが多い分、その反対に壊してしまうかもしれないことも多い。
きっと好きという言葉は“強い”のだと思う。
だから素直に伝えることが難しいんだろうね。
こんなことごちゃごちゃ考えずに、好きだと思ったら好きだと言えるようになれたらいいのにな。
-----------------桜
桜は満開に咲いてから
1週間程で散ってしまうらしい。
見ていてどこか切なくなるのは
そのせいなのかな。
-----------------空に向かって
ある小さな村に、空を見上げることが大好きな少女がいた。
彼女は毎日、青空の下で遊び、雲を指差しては、
「こんなに高く飛べたら、どんなに素晴らしいだろう」と語っていた。
ある日、少女は村に伝わる言い伝えを耳にする。
「空に向かって願いを込めて飛ぶ風船は、想いを届けてくれる」
彼女はその言葉に心を躍らせ、晴れた日を待ちわびていた。しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。
季節が移り変わるにつれ、彼女の母が病に倒れた。彼女は必死に支え合ったものの、病は深刻で、母の容態は日に日に悪化していっくばかりだった。彼女の心には不安と悲しみが広がり、空を見上げることも少なくなっていった。
母が危篤に陥った時、彼女はふと思い出した。空に向かって風船を飛ばそう、母の生を願おうと。彼女は心に強い想いを抱き、白い風船を準備しだした。風船には、治癒の祈りを込めた手紙を結びつけた。
晴れた日、アオイは小川のほとりに立ち、空を見上げた。青い空の広がりはいつもと同じで、彼女の心を少しだけ和ませた。しかし、その時の彼女の目にはたくさんの涙が溢れていた。彼女は風船を手にし、声を震わせながら願う。
「お空の神様、どうか母を助けてください。」
風船を空に向かって放つ。その小さなの想いは青空に吸い込まれていった。
西の空は暗く、風が冷たく吹き始めていた。
数日後、彼女の母は静かに息を引き取った。
やわらかな日だまりのような優しい笑顔だった。
彼女はその日から、空を拒否するかのように背を向けている。彼女にとって空はもう、希望の象徴ではなくなった。そこに昔のような夢や希望はない。
ただ、愛する人を失ったその悲しみ、傷みで、空の青さはただの虚しさに変わっていた。
母にもう一度会いたい。
少女はそのひとつの想いを胸に、空に向かって歩き出した。
------『はじめまして』-----------------
初めて見るもの 。
聞くこと。
知ること。
どんなことでも
初めての体験は
不思議な高揚感を与えてくれる。
だが悲しいことにも、
歳を重ねるほど
初めてのことは少なくなっていくらしい。
そうだというのに、
世界は知らないことで溢れている。
私は死ぬまでに、
この世の何%を知ることが出来るのだろう
ばいばい じゃーね よりかは
"またね" がすき