「それ、ずっとつけてるよね」
少し古くなったヘアピンを指さしてそう指摘される。
ああ、これね、とそっとヘアピンを撫でる。
いつだったかの誕生日に坊ちゃんからプレゼントを貰った。
小さな包みを開けてみると中から出てきたのは花の飾りがついたヘアピン。
俺には似合わないと思うけどなあ、と思いつつ「ありがとう」と頭を撫でてやった。
それでも坊ちゃんはきらきらした目で俺を見ていて、もしかしてこれをつけろとそういうことなのだろうか。
一瞬、考える。
いや、似合わないと思うんだよね本当に。
視線に耐えられなくてヘアピンをつけてやれば、満足そうに笑ってくれた。
「新しいの買ってあげようか?」
大きくなった坊ちゃんからそう提案されるが丁重にお断りした。
「物は大事にするタイプなんですよ。それに、これつけてないと不機嫌になるじゃないですか」
「子供の時の話だろそれ」
小さい頃の話を持ち出すと途端に呆れた顔をされた。
でもつけていたらとても嬉しそうな顔してたんですよ、貴方。そんな顔されたらちゃんと毎日つけるし、気に入るじゃないですか。
あはは、と俺は声を上げて笑った。
「ところでなんで花?」
「小学生が思いつく精一杯」
「もっと他にあると思うんですけど」
朝、目覚まし時計のアラームで目が覚める。
まだ少し眠たくて、意識がぼんやりとしている。
ああ、今日は平日だから仕事にいかなきゃ。
ふかふかの布団が気持ちよくて外に出たくない。
手探りで時計のアラームを止める。
……このまま時間も止まってしまえばずっと寝ていられるのになぁ。
カチ、カチ、と規則正しい秒針の音が心地いい。
…………。
ああ、いけない二度寝するところだった。
気がついたら閉じていた瞼を開いて無理やり布団から出る。
今日は金曜日。
一日頑張って行こうか。
あの日見た花畑のことを今でも時折思い返す。
かつて体験した不思議な出来事。
滅んだ未来の世界に咲き誇る一面の花畑。
気がつけば知らない場所にいて不安そうにしている僕にあの人が見せてくれた景色。
今まで見た事がないくらい、綺麗な景色だった。
子供みたいにはしゃぐ僕の姿を見て貴方はほっとした顔をしていた。
それから、一緒に終わった世界を数日のあいだ歩いて、帰る方法がわかった。
出来れば一緒にいたかった。一人残して行くのは嫌だった。
それでも僕は、自分の世界に帰ってきた。
やらなきゃいけないこと、貴方に託されたことがあったから。
もう二度とあの人に会うことは無い。
それでも、あの時見た花畑とあの人の笑顔はずっと忘れることはないだろう。
LINEの通知音がして、スマホの画面を開く。
双子の弟からのLINE。
写真が1枚と『これ見て!』の文字。
そういえば今日は友達と出かけてくるとか言ってたっけ。
送られてきた写真を見て小さく笑いがこぼれた。
珍しいものを見つけて、はしゃいで写真を撮っている姿が目に浮かぶ。
楽しんでいるみたいで何よりだ。
『それで、その珍しい味のソフトクリームはおいしかったの?』
泣いてる顔のクマのスタンプが送られてきた。
ダメだったらしい。
中々眠れず、ようやく眠れたと思えばこんな時間に目が覚める。
いっそあきらめて起きた方がいいのではとも思い始めた。
暫し、思案。
そっとベッドを抜け出して、温かいコーヒーをいれてベランダへ出ることにした。
昼間はまだ暑さが残るけど夜は少し肌寒い。
いつもは賑やかな街もまだ眠っているようで、静かな景色をしばらくぼんやりと眺める。
そういえば漫画で読んだけれど、早朝の渋谷は青いらしい。ここは渋谷ではないけど青くなるだろうか。
……見てみたいな。
少しワクワクした気持ちになる。
きっと昼間寝不足で恐ろしく眠たくなるかもしれないけど、たまにはこういう日もあってもいいかな。